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その支那、朝鮮に接するの法も、隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、まさに西洋人が
これに接するの風に従て処分すべきのみ。悪友を親しむ者は、共に悪名を免(まぬ)かるべからず。
我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。
「脱亜論」 福澤諭吉 (一万円札)
朝鮮の衰亡の罪を蹄すべき所は、其国の気候にも非らず、又た其の土壌にも非らず。
人或は又た、彼の西班牙人が反覆して云ふ所の語を、爰(ここ)に適用するを得んか。
曰く「天地共に善し。唯だ(ただ)悪しきものは此二者の間に存する者なり」と。然り唯だ人のみ
罪に汚れたり。」凡て(すべて)の罪悪は彼によりて生ず。
「枯死國朝鮮」 新渡戸稲造 (旧五千円札)
「歴遊の際もう一つ感じた事は、余は幸にして日本人に生れたと云ふ自覚を得た事である。内地に
跼蹐(きょくせき)してゐる間は、日本人程憐れな国民は世界中にたんとあるまい
といふ考に始終圧迫されてならなかつたが、満洲から朝鮮へ渡つて、わが同胞が文明事業の各方面に
活躍して大いに優越者となつてゐる状態を目撃して、日本人も甚だ頼母(たのも)しい人種だとの印象を
深く頭の中に刻みつけられた
同時に、余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた。彼等を眼前に置いて勝者の
意気込を以て事に当るわが同胞は、真に運命の寵児(ちょうじ)と云はねばならぬ」
「韓満所感(上)」 夏目漱石 (旧千円札)