【森友学園】職員が…維新が… 政権、逃げの「3手」at NEWSPLUS
【森友学園】職員が…維新が… 政権、逃げの「3手」 - 暇つぶし2ch240:名無しさん@1周年
17/03/26 14:55:18.99 4hAXHbZz0.net
>>1乙です
朝日毎日を安倍サポは叩くけど
元々はまるで今の産経読売みたいな「御用新聞」だった
その反省からこうなった歴史的事実がある訳でw
ちなみに「御用新聞」には常に「長州閥」が関わってるのに注目w
木戸孝允「五箇条の御誓文」
伊藤博文「大日本帝国憲法」(伊東巳代治)
山縣有朋「教育勅語」「数々の汚職」
井上馨 「銅山私物化等汚職」西郷隆盛談「三井の番頭さん」
>御用新聞とは、民間新聞という形式を取りながら、政府の広報誌として政府の味方の立場で、記事を書く新聞のことです。
最初の御用新聞といえば、明治維新を支えた政治家でもある木戸孝允の出資により、明治3年に発刊された「新聞雑誌」、続いて明治4年には前島密の秘書である小西義敬が発行した「郵便報知新聞」があります。
さらに巧妙になっていくのが明治11年に創刊された「大阪朝日新聞」です。
北海道官有物払い下げ事件(≒明治14年の政変)によって、新聞の力をまざまざと見せ付けられた伊藤博文は、
その明治14~26年まで、政府として三井銀行と共に大阪朝日新聞に極秘の資金援助を行い、その見返りとしてある密約を結んでいたのです。
大阪朝日新聞が、表面的には政府を弁護することなく『中立ヲ化粧シテ』見せることでした。
これは政府による新聞政策の一つで、当時“多事総論”を是とする言論活動を巧みに統制するために「中立」言論を育成し、新聞界での支配権を握る為のものでした。
また明治21年には伊藤博文の腹心である伊東巳代治が「東京日日新聞」を買収し、伊藤系長州閥の御用新聞としました。
このように政府は、一方では新聞紙条例などで弾圧を行い、一方では資金援助をするなど、飴と鞭を使い分け、共認市場を支配しようとしていたのです。
東京日日新聞(とうきょうにちにちしんぶん)
1872年(明治5)2月21日に創刊された東京初の日刊紙。(中略)
ついで福地桜痴(おうち)が入社、12月2日から社説を掲載するとともに「太政官(だじょうかん)記事印行御用」を掲げて権威を高め、代表的大(おお)新聞としての性格と地位を固めた。
以後、福地の論説は政府ならびに各界に影響を及ぼすとともに、政府の官報の役割を果たした。
 しかし、自由民権運動が盛んになるとともに、福地の主権在君論や漸進主義は、しだいに「御用記者」との批判を強め、82年、福地が政府支持の帝政党を組織したころから『東京日日新聞』の勢力は失墜し始めた。
85年には勢力挽回(ばんかい)のため、わが国で初めて朝夕刊発行を1年間試みたりしたが形勢は変わらず、88年7月福地は退社、以後、関直彦(せきなおひこ)、
伊東巳代治(みよじ)、朝比奈知泉(ちせん)が主宰し、伊藤博文(ひろぶみ)、井上馨(かおる)、山県有朋(やまがたありとも)らの長州閥系紙となる。
日露開戦のときは、伊藤の政策を支持、最後まで対露外交交渉を説いた。
1904年(明治37)三菱(みつびし)の手に渡るが欠損が続き、
11年3月『大阪毎日新聞』の経営下に入り、全国紙へと発展(題号はそのまま�



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