16/11/27 13:09:55.41 LZgVNtae0.net
いつか見た日本の風景
『一外交官の見た明治維新 下』より
126p
>公使館の建物は今や最下層の人民どもの掠奪をうけているところだった。
130p
>二月四日(訳注 明治元年一月十一日)、この日早朝から備前の兵士が
>神戸を行進しつつあったが、午後二時ごろ、その家老某の家来が、
>行列のすぐ前方を横ぎった一名のアメリカ人水兵を射殺した。
>日本人の考えからすれば、これは死の懲罰に値する無礼な行為だったのである。
>そのあとで、彼らは出会った外国人を片っぱしから殺害しようとしたが、
>幸いにも大事には至らなかった。
162p
>大坂の市民は、先代の天皇(孝明天皇)の排外政策や長州藩のかっての攘夷政策を思い出し、
>朝廷と長州とが政権を把握して、これまで外国人を擁護して来た徳川が権力を喪失した以上、
>もはや外国人は一般に嫌悪の的になるだろうと考えていた。
>そして、それが一般民衆による各国公使館破壊の理由をなしていた。
>おそらく備前藩の人々もこれと同様な考えをいだいていたに相違なかろう。