【東京地裁】やしきたかじんさん妻が敗訴-サンデー毎日記事巡る訴訟at NEWSPLUS
【東京地裁】やしきたかじんさん妻が敗訴-サンデー毎日記事巡る訴訟
- 暇つぶし2ch922:アメリカ人の夫・ダニエルとの出会いは、さくらが専門校時代に通っていた マンツーマンの英会話教室だ(※殉愛の真実)。さくらの猛烈なアタックで交際が始まったそうだ。 2006年夏にダニエルとペアのTシャツで洗礼式に参加した写真が掘られているので、 この時には交際がスタートしていたと見て間違いないだろう。そして同年12月には アメリカ北東部にあるダニエルの実家を訪ね、彼の家族や親戚に紹介されている(※殉愛の真実)。 当然、結婚を前提とした行動である、さくらは宝塚市の特優賃住宅を気に入り、 ここに住みたいと言い出す。その為には入籍しないと賃貸を受けれない為、 二人は2007年4月5日婚姻届を提出し特優賃住宅にはさくらが一人で住む。 この時、同居しなかったのは夏に予定されていた結婚式を終えてから、とダニエルが考えていたからだ。 しかしダニエルは、同居することも結婚式を挙げることもなく離婚を決意することになる。 原因はさくらの特異な人格と、F氏の存在があったようだ(※詳細は殉愛の真実に掲載されている)。 2008年3月に離婚が成立、ダニエルはさくらに慰謝料六十万円を払うことになる。 ★三回目の結婚 殉愛騒動の中で、最初に明らかになったさくらの結婚歴がイタリア人イヴァンだった。 きっかけはイタリア在住邦人女性からあるブログに投稿された記事を手掛かりに、 2ch既婚女性板の可愛い奥様達が発見した画像・SNS等からである。 たかじんとの重婚疑惑が出ていたからか、結婚・離婚の時期について、さくらの供述は 辻褄が合わないのだが、まずはさくらの主張をもとに書こう。 2008年春、ステイ先のイタリアで男性と知り合い遠距離交際を始め、その年の12月に日本で入籍した。 2009年、イタリアに移住し生活を開始、日本人に勧められてブログを始めた。結婚式の準備を進めていたが7月頃、結婚生活を続けるのは難しいと感じた。 2010年3月、夫とはほぼ別居状態で、ベネチア、パリ、ミラノを行ったり来たりしていた。 2011年5月から離婚について話し合いを始め、夫婦生活はすでに破綻していた。同年11月に離婚手続きのため日本に帰国、同月イタリア夫が来日し離婚同意書にサインし、離婚手続きに入った。2012年3月離婚届けが受理され、正式に離婚が成立した。 この供述は、現実をほぼ1年前倒ししたものである。 さくらの話しによると、二番目の夫・ダニエルと離婚が成立した直後の春に、海外ステイ先で イヴァンと知り合い交際が始まったことになる。しかし移住した半年後には結婚生活に問題が生じ、 一年後には別居、二年後には離婚協議が始まり、その年末に離婚手続きに入ったという、 又してもスピーディな破局ぶりである。 とは言えさくらの供述は、web上に残された様々な証拠から信用するには至らない。 離婚成立にしても日本国内での手続きだけに過ぎず、それもさくらの供述にあるように、 たかじんのガンが発見された後の成立だ。さくらのブログでの幸せそうな来日時画像、 イヴァンのTwitter等から読み取れるように、それまで離婚を意識していたようには見えない。 又、イタリアの法律に則せば、イタリアでの離婚が成立していないのはほぼ確実と見られている。 結論からいうと、さくらは資産持ちのたかじんに取り入ることが出来たので、イタリアの田舎っ子の イヴァンは捨てられて(一旦の可能性もあるが)しまったのだと思う。 ★四回目の結婚 殉愛によると、たかじんとさくらが最初に会ったのは、2011年12月のクリスマスオフ会で、 たかじんのマンションに女一人で入室し、プロポーズされたのは12月30日となっている。 さくらの「都会っ子ブログ」によると、これらは全てイタリア夫・イヴァンが来日中の出来事だ。 たかじんとの初めてのキスも離婚届受理前のことだ。ここでも多情性が窺えるわけである。 その後、たかじんのガンが見つかり、余命半年と宣告された約4ケ月後、たかじん 死亡の3ケ月前に入籍を果たした。くどいようだが、たかじんとは結ばれた性行為が一度もない夫婦だった。 殉愛では「さくらはなにもいらない」と語りながら、たかじん死後は様々な策略を駆使して たかじん利権を一人占めし、たかじんの金庫にあった現金一億八千万円を自分のものと主張、 相続遺産と合わせて三億数千万、さらには大阪のタワーマンションの居住権を手中にした。 (金額はたかじん長女遺留分勘案、今後の裁判結果で変動することがある)
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