【森友学園】安倍首相、森友学園を「素晴らしいと聞いた」から一転批判へ ★29at NEWSPLUS
【森友学園】安倍首相、森友学園を「素晴らしいと聞いた」から一転批判へ ★29 - 暇つぶし2ch603:名無しさん@1周年
17/03/06 20:35:33.91 /F/xvjGw0.net
>>567
何故東郷は大日本帝国を滅亡させたか分かる記事。
東郷茂徳 (とうごうしげのり) 
韓人の子孫として
  1882年12月10日、東郷茂徳は鹿児島に生まれた。詳しく言えば、伊集院村苗代川の出身である。
ここは鹿児島ではあったが、異国の集落であった。三百年程も昔、豊臣秀吉が朝鮮遠征に兵を出した時、薩摩の島津義弘公が韓人の陶工数百名を連れて帰ってきた。その子孫が住み着いた村であったのだ。
茂徳も、子供の頃の姓は朴という韓国姓。富裕な陶器商人であった父が、困窮した武士からその株(武士となる権利)を買って、東郷の姓に変えたのである。
  ここの陶工たちが製造する薩摩焼は、高い評価を受けており、薩摩藩では彼らの技術を高い水準に保つため、手厚く保護した。
藩内では尊敬され、一目置かれる存在であったのだ。誇り高き人々で、江戸時代まで、韓式の衣装をまとい、韓国語を話していた。
  しかし、明治になって様相は一変した。近代化を推し進めた結果、近代化の遅れた中国や朝鮮を侮蔑する差別感情が生まれた。
鹿児島も例外ではない。かつては敬称であった苗代川出身という立場は、侮蔑の対象に成り下がったのである。
  時に暴力を伴ったこの差別感情は、少年の心を傷つけた。同じ日本人なのに、なぜ殴られなければならないのか。
三百年前の出自のゆえに受ける差別。溢れ出る屈辱感に茂徳は耐えなければならなかった。それを忘れようとひたすら勉学に打ち込んだ。彼の成績は常に首席であったという。
差別の壁
  東京帝大(現在の東大)に入学した東郷は、ドイツ文学科へ進んだ。いずれ小説家にでもなろうとした。受けてきた差別ゆえに、人生の意味を探求せずにはおれなかったのだ。
  人生の進路を変える事件が起こる。在学中、肺結核を患い、療養生活を余儀なくされた時のことだ。彼は1年間大学を休学し、日光の中禅寺湖で療養生活を始めた。ふとしたことから一人の女学生と出会う。
名は美津、一流旅館の娘である。生まれて初めて東郷は、女性に恋心を抱いた。美津に会っていると、過去の苦い思い出も吹き飛び、病気療養の身であることも忘れてしまう。
生きる力が漲り溢れてくるのを感ずるのであった。
  療養生活を終えた後も、美津との交際は順調に進み、結婚を約束する仲になっていた。全てが順風満帆、後は美津を迎えるだけである。彼は美津の両親に長文の手紙を書き、結婚を申し入れた。しかし3ヶ月経っても返事はなかった。
  実は、美津の両親は興信所(身許などを秘密に調査する会社)を使って、東郷家の身許を調べ上げていた。
彼らは三百年前の先祖の血を問題にして、この結婚を阻止したのである。このことが東郷に与えた衝撃は大きかった。忘れかけていた少年時代の傷が生々しく蘇ってくる。
理不尽な差別の壁を前にして、立ちすくむばかりであった。
  美津との破局は、東郷に一大決心をもたらした。差別の壁が厳然としてある以上、そこから逃げるわけにはいかない。
正真正銘の日本人になろう。それには命がけでこの国のために貢献するしかない。まず文学を捨てる決断をした。現実の世界で貢献するためである。そして当時日本で最難関とされた外交官試験に挑戦し、3度目にして合格した。
URLリンク(megalodon.jp)
URLリンク(ifsa.jp)


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch