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人類史において一神教が多神教を駆逐する時にしばしば行われた多神教の権威失墜のための戦いが日本でも行われている。
戦国時代にも同じことが起きたが、当時の日本人は一神教を受容せず、排除に動いた。
一神教を信奉するアメリカ合衆国の武力に裏付けられた言論統制の強い現代日本で、再び一神教の排除ができるか覚悟が問われる。
中公文庫 完訳フロイス 日本史2 信長とフロイス - 織田信長篇Ⅱ 第三二章(第一部八三章) p112-113
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信長はその(大坂本願寺)包囲の間、大坂から一里距たった天王寺という名の寺院と僧院を焼かせた。
それは日本で建てられた最初のもので、仏教の大いなる帰依者であった聖徳太子という名の皇子の創建したものであり、格別参詣者の多い霊場であった。
その寺院(四天王寺)が焼ける前、人々が僧院に放火し始めた時に次のような出来事があった。
彼らのなかには、かの地方でもっとも善良で確乎たるキリシタンの一人である若い兵士がいた。
彼は人柄は非常に勇敢な男で、たいへん貧しかった。
彼は仏像の中味がどんなものであろうかと訝っていたので、ただちに斧を手にし、
祭壇のところに行き、非常に高く、全身塗金してあったと言われる木製の偶像の上に登り、
足で踏みつけてその肩の上に立ち、偶像の頭を割り始めた。
彼はその頭の中に、この僧院と寺院の建立当時からの幾枚かの文書が入った非常に古い一つの袋を見出した。
彼はさらにその真中に書類の中に混じって、金製の小箱を見つけたが、
それには釈迦に遺骨の一部と言われている遺物が入っていた。
そのキリシタンは、その袋、文書および似而非遺物をこの一件の�