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ウラジオストク(東方を支配する都市)と日本の関係
かつては非常に規模の大きな日本人街があり、1920年頃(大正9 - 10年頃)には6,000人近くの日本人が暮らし、日本とロシアの交流は非常に活発に行われていた。
町には浦潮本願寺などがあり、日本人による商店や企業が多数進出していた。
現在のウラジオストク市内では、日本から輸入した右ハンドルの中古車が数多く走っており、その比率はおよそ9割以上である。
また一時期には、およそ10万人が車輸入販売、修理、洗車などの中古車関連ビジネスに従事した[12]。
2009年1月よりロシア政府が自国自動車産業の保護を目的とし輸入車の関税を大幅に引き上げたため、地元では大きな影響が出ている。
このように、日本との地理的な近さ(東京からはソウルよりも近い)などから日本語教育が非常に盛んであり、市内の各大学や高校などでは日本語教育が行われている。