【政治】外務省が外交文書を公開 戦後ソ連の日本軍捕虜「赤化工作」が明らかに 政府に危機感「相当な効果」at NEWSPLUS
【政治】外務省が外交文書を公開 戦後ソ連の日本軍捕虜「赤化工作」が明らかに 政府に危機感「相当な効果」 - 暇つぶし2ch121:韓半島(朝鮮半島)における「解放軍」のように描いている。 しかもこのような見方は今なお一種の聖域となったままだ。もちろんソ連が第2次大戦で最大の被害を受け、また連合国の勝利に大きな貢献したのは決して間違いではない。しかしこれはナチスのヒトラーが不可侵条約を破ってソ連に侵攻した後のことだ。 教科書ではそれ以前の一連の出来事についての記述はないが、実は当時は教科書の内容とは全く異なった歴史が繰り広げられていた。この頃共産主義の拡散に力を入れていたソ連とスターリンは、第2次大戦直前にナチス・ドイツと悪魔的な取引を行った。 それがすなわち1939年8月に締結された独ソ不可侵条約(モロトフ=リッペントロップ条約)だが、問題はこの条約締結の際に交わされた密約で、それにはドイツがポーランドの西側を所有し、ソ連が東側とルーマニアのベッサラビアなどを取ることが取り決められた。 その後、1939年9月1日にドイツがポーランドに侵攻して第2次大戦は始まったが、教科書では直後にソ連もポーランドに侵攻していた事実が記載されていない。 さらに驚くべきことに、欧州各国の共産党はソ連の指示を受け、ナチス・ドイツを支援し始めた。つまりソ連は第2次対戦勃発の明らかな共犯だったのだ。 それだけではない。ポーランド東部を確保したソ連はポーランド独立の基盤を完全に奪うため、ポーランドの知識人や軍の将校、官吏、聖職者など2万2000人をロシアに連行し銃殺した。これはカティンの森事件と呼ばれており、人類歴史上最悪の蛮行の一つとされている。 ソ連は一連の事実を否定してきたが、スターリンが秘密警察に虐殺を指示した内容を記した極秘文書が1989年に公開され、90年には当時のゴルバチョフ大統領が勇気を持ってこの事実を認めたことで、世界中に知られるようになった。




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