17/03/26 12:54:11.28 JAArNwJ90.net
>>15
パンパンの存在は、終戦直後の街の風俗になっていた。小倉の街も
その例外ではなかった。彼女たちは、当時の紫川に架かる常盤橋
付近に、夜ともなるとたたずんで、相手を誘った。相手は日本の
男ではない。進駐軍の兵士である。日本の男たちは、見ても見ぬ
ふりをして素通りしていたし、女性たちも声をかけなかった。
当時の日本の男たちは、敗戦の落胆感、占領軍であるアメリカ人に
対する劣等感もあり、おまけに極度の逼迫した衣食住などが
もたらす生活苦から、セツクスの欲望は二の次になっていた。
当時のパンパンというのは、真っ赤なルージュ、背中が大きく
割れて肌が丸見えのドレス、金色に染められたヘアー、それに
踵がいやに高い赤やピンクの極彩色のハイヒール。そんな
女性たちが、昼の日なか進駐軍の兵士とお互いに手を腰に回しあって、
繁華街を闊歩していた。
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