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奇跡の将軍 樋口季一郎(ひぐち きいちろう、1888年8月20日 - 1970年10月11日)
1942年(昭和17年)8月1日、札幌に司令部を置く北部軍(のち北方軍・第5方面軍と改称)司令官
として北東太平洋陸軍作戦を指揮。アッツ島玉砕、キスカ島撤退を指揮し、キスカ島撤退作戦では
救援艦隊の木村少将の要請を容れ、大本営の決裁を仰がずに独断で在留軍に、小銃を含めた
あらゆる武器の海中投棄を指示して、乗船時間を短縮し撤退の成功に貢献した。
敗戦後にも、占守島、樺太における対ソビエト軍の戦闘を指揮し、占守島の戦いではソ連軍千島
侵攻部隊に痛撃を与えた。そのためスターリンは当時軍人として札幌に在住していた樋口を「戦犯」
に指名した。
世界ユダヤ協会はいち早くこの動きを察知して、世界中のユダヤ人コミュニティーを動かし、在欧米
のユダヤ人金融家によるロビー活動も始まった。世界的な規模で樋口救出運動が展開された結果、
ダグラス・マッカーサーはソ連からの引き渡し要求を拒否して、樋口の身柄を保護した。
樋口季一郎なかりせば、
北海道もソ連に盗られていたかもしれない。