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中川八洋掲示板 http:// nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2016/12/14/210954
世界の現状は、日本の国家安全保障の危機を加速しています。この急迫の時局において、刻々と変遷激しい国内外の事態を冷静に俯瞰できる力を与えてくれる、大容量の真正の知識こそ、いまの日本人に必要なものです。
当ブログは、国際政治学者・中川八洋筑波大学名誉教授の個人ブログです。
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2016-12-14 安倍晋三よ、プーチンに「日ソ共同宣言」の廃棄を通告せよ ─“無交渉・無条約”策に徹する時、ロシアは北方領土を全面返還する
筑波大学名誉教授 中 川 八 洋
ロシア皇帝とは、モンゴル皇帝と一直線につながる、その継承上にある。では、ミクロ的に、現在のプーチン皇帝は、モンゴル皇帝の延長上に捉えることはできるのか。
まず、カルト宗教「共産主義」の信仰を国民に強制したソヴィエト・ロシア崩壊後に復活した、1992年に始まる新ロシア帝国は、世襲のロマノフ王朝の血筋ではなく、KGB第二総局の出身のエリート官僚から“皇帝”を選ぶ体制となったが、
恐怖の国民弾圧監視の巨大官庁であるKGB第二総局は、直接的にはレーニンの腹心ジェルジンスキーの「チェーカー」から発展したもので、ソヴィエト・ロシアの延長上にある。
次に、「チェーカー」は、元を辿れば「チンギスカン→イワン雷帝」で発展していた(注3)、ロシア帝国に永く存在してきた“恐怖の国民弾圧監視組織”を母体に、それをレーニン流に100倍ほど極度に血塗られたものにしただけで、
ロシア帝国の伝統を基本的には継いでいる筆頭国家行政機構。すなわち、KGB第二総局の頂点から”ロシア皇帝“となったプーチンの地位と正統性は、民族的には「モンゴル人」イワン雷帝に遡ることができる。
第二節 “対ロ売国奴”河野一郎と安倍晋三、いずれがより重罪か
かつて外交官の曽野明に、ロシアから確実に北方領土を奪還する方法は、次のABC三心得を守り、この三心得から万が一にも逸脱しないことだと説明した時、
曽野明が「その二番目は、親父(「吉田茂・総理」の事)の持論で、中川君は本当に“吉田茂の生まれ変わり”だ」と言った。
A 北海道をハリネズミ以上の重武装の要塞化する。
B ロシアとは決して外交交渉をしない/平和条約は決して締結しない。
C 「北方領土からロシア軍を撤兵させ、そのあと陸上自衛隊を進駐させる」形の領土返還とする。
▼「北方領土+千島諸島」の全面無条件返還の直前までロシアを追い込んでいた吉田茂・総理
総理の吉田茂は、1954年のまだ政権から追放される以前、「もうしばらくすると、ロシアの方から、南樺太だけははっきりしないが、北方領土(=当時は、四島および千島列島および南樺太の全てを含む)を即時無条件返還したいと申し出てくるぞ」と側近に語っていた。
吉田茂のこの推測は数学の解のように正確なものだった。ロシアはサンフランシスコ講和条約の調印を拒否して退場したため、日本との間に平和条約がなく、1952年4月29日以降のソ連政府代表部はソ連大使館になれず不法組織となっていた。
この状態は、外交官扱いのソ連政府代表部の職員は、アグレマンの期限が切れれば帰国せざるを得ず、しかも補充されないから、1954年12月時点ではついに七名になっており、1955年中にはほぼゼロ名になることが確定していたからだ。
つまり、対ロ外交では準天才級だった吉田茂は、「ロシアは、一日も早くソ連大使館を設置して、外交官(ほとんどがKGB第一総局の対日工作員)を大量に送り込みたいはずだから、
必ず『北方領土を直ぐ無条件で返還するので、代わりに国交回復をさせていただきたい』と申し出てくる。しかも、それは既に秒読み段階だ」と判断していた。
確かに(1952年4月時点)800名もいたソ連政府代表部は、不法組織になっただけでなく、その職員は(1954年12月時点)10名を割っていた(注8)。
なお、ロシア民族には、国際法とか“法の支配”とかは、いっさい存在しない。権力の命令が法秩序の全てである。このように自生的秩序を欠如するため、一般にロシア民族は“紛争における法的な処理”は発想できず、未開部族と同じく物々交換がそれを代替する。
だから、「北方領土の返還←→ロシア大使館の設置(=国交回復)」という物々交換が、外交交渉で敗れた場合/外交交渉をしてくれない場合の、ロシアの腹積もりとなっていた。