16/12/31 10:20:50.45 VV/q291i0.net
>>40
「男女平等」という言葉を聞いて、“普通”は、あくまで「機会の平等」であって、
『結果の平等』は“悪平等”と考える、と思うのですが、人によっては、そうではないようです。
取分け“フェミニスト”“共産主義者”にとっては、『結果の平等』が何の違和感もなく受け入れられてます。
その典型が『女性優遇処置』です。 “クオータ制”は、「結果の平等」を求める制度です。
“フェミニスト”や“共産主義者”は、『女性優遇処置』を支持しています。
“クオータ制”で水増しすれば、「実力のない女性」が重用されるだけ、実力のある男性は“いい迷惑”、
実力のある女性にとっても、「女性だから登用されたんだろう」と言われかねない“はた迷惑”でしょう。
いいえ、それよりも何より、能力がない者が「女性だから」というだけで重用される社会、
なんていうのは、ほんとうの平等ではない。 「社会が停滞」するのは“必定”です。
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
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フェミニストは頻りに“クオータ制”を主張し「機械的に男女比を同等にせよ」との要求は、
男女の分業を否定する思想から出ている、根本的に“間違った”要求である。
クオータ制でなくても既に日本において、組織に女性を登用して媚びる風潮があり、
「有能な男性」が“排除”されるばかりでなく「能力が伴わない地位」の女性を生みだしている。
フェミニストたちが男女特性論に反対する根拠として言われているのが、
「性別よりも個人の個性や能力が大切」という命題である。
もしこの命題が本当に正しいと言うのなら、クオータ制を要求するのは矛盾である。
正しくは「すぐれた個人が社会に参画すると社会がよくなる」と言うべきであろう。
【元東京女子大学 文理学部 教授 日本ユング研究会 会長 林 道義】
(一二三一一〇一七)
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