16/12/20 20:54:02.26 QA4OY+Wo0.net
(>>470の続き)
・・・ロシア民族を知り尽くしていた吉田茂は、こう透視して、ロシアに対する無交渉・無条約主義だけが、確実に北方領土を得撫島以北の千島列島を含めて容易に奪還できると確信していた。
また、ロシア側も、吉田茂が1956年まで総理大臣であり続ければ、北方領土を得撫島以北の千島列島を含めて返還せざるを得ないと諦念していた。
ところが、日本に不幸が舞い降りた。この重要な1954年12月、吉田茂が政権の座を追われることになったからだ。しかも、その後釜が、“スーパー外交音痴”鳩山一郎。
案の定、総理になるや、鳩山は、自分の名声を後世に残したい一心から、日ソ平和条約締結と北方領土の奪還を大声で自分の政治の最優先テーマだと宣言した。
そして、ロシア工作員で共産主義者であるという理由で外務省から馘首されていた“札付きの赤”杉原荒太を顧問にした。安倍晋三が“ロシア人”鈴木宗男を顧問にしているが、安倍は鳩山一郎そっくりで瓜二つである。
その後、鳩山一郎は、この杉原によって、“不法組織”ソ連政府代表部の最後の七名の一人ドムニツキー(ベリア系のNKGB将軍)の操り人形になった。1955年1月以降の日本の対ロ交渉は、すべてロシアの言いなりになるほかなかった。
鳩山が調印した「日ソ共同宣言」は、日本側の言い分はゼロ%で、ロシアの最終目標「ソ連大使館が設置できる国交回復」及び「北方領土はいっさい返還しない」を100%その通りに書いたものとなった。
吉田茂の無交渉・無条約という最高の外交は、“お馬鹿”鳩山一郎と“ロシア人”河野一郎によって無惨に打ち砕かれて、日本は自滅した。
表1;“対ロ売国奴”河野一郎より百倍ひどい“史上最凶の対ロ売国奴”安倍晋三
▼なぜ日本は、1961~78年、1989~96年、北方領土への無血進駐をしなかったのか
日本人の政治家は、今の外務省の外交官もそうだが、ロシア工作員にリクルートされていなければ、ロシアについて全く無知の“お馬鹿”しかいない。なぜなら、ロシアの侵略した領土の返還方式を全く知らないからだ。
ロシアは、侵略地を返還する場合、黙って返還する。交渉で返還することは原則的にない。ロシアは、国際法に則って何事も処理する米国や英国ではない。
13世紀のモンゴル帝国のままのロシアは、自国軍隊を撤兵させ、それを固有の領土だと主張する隣国が陸軍部隊を進駐させるのを見届けるのをもって、領土返還の儀式を終了したと考える。
この事は、1989年夏のアフガニスタン全土のアフガニスタンへの返還をみればわかるだろう。ロシアは外交交渉でアフガンから撤兵したわけではない。条約で撤兵したわけではない。
あるいは、同じ1989年11月、ロシアは東欧諸国を解放するに、ヤルタ協定の締結相手国である英国と米国と交渉しなかったし、条約を結んだわけではない。
ロシアは、「東欧が主権を回復したいというから」「われわれも新思考で対処したい」等と、勿体ぶったド派手演出で、ただ“撤兵する”旨を宣言しただけ。
この時、撤兵の条件ではなく、“撤兵をできるだけ早くするため”との屁理屈で、「東欧侵略ロシア軍部隊の将兵の住宅建設費用」と「撤兵費用」を西ドイツからがっぽり召し上げただけである。
無交渉・無条約が、ロシアの領土返還の基本的やり方で、これ以外をロシアは知らない。
要するに、ロシアは侵略した領土を正当化するために条約や協定を欲するけれど、手放す時は条約や協定を徹底的に嫌悪し排斥する。理由は二つ。
第一は、そのようなものは再侵略する時に障害になるからである。第二は、神に孕まれた無謬のロシアに、恥ずかしい領土放棄の証拠文書など存在してはならないと信仰しているからである。
日本の外務省も政治家も、このロシア民族の基本行動を知らないから、ロシアが「北方領土を返還するので、どうぞ進駐して下さい」のシグナルだった、1961年から1978年の十七年間に及ぶ、北方領土の完全非武装化時代を、日本はフイにした。