16/11/25 13:45:46.87 yH86B++P0.net
>>491
土人って言葉を辞書で引いてこいよ
511:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:45:53.38 84rB8Z/F0.net
>>507
キリスト教系の新興宗教で一夫多妻が教義
512:名無しさん@1周年
16/11/25 13:45:59.65 h2TsElEV0.net
こっちは寛容にしてやってるのに向こうは一切寛容しない、価値観を押しつけてくる
これじゃあ多様性社会で無理だろイスラム教は
513:名無しさん@1周年
16/11/25 13:46:03.25 7o0g3LD10.net
>>504
自分はすぐにNG設定しました。
514:名無しさん@1周年
16/11/25 13:46:08.96 qFjWdTNE0.net
キリスト教徒↓
●「ダーリン、日本軍兵士の頭蓋骨送ってくれてありがとう♪」
ーと手紙をしたためるアメリカ人の少女(ライフ誌)
URLリンク(i.imgur.com)
●吊るされる日本兵の首
(1945年太平洋の激戦地ペリリュー島および沖縄で、
日本兵の死体から手や首を切り取って持ち帰るのがアメリカ軍で大流行
髪の毛はアクセサリーなどにされた
URLリンク(i.imgur.com)
●日本兵の頭部で遊ぶマクファーソン米軍中尉
(1944年4月30日、ニューギニア、アメリカ海軍魚雷艇341甲板にて)
URLリンク(i.imgur.com)
●日本兵の頭部を煮るアメリカ兵(1944年)。
頭蓋骨は一体につき35ドルで販売。
URLリンク(i.imgur.com)
515:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:46:15.22 84rB8Z/F0.net
動物は本質的に、また主要な点で、われわれ人間とまったく同一なものであり、その差はたんに
偶有的属性、すなわち知性にあるだけで、意志という実体にあるのではない。こういうことがわからぬ
のは、あらゆる感官がめくらであるか、ユダヤ的悪臭のクロロホルムで完全に麻酔にかかっているに相
違ないのだ。世界は、われわれが使うためにこしらえたものではなく、動物はわれわれが使うための製品で
はない。こういう見解はユダヤ人の教会堂や哲学の講堂にまかせておけばよい。この二つは、べつに本
質的に大差はないのである。これに反し上述の認識は、動物を正しく取り扱うための規則をわれわれに
手渡してくれる。狂信的にいきまく連中や坊主どもに対して、この問題ではあまり反対しないようにわ
たしは勧告する。というのは、この場合、真理だけではなく、道徳までもわれわれの味方についている
からである。
鉄道がもたらした最大の恩恵は、そのおかげで何百万の輓き馬が苦役を免れたことだ。―
イギリスには菜食主義者というのがいるけれども、北方に押しよせて行って、そのために白色になっ
た人間が動物の肉を必要とするということは、残念ながら真実である。しかしその場合でも、クロロホ
ルムを用いたり、致命的な急所をすばやく一撃を加えたりすることで、動物たちがその死を感じないよ
うにしてやるべきだ。しかもそれは旧約聖書が言いあらわしているような「憐れみ」からではなくて、
われわれのなかに生きているのと変わりなく、あらゆる動物のなかにも生きている永遠の本質に対する
どうしようもない責任からである。屠殺されるあらゆる動物にはあらかじめ麻酔をかける必要があろ
う。これこそ人間の名誉をそこなわない高貴なやり方と言えるだろう。西洋の高度な科学と東洋の高度
の道徳が、このやり方ならば手に手を携えて行けるであろう。バラモン教や仏教はその掟を「隣人」に
限定することなく、「生きとし生けるもの」をその保護のもとに包容する域に達しているからである。
516:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:46:30.76 84rB8Z/F0.net
ユダヤ的悪臭のためにその頭が朦朧となっていない人、倒錯した考え方をもっていない人ならば、だ
れにでもおのずからわかる真理、端的に確実な真理が、あらゆるユダヤ的神話や坊主どもの威嚇をしり
めにして、いいかげんヨーロッパでも認められるべきであり、これ以上握りつぶされるようなことがあっ
てはならない。それは動物が、主要な点で、本質的に、われわれとまったく同一なものであり、その差
はたんに知性の度合い、すなわち頭脳の活動にあるだけだということだ。もちろん知性の程度は、動物
の種の異なるに応じて非常なひらきがあるけれども、この真理を認めることによって、もっと人間らし
い取り扱いを動物たちにあたえることができよう。というのは、あの単純であらゆる疑問をこえた真理
が民衆にしみわたったときになってはじめて、動物たちはもはや権利をもたないものとして放置された
り、粗暴な悪童どもの意地悪い気まぐれや残忍性の犠牲になったりすることもなくなるからである。
―そして今日行なわれているように、あらゆる藪医者どもが、自分の無知からくる冒険的気まぐれ
を、無数の動物の身の毛のよだつ苦痛によって実験するような勝手なまねもできなくなるだろう。もち
ろん今日では動物もたいがいの場合クロロホルムで麻酔がかけられることを頭におく必要はある。おか
げで手術中も苦痛をまぬかれるし、手術後は急速に死をあたえて彼らを救うこともできるのである。し
かし今日しばしば行なわれている、神経系統の活動とその感受の度合いをしらべる目的の手術では、麻
酔という手段はとうぜん使うことはできない。つまりまさに観察しようとする活動が停止するからであ
る。そして残念なことには、生体解剖に最も頻繁に用いられるのは、あらゆる動物のなかで道徳的に最
も高尚な動物、すなわち犬である。しかも犬はその神経系統が非常に発達しているため、苦痛の感受度
は他の動物よりも高いのである。良心のやましさを感じるような動物の扱い方は、ヨーロッパでもこの
あたりでやめなければならない。―
517:名無しさん@1周年
16/11/25 13:46:35.22 bWnUclOg0.net
>>503
ヤフオクで売れないものなのかな?
抗議かなんか来るのかなw
518:名無しさん@1周年
16/11/25 13:46:36.91 Zp+buSi/0.net
やっぱ土人は土人だな
519:名無しさん@1周年
16/11/25 13:46:43.39 DM/Uc8gM0.net
シナチョンパヨクかと思ったら沖縄土人だった。
520:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:46:45.88 84rB8Z/F0.net
犬について: 犬を鎖につなぐことの残虐さについて。人間のこの唯一真実な仲間、最も忠実な友、Fr.キュ
ヴィエのことばで言えば、かつて人間が獲得したなかでもいちばんだいじなこの腹心、しかも最高にものわ
かりがよく感受性も鋭敏なこの生き物を、まるで犯罪者のように鎖につなぐとは! つながれた犬は朝から
晩まで、自由と運動にあこがれるばかり。その切なる願いもかなえられることなく、その一生は緩慢な拷問
と化すのだ! こうした残虐さのために、はては犬も犬の本性を失って、かわいげのない、野性むきだし
の、忠実さの欠いた畜生となり、また人間という悪魔にいつもおののいて、びくびくはいつくばる姿に変
わってしまうのである! このようなみじめな姿がもしわたしのせいであり、あけくれその歎きを見ていな
ければならないとしたら、むしろわたしは犬など飼うのをやめて、泥棒にあったほうがましだと思う。(あ
る貴族と彼の鎖につないだ犬については、第一五三節参照。)籠の鳥も恥ずかしいおろかな残虐行為だ。こ
んなものは禁止されるべきで、この場合も警察が人間性の代役をなすべきだろう。
――――――――――――――――――――――――
動物界についてのユダヤ的見解は、道徳にそむいているから、ヨーロッパから一掃される必要があ
る。本質的に、また主要な点で、動物がまったくわれわれと同じものである、ということ以上に明白な
ことがあろうか。そういうことを見誤るようでは、五官のすべてがめくら同然であるにちがいないか、
あるいはむしろ見ようという気がないにきまっているのだ。それというのは、だれでも真理よりは飲み
しろのほうがありがたいからだ。
521:名無しさん@1周年
16/11/25 13:47:04.58 UjIgch/F0.net
アメリカの歴史をみても
リンチなんてふつうだけどね
ヘンリー・フォンダは14歳の時ネブラスカ州オハマで
ロープでつり下げられた若い黒人がリンチされるのを目撃している
522:名無しさん@1周年
16/11/25 13:47:08.18 f12lWCzm0.net
別に生きた人間をそのまま挽肉にしてハンバーグ作ったりはねた生首でサッカーしたり殺した少女を精肉市場にぶら下げて陳列してたりしたわけじゃないよな?
キリスト教徒はすっとぼけてるけどまだ70年しか経ってないからね
523:名無しさん@1周年
16/11/25 13:47:21.56 58h66qeH0.net
>>298
イスラム教はキリストを預言者と認めているからね
キリスト教はムハンマドを預言者と認めていない
ユダヤ教はキリストもムハンマドも預言者と認めていない
524:名無しさん@1周年
16/11/25 13:47:21.72 n+/QbQ9Z0.net
原理主義者を粛清しろよ、イスラム教徒よ。
内々で蹴りつけられないから、信用されないんだよ。
被害者ヅラしてても、しょうがないぞ
525:名無しさん@1周年
16/11/25 13:47:24.45 6GSrhEpAO.net
日本人を冒涜するチョン
526:名無しさん@1周年
16/11/25 13:47:39.10 hTr8QHmC0.net
「悪いのは原理主義者だ!」とかいう擁護が入ることがあるけど
原理主義組織を国ぐるみで支援してるサウジとかどうなるん?
527:名無しさん@1周年
16/11/25 13:47:45.04 CtWfDH0M0.net
おい日本の死刑制度に反対する
日弁連供、パキスタンに抗議しろよ
528:名無しさん@1周年
16/11/25 13:47:49.95 qFjWdTNE0.net
241 :名無しさん@1周年:2016/07/28(木) 19:17:03.58 ID:gmtHR1qV0
白人から劣等種と見られると絶滅させられるのは
アンティル諸島でもタスマニア島でも見られるとおり
242 :名無しさん@1周年:2016/07/28(木) 19:20:02.91 ID:jDqgtiUm0
首都キャンベラの戦争博物館には日本軍将兵の勲章・階級章・軍刀の展示ある
捕虜虐待はもちろん捕虜暴動で大量殺害、投降兵を捕虜にしないで殺害とか公然と行われていたと
529:名無しさん@1周年
16/11/25 13:48:23.96 3fokFG4p0.net
人命より本のほうが大事か?
偶像崇拝禁止なんだろ?本を崇拝してるんじゃないのか?
530:名無しさん@1周年
16/11/25 13:48:57.48 qFjWdTNE0.net
イスラムのキリスト教虐殺は話題になるが
キリスト教、ユダヤ教による他宗教の虐殺は話題にならんのはどうしてや?
●【米国】自殺しようとした妊娠中のネイティブアメリカンの女性、止めに来た警官が射殺
スレリンク(newsplus板)
「青少年・刑事司法センター」の調査によると、
1999年?2011年にアメリカ国内で警官に殺害された人種の中で最も多いのは
ネイティブアメリカンだ。
(人種と年齢の内訳では、20歳から24歳のアフリカ系アメリカ人が
一番多く殺されている)。
531:名無しさん@1周年
16/11/25 13:49:09.72 UrHqPR8l0.net
>>522
>キリスト教徒はすっとぼけてるけどまだ70年しか経ってないからね
何を言ってるの?
532:名無しさん@1周年
16/11/25 13:49:25.77 F31tE8K00.net
>>452
東京都民だけど、東京都民はどうにかしちまってる。
上手く表現出来ないけど人としての大事な部分を失ってるというか、拝金主義というか、思想信条の腐敗が酷い。
コップに入った水に毒を垂らすと上から下が汚染されてくように、東京の上層部が腐敗すれば中層や下層の東京都民もあっという間に腐敗する。
その腐敗を助長してるのが東京のマスコミと教育関係者だよ。
533:名無しさん@1周年
16/11/25 13:49:33.51 WB3qhUj00.net
宗教に託けて殺し合いをしたい人がいる 相手にする暇人と金が動く限り続く
534:名無しさん@1周年
16/11/25 13:49:35.31 uxb0A3eJ0.net
一方的な長ったらしい長文
宗教の悪いところだ
535:名無しさん@1周年
16/11/25 13:50:01.20 eMwjRNZF0.net
だからさっさとイスラムを根絶やしにしろと
536:名無しさん@1周年
16/11/25 13:50:35.04 U3Rr1cPy0.net
やっぱ宗教ってクソだわ
537:名無しさん@1周年
16/11/25 13:50:42.21 Pkwbq9nc0.net
>>1
イスラムもキリストも、おんなじ神様のお使いさんやん。
538:名無しさん@1周年
16/11/25 13:51:49.60 f12lWCzm0.net
>>531
殺しの残虐性はどっこいどっこいって事
539:名無しさん@1周年
16/11/25 13:51:53.93 qFjWdTNE0.net
●日本昔ばなし
大仏の食いにげ
URLリンク(nipponmukasibanasi.seesaa.net)
他の国でこんな話できるか?
大仏が食い逃げしたり、大仏が伊勢参りしたり
540:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:52:13.13 84rB8Z/F0.net
>>536
共産主義者乙w
541:名無しさん@1周年
16/11/25 13:52:26.42 VdSTMU/b0.net
チョンくんたちコーラン焼いてなかったっけ?
542:名無しさん@1周年
16/11/25 13:53:02.29 XmVMSHAN0.net
宗教的熱情に突き動かされて独り言を喚き散らしてる人が居ると聞いて飛んで来ますた
543:名無しさん@1周年
16/11/25 13:53:02.62 gagt64O60.net
もともとこういう野人連中で始末が悪いから多少なりとも教育つけてやろうとして
普及には成功したのがイスラム教だったけど意味なかったって話だよね
544:名無しさん@1周年
16/11/25 13:53:10.36 XBo2TR2q0.net
>>12
宗教がなかったら犯罪もっと増えるよ
545:名無しさん@1周年
16/11/25 13:53:11.45 WB3qhUj00.net
経典 = 屁理屈を捏ね繰りまわした読み物
信じるのは読んで理解出来ないか読めない低層の人々
546:名無しさん@1周年
16/11/25 13:53:29.69 cgPmLzMB0.net
イスラムって悪魔崇拝なんやろな
人類にとって害悪
547:名無しさん@1周年
16/11/25 13:53:35.20 LS5yAR/oO.net
>>530
まったく話題にならない事も無いだろう?トルコ大統領のイスラエル批判ニュースもここにあったぞ?
548:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:53:42.57 84rB8Z/F0.net
第一七九節 旧約聖書と新約聖書
ユダヤ教の根本性格は現物主義と楽天論だ。この二つは血筋の近いもので、本来の有神論の条件であ
る。というのは、有神論は物質界を絶対に現実と見て、人生をわれわれのためにつくられた、快適な一
種の贈り物とみているからである。これと反対に、バラモン教や仏教の根本性格は、精神主義と厭世観
だ。というのは、バラモン教や仏教は、世界を一種の夢のようなものと見ており、人生をわれわれの罪
の結果と見ているからである。周知のようにユダヤ教の源流であるゼンド・アヴェスタ教では、厭世的
要素を代表するものにアフリマンがある。しかしユダヤ教では、このアフリマンがサタンになって、従
属的地位を占めるにすぎなくなる。といってもサタンが蛇やさそりや毒虫の元祖であることは、アフリ
マンと同様である。ユダヤ教はサタンの化身である蛇を人間の堕落に登場させる。つまり楽天観という
ユダヤ教の根本的誤謬を修正するために、サタンを利用するのだ。ところでアダムとイヴの堕落は、明
白な真理には絶対必要な厭世的要素をユダヤ教にもちこんだもので、この宗教では最も正しい根本思想
である。ただし罪に堕ちるということは人間生存の根拠であり、生存に先行するものとして叙述される
はずのものであるが、アダムとイヴの堕落はこれを生存の経過へ移しかえているのである。
エホバがオルムズドであるという適切な確証を提供しているのは、七十人訳エズラ書・第一巻、すな
わちο ιερευς Α(六の二四)だが、ルター訳では省かれている。「王キュロスはイェルサレムに主の家を
建造せしめた。そこでは不断の火によって主に犠牲がささげられていた。」―またアカベア第二書・第一
章および第二章、さらに第三章、最八節も、ユダヤ人の宗教がペルシア人の宗教であったことを証明
している。
というのは、バビロンの捕囚に連れ去られたユダヤ人たちは、ネヘミヤの導きのもとに、あ
らかじめ聖火を乾いた天水槽のなかに隠しておいたため、水につかることになったが、そちに奇蹟に
よってふたたび火があおりたてられたので、ペルシア王に大なる感化をあたえた、と語られているから
である。ユダヤ人と同様、ペルシア人もまた偶像崇拝をきらい、したがって神々を像の姿であらわすこ
とはなかったのである。(シュピーゲルもまた、ゼンド宗教について、それがユダヤ教徒親近性をもっ
ていることを説いているが、しかし彼はゼンド宗教がユダヤ教に由来すると主張している。)―
エホバがオルムズドの一変形であるように、アフリマンの変形がサタン、すなわちオルムズドの敵対
者なのだ。(ルターは七十人訳で、「サタン」となっているところを「敵対者」と訳している。たとえ
ば列王紀略上・第一一章、第二三節。)エホバ崇拝はヨシュア王の治下にヒルキアの援助によって生じ
たらしい。すなわちゾロアスター教徒によって受けいれられエズラによりバビロン追放から帰還した
さいに完成したと思われる。というのは、ヨシュアやヒルキアまでは、あきらかに自然宗教・星辰崇
拝・ベル崇拝・アスタルテ崇拝などがユダヤ王国で行われていたからであり、ソロモン王治下でも同
様である。(ヨシュアおよびヒルキアについての列王紀略を見よ。)
549:名無しさん@1周年
16/11/25 13:53:48.10 qFjWdTNE0.net
>>532
東京都民は、アメリカ猿マネ、妄信がヒドイからな
自動的に一神教的価値観に染まってしまう
550:名無しさん@1周年
16/11/25 13:53:55.40 lQEzewsa0.net
本を崇拝しとんのか
551:名無しさん@1周年
16/11/25 13:53:56.03 3mXPm7hN0.net
キリスト教徒に9条を
552:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:54:15.45 84rB8Z/F0.net
列王紀略: キュロスやダリウスが(エズラ以降)ユダヤ人に好意を示し、その神殿を再建させているが、
これはおそらく、それまでバアル、アスタルテ、モロッホなどを崇拝していたユダヤ人たちが、バビロンに
おいて、ペルシア人が勝利をしめしたときから、ゾロアスター教を受けいれ、エホバという名のもとでオルム
ズドに仕えるようになったせいではあるまいか。そうでなければ、あの好意は不可解である。キュロスがイ
スラエルの神に祈りをささげた(七十人訳聖書のエズラ書・第一巻二の三)ということも、このことと符合
する(そう考えなければ筋が通らないだろう)。旧約聖書のあらゆる先行諸書はのちに、すなわちバビロン捕
囚以後に作成されたが、あるいはすくなくともエホバの教えはのちに挿入されたかしたのだ。とにかくわれ
われはエズラ書・第一巻・第八章および第九章によって、ユダヤ教の最も恥ずべき面を知る。この選ばれた
民はここでその祖先アブラハムの不快・無道な手本にならって行動している。すなわちアブラハムがハガー
ルをイスマエルとともに放逐したように、バビロン捕囚のあいだにユダヤ人と結婚した婦人たちは、ただ人
種的にMauschelでないという理由から、その子供とともに追放されたのだ。この民族のより大規模な非行
を曲飾するために、あのアブラハムの非行があみだされたものでないとしたら、これ以上卑劣なことはほと
んど考えられない。
ユダヤ教の起源がゼンド宗教にあることを確証するものとして、ここについでながらあげておきたい
ことは、旧約聖書やその他のユダヤの典拠によれば、天使が雄牛の頭をもったものになっており、エホ
バがそれに乗って歩くということだ。(詩篇九十九の一.七十人訳聖書列王記略・第二書六の二、および二
二の一一。第四書十九の一五には「ケルビムの上に座したまう汝〔エホバ〕」とある。)エゼキエル書・
第一章および第一〇章の記述などに見られるように、半ば雄牛で半ば人間、また半ば獅子といったこう
した動物は、ペルセポリスにあるいろいろな彫刻、ことにモズルやニルムードで発見されたアッシリア
の彫像のなかに見られる。それどころかヴィーンにある彫像を施した石には、オルムズドがこのような
雄牛のケルビムに乗った姿が描かれている。このことの詳細はヴィーン文学年間一八三三年九月「ペル
シア旅行記」にある。なおユダヤ教のゼンド宗教起源についての詳しい説明は、J・G・ローデがその
著『ゼンド民族の聖なる伝説』で提供してくれる。これらすべてはエホバの系譜に光をあたえるものだ。
これに反して新約聖書はとにかくインド的な由来のものであるにちがいない。道徳を禁欲に移すまっ
たくインド的なその倫理、その厭世観およびその降化がこれを証拠立てている。しかし、まさにそのた
めに新約聖書は旧約聖書と決定的に内面的に矛盾することになり、けっきょくアダムとイヴの堕罪の物
語だけが、両者のつなぎになったのである。というのは、あのインドの教えが約束の国にはいってきた
とき、この世が堕落していて悲惨であり、したがってそれを救う必要があるという認識、降化をはじめ
として、自己否定と懺悔の道徳によって救われるという認識を―ユダヤ的一神教ならびにその楽天的
な「すべてはたいへん良かった」に結びつける課題が発生したのだ。そして、それは事情のゆるすかぎ
り、つまりこれほどまったく異質的な、否、対立的でさえある二つの教えを結びつけうるかぎりにおい
て、成功したのであった。
553:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:54:33.97 84rB8Z/F0.net
支柱や手がかりのいる常春藤のつるが、荒削りな棒杭にからみついて、どんなところでもその不格好
な形に順応し、その形を再現しながらも、自分の生命と優雅でそれに覆い、こうして棒杭ではなしに、
こころよい眺めをわれわれに見せてくれるのと同様に、インドの知恵に発したキリスト教の教えが、これ
とまったく異質的な荒けずりなユダヤ教の古い幹を覆ってしまったのだ。そしてもとの形のうちで保存
されなければならなかったものは、キリストの教えによってまったく別のものに、いきいきとした真実
なものに変えられたのである。それは同じもののように見えながら、ほんとうは別なものなのだ。
つまりこの世と切り離されていた無からの創造者は救世主と同一視され、またそれをつうじて救世主
を代表者とする人類とも同一視されたのだ。なぜなら、人類はアダムにおいて堕落し、それ以後、罪・
堕落・苦悩・死のきずなに巻きこまれていたけれども、救世主において救われることになるからだ。仏
教におけると同様に、ここでもこの世は罪や堕落、苦悩や死としてその姿を示すからである。―「す
べてをたいへん良い」と見たユダヤ的楽天観の光は消えて、いまや悪魔そのものが「この世の君」(ヨ
ハネによる福音書一二の三一)、文字どおりに世界支配者とよばれるのだ。この世はもはや目的ではな
く、手段となる。つまり永遠のよろこびの国は、この世の彼岸、死のかなたにあるのだ。この世におけ
る諦念とあらゆる希望をよりよき世界へ向けることが、キリスト教の精神である。しかしこのような世
界への道をひらくのは、贖罪、すなわちこの世とその道からの解放である。道徳においては、報復権の
かわりに、敵を愛せよという掟があらわれる。無数の子孫を約束することに取ってかわって、永生の約
束があらわれる。犯罪に対する神罰が四代の子孫にまで及ぶということにかわって、すべてを庇護する
聖霊が立ちあらわれるのである。
こうしてわわわれは新約聖書の教えによって、旧約聖書の教えが修正され、転釈を受けていることを
見いだす。このことによって旧約の教えは内面的・本質的にインドの古い宗教と一致するようになった
のだ。キリスト教のもっている真実な点は、すべてバラモン教や仏教にも見いだされる。しかし、無か
ら生命をあたえられ、しばしの時をおくるこの神のこしらえものである人間が、歎きと不安と困窮にみ
ちたこのはかない生存をあたえられたことに対して、いくらへりくだって感謝してもじゅぶんではな
く、そのためにエホバをどのように讃えても讃えきれるものではないというユダヤ的な考え方は、ヒン
ドゥー教や仏教にこれを求めてもむだであろう。なぜなら、新約聖書には、インド的知恵の精神が、は
るかな熱帯の原野からいくたの山河を越えて吹いてくる花の香りのように感知されるけれども、旧約聖
書では、インド的知恵に適合するものは人類堕落論以外にはなにものもないからだ。この堕落論は楽天観的
な有神論を修正するものとして、旧約聖書につけ加えられる必要があったのであり、じじつまた新約聖
書はこれを唯一の手がかりとして、堕落論に結びついたのである。
さてある種を徹底的に知るには、その類を知る必要があり、またその類そのものはふたたびその種
的様相においてのみ認識されるものだ。それと同様に、キリスト教を徹底的に理解しようとすれば、世
界否定的な二つの他の宗教、すなわちバラモン教と仏教を知る必要がある。しかも確実に、できるだけ
精密に知る必要があるのだ。というのは、サンスクリットがギリシア語とラテン語を真に徹底的に理解
する道をわれわれにひらいてくれるのと同様に、バラモン教と仏教こそ、キリスト教を真に理解する道
であるからだ。
554:名無しさん@1周年
16/11/25 13:54:49.95 BJBNoIFv0.net
日本に移民するイスラム教徒にコーランを踏ませようw
555:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:54:58.10 84rB8Z/F0.net
いつか将来、インドの宗教に精通した聖書研究家があらわれて、キリスト教がインドの諸宗教と親縁
関係にあることをその特色をつうじて証明してくれるだろうという期待をさえいだいているわたしだ
が、さしあたって次のような点を注意しておこう。ヤコブの手紙(三の六)に見られる「生存の車輪」
(逐語的には「発生の輪」)という表現は、昔から「解釈者にとっての十字架」つまり難問のひとつだっ
た。ところが仏教では輪廻の車輪はきわめてありふれた概念である。アベル・レミュザの『仏国記』訳
二八頁には、「車輪は輪廻の象徴である。輪廻には円と同じように始めも終わりもないからである」と
書かれており、一七九頁には「車輪は仏教徒にはなじみの象徴である。その意味するところは、魂がさ
まざまな形をとる生存の円のなかで、次から次へと移ってゆくということである」と見える。二八二頁
には、仏陀自身が「真理を悟らぬ者は、車輪の回転によって、生と死におちいるであろう」と述べてい
る。われわれはビュルヌフの『仏教史序論』第一巻四三四頁に、次のような重要な個所を見いだす。
「彼は輪廻の車輪がどういう点にあるかを悟った。この車輪は動くと同時に動かないものであり、それ
には五つの目じるしがあるのである。彼は世人がこの世にはいって行くあらゆる道を破壊することによ
り、この道に対して勝利をおさめたのであった」と。スペンス・ハーディの『東洋の修道生活』(ロン
ドン、一八五〇年)六頁には次のように読まれる。「車輪の回転のように、そこには死と生誕の規則正
しい継起がある。その道徳的原因は物への執着であるが、それをひき起こす原因は業なのである」と。
同書一九三頁および二三三頁参照。また『プラボード・チャンドロー・ダヤ』(第四幕・第三場)には、
「無知は、この死すべき存在の車輪をまわしている情念の源泉である」と見える。継起する諸世界が不
断に生じては消えてゆくことについて、ビルマ原典によるビュナカンの仏教の説明(『アジア研究』第
肋間一八一頁)には、『世界の連続的破壊と再生は、大きな車輪に似ている。この車輪においては、わ
れわれは始めも終わりも認めることはできない」と言われている。(これより長い文章ではあるが、同
じ個所はサンジェルマーノの『ビルマ帝国解説』ローマ、一八三三年、七頁にもる。)
グラウル専門語辞典によると、Hansa とは Saniassi の同義語である。―Johannes (これからドイ
ツ語では Hans がつくられる)という名前は Hansa という語(およびその砂漠における隠遁生活)と
奸計が或るのではあるまいか。―
仏教が外面的に、たまたまキリスト教と類似しているひとつの点は、仏教がその発生地では優勢では
ないことで、つまりどちらも「予言者は自分の故郷では敬われないものだ」と言わざるをえないことだ。
キリスト教がインドのいろいろな教えと一致していることを説明するために、あらゆる推測をほしい
ままにするなら、エジプトへの逃避という福音書の覚え書の根底にはなにか史実があって、イエスがイ
ンド起源の宗教をもつエジプトの僧侶たちによって教育され、彼らからインド的倫理と降化の概念を受
けいれ、のちに故国に帰ってからこれをユダヤの教義に適合させ、古い幹に接木しようと努めたのだ、
と仮定できるかもしれない。イエスは、自分が道徳的にも知的にもすぐれているという気持ちに駆られ
て、ついに自分自身を一個の降化者と見るようになり、したがって自分を「人の子」とよび、ただの人
間以上の存在であることを暗示しようとしたのではあるまいか。一般に物それ自体としての意志には全
能の力があり、それはわれわれも動物磁気やこれに類する魔術的作用などから知っているところだが、
イエスもその意志が強固で純粋であったために、この全能の力によって、いわゆる奇蹟を行なうこと、
つまり意志の形而上学的感化を使って働きかけることができたのだとさえ考えられるであろう。この場
合にもやはりエジプトの僧侶たちの教育が役に立ったのであろう。そしてこうした奇蹟のかずかずを、
のちに伝説が拡大・増大したわけであろう。
556:名無しさん@1周年
16/11/25 13:55:05.93 UrHqPR8l0.net
>>538
もっと分りやすい文章でお願いします。
キリスト教の歴史が70年しか経ってないみたいに見えましたw
韓国とか中国共産党とかイスラエルみたいにw
557:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:55:20.30 84rB8Z/F0.net
というのは、本来の奇蹟というものは、どんな場合も、自然が自分自身にあたえる一種の否認であるは
ずだからだ。ところで、パウロの主要な手紙はなんといってもほんとうのものであるにちがいないが、
そのパウロがしばらくまえに死んだばかりの人を、したがってその同時代者がたくさんまだ生きている
という状況下で、どうして大まじめに受肉して人間となった神であり、世界創造者と同じものであると
説明できたかは、そういう前提のもとで、はじめていくらかのみこめるものになる。普通ならば、この
種の、またこの程度の、まじめに考えられた神化が徐々に熟してゆくには、何世紀もかかるはずだから
だ。しかし他方ではパウロの手紙一般の真正さに対する反証を、ここから引き出してくることもできよう。
一般にわれわれの福音書の根底には、なんらかの原典、あるいはすくなくともイエス自身の時代と環
境に由来する断片ぐらいはあったと思われる。わたしがこういうことを推定するのは、世界の終末がお
とずれて、主なる神が雲のなかに輝かしく再臨されるという、はなはだ不快な予言が行なわれており、
しかもそれは、この約束に立ち会った二、三の人びとがまだ生きているうちに実現するはずになってい
た点からなのだ。ところがこの約束がいつまでたっても果たされなかったことは、じつに困った事情
で、後世になって物議をかもしただけでなく、すでにパウロやペテロも困りぬいていたのだ。このこと
はライマールスのすぐれた著書『イエスとその使徒たちの目的について』第四二節から第四四節にかけ
て詳論されているところである。さてもし福音書が約百年もたってから、当時存した記録もなしに著作
されたとしたら、それが実現しないことが不快にもすでに明白になっていたこの種の予言を福音書のな
かにもちこまないような作者たちは気をつけただろうと推定されるのである。同様に、ライマールスが明
敏にも使徒たちの最初の体系と名づけているものにあたるあの個所を福音書に挿入することもなかった
であろう。この体系に従えば、イエスは彼ら使徒たちにとって、ただ俗世における一介のユダヤ人解放
者にすぎなかったのだ。
こういう挿入がなされたというのも、福音書の起草者たちが、こうした個所をふくむ同時代のいろいろな
記録ををもとにして仕事をしたからだと思われるのだ。というのは、信者たちのあいだで口伝えにつたえら
れていた伝説でさえも、信仰に不都合をきたすようなことは落としてしまったと想定されるからだ。ついで
ながら、ライマールスが彼の仮設にとくに好都合な個所をいろいろ見落としているのは不可解だ。たとえば
ヨハネ一一の四八(この個所を一の五〇、六の一五と比較すること)、マタイ二七の二八ー三〇、ルカ二三
の一ー四、三七、三八、ヨハネ一九ー二二である。しかし、この仮説を真剣に妥当・貫徹させようと思うな
らば、次のような想定が必要となるだろう。すなわち、キリスト教の宗教的・道徳的内容は、ヒンドゥー教
や仏教の教義に精通したアレクサンドレイアのユダヤ人たちによってつくりあげられたのではないか、そこ
へひとりの政治的英雄が悲しい運命を背負って現われたので、もともと後世のメシアであったものを天上的
な救世主につくりかえることによって、これらの教義の結び目にされたという想定である。もちろんこの想
定は矛盾する点が非常に多い。しかし福音書の物語を解明するためにシュトラウスが提示した神話の原理は、
すくなくともその細部に対しては、たしかに正しい。それにしても、この原理がどこまで及ぶかをきめるこ
とは、むつかしいであろう。一般に神話的物語がどういう事情にあるかは、もう少し手近な疑義の少ない実
例について明らかにしなければならない。たとえば中世全般にわたって、フランスでもイギリスでも、アー
サー王はきわめて事蹟の多い、驚くべき人物ではあるが、輪郭ははっきりしており、いつも同じ性格をもっ
て、同一の従者を伴って登場する。王の円卓やそれを囲む騎士たち、王のかずかずの前代未聞の英雄的行為、
その風変わりな執事、その不貞な妃、妃の愛人ランスローなどといったお膳立てで、この王は何世紀もの詩
人たちや物語作者のおきまりの主題になっているが、これらの作者たちはすべて同じ性格をもったもろもろ
の同一人物を登場させており、事件の点でもかなり一致しているのである。ただ服装や習慣の点では、作者
自身のそのつどの時代に応じて、相互にひどく違っているだけの話だ。
558:名無しさん@1周年
16/11/25 13:55:34.67 xD+6bIz40.net
カルト宗教のコピペがまた始まったよ
662 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP :2016/04/01(金) 18:25:47.12 ID:Wpmzur0c.net[39/88]
ほれ
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
これは2011年にアルメニアの聖地エチミアジンで撮影した幸ちゃんの写真だ。
URLリンク(i.imgur.com)
これは2011年にアゼルバイジャンのバクー近郊で撮影したもんだ。お袋も一緒に写ってる。
URLリンク(i.imgur.com)
インドの写真もあるで
URLリンク(i.imgur.com)
559:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:55:51.06 84rB8Z/F0.net
ところで数年前、フランスの内閣は、アーサー王の伝説の起源をしらべるために、ド・ラ・ヴィルマルク氏
をイギリスへ派遣した。そのときの結果は、伝説の根底にある事実については、次のようなことであった。す
なわち、六世紀の始め、ウェールズにアーサーという名の小領主がいて、侵入してきたサクソン人と根気よく
戦ったけれども、そのささいな事蹟は忘れられてしまった、というのである。してみると、この男が、どうし
てだかわからないが、幾世紀もつうじて無数の歌謡・物語詩・物語のうちに讃えられてきたあの輝かしい人物
になったわけなのだ。ヴィルマルケ著『古代ブルターニュの民話。アーサー王の円卓にまつわる叙事詩の起源
についての試論付』(二巻、一八四二年)を見られたい。この『アーサー王伝』では、アーサーは霧のなかの
人物のようにぼんやりとした遠くはるかな存在としてあらわれているが、それでも現実的な核心がないわけで
はない。―中世紀全体をつうじての英雄であるロランについても、事情はほとんど同じである。ロランも無
数の歌謡・叙事詩・物語で讃えられ、さらにロランの甲冑騎士柱像によって称揚され、ついにアリオストにま
でもその素材を提供して、この作品から変容して復活するようになったのである。ところでロランについては、
歴史はたった一回、たまたま、しかも三語をもって言及しているにすぎない。すなわち、アインハルトが彼ロ
ランをロンセスヴァリエスに滞在した名士のなかに「ブリテン王辺疆伯」(Britannici limitis praefectus)
たるロードランドゥスとして数えあげているのだ。そしてこれがわれわれのロランについて知っているすべて
であることは、ちょうどイエス・キリストについてほんとうにわれわれの知っていることが、タキトゥス
(『年代記』第一五巻・第四四章)の一個所につきるのと同様なのだ。別の例を示すものに、世界的に有名な
スペイン人シッドがある。
多くの伝説や年代記、とりわけあの有名なすばらしい『ロマンツェーロ』におさめられている民謡、はて
はコルネイユの最上の悲劇までが彼を讃美しており、しかも主要事件については、とくに妻になったシメ
ーネのことではだいたいにおいて一致している。ところがわずかな歴史的資料が彼について伝えているこ
とは、彼はなるほど勇敢な騎士、すぐれた将軍ではあったが、非常に残酷・不実な性格の持ち主であり、
それどころか、ときによって仕える党派を変え、キリスト教徒に奉仕するよりもむしろサラセン人に味方
するほうが多かったような節操のない人物であり、それはまるで一介の傭兵隊長に類するが、シメーネの
ひとりと結婚している、といったこと以上に出ないのである。こうしたことの詳細は、はじめて正しい
典拠に行きついたと思われるドージの『スペイン史研究』(一八四九年)第一巻から知ることができる。
―イリアスの歴史的根拠ははたして何であろうか?―じっさい、こうした問題の実態につきあた
るには、ニュートンのりんごの逸話を念願におくがよいのだ。この話に根拠がないことについては、わ
たしはすでに第八六節で説明したとおりなのだが、それでも何千という本でくりかえされているところ
で、現にオイラーさえも、『皇女あての書簡』の第一巻で、麗々しく述べたてているのだ。―およそ歴
史的事実はたいせつにすべきものである以上、残念ながら現状に見られるように、われわれは大嘘つき
であってはなるまい。
560:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:56:06.71 84rB8Z/F0.net
第一八〇節 宗派
原罪ならびにこれと結びつく点を教義にかかげているアウグスティヌス主義は、すでに述べたよう
に、理解のゆきとどいた本来のキリスト教である。これに反してペラギウス主義は、キリスト教を粗
野・平板なユダヤ教とその楽天観に逆転させようとする努力である。
教会をたえず二分してきたアウグスティヌス主義とペラギウス主義の対立は、その究極の根源までお
しつめれば、前者は事物の本質そのものを論じているのに対して、後者は自分では本質と思いながら現
象を問題にしているにすぎない、というふうに還元できよう。たとえばペラギウス派は、まだなんにも
していない子供には罪がないにきまっているという理由から、原罪を否定する。―こういうことを言
いだすのは、なるほど子供は現象としては存在しはじめたばかりではあるけれども、物それ自体として
はそうでないことを、彼らが見ぬいていないからなのだ。意志の自由についても、救世主の贖罪の死に
ついても、恩寵についても、要するにすべての点について、同じことが言える。―それがわかりやす
く平板であるために、ペラギウス主義はいつでも優勢であるが、現代ではとりわけ合理主義として幅を
きかせている。ギリシア正教教会はペラギウス主義をやわらげたものである。トリエント公会議いらい
カトリック教会もこれと同様で、そのためカトリック教会は、アウグスティヌス的立場に立つがゆえに
神秘的な思想をもったルターや、さらにまたカルヴァンに対抗しようとしたのだ。同様にイエズス派も
半ばペラギウス主義的である。これに反してヤンセン派はアウグスティヌス主義を奉じており、彼らの
見解がおそらくキリスト教の最も純正な形であろう。というのは新教は、独身や一般に本来の禁欲を否
定し、禁欲の代表者である聖者を否認したことによって、すりきれた、あるいはむしろ画龍点晴を欠い
た腰くだけのキリスト教になってしまったからだ。こうなってはどうにもならない。
561:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:56:23.70 84rB8Z/F0.net
第一八一章 合理主義
キリスト教の真髄は、アダムとイヴの堕落・原罪の教えである。すなわち、われわれの自然の状態は
度しがたく、自然的人間は堕落しているという教えであり、これに救世主による代理と贖罪が結びつ
き、われわれはこの救世主に対する信仰によって贖罪にあずかるというのである。このためキリスト教
は厭世観とみられるのであって、したがってユダヤ教の楽天観や、またユダヤ教の正統の子供である回
教の楽天観にはまさに対立するが、バラモン教や仏教とは類似するものとなるのである。―すべての
人はアダムにおいて罪を犯し、永劫に罰せられているが、救世主において救われるということには、人
間の本来の本質と真の根源が個人にあるのではなくて、人間の(プラントン的な)イデアである種にあ
るということ、個人は時間のうちにくりひろげられるイデアの現象にすぎないということも、表現され
ているのである。
もろもろの宗教の根本的差異は、それが楽天観であるか厭世観であるかという点にあるのであって、
一神論であるか多神論であるか、三神一体であるか三位一体であるか、汎神論であるか、それとも(仏
教のように)無神論であるかといった点にあるのではない。だからこそ、旧約聖書と新約聖書はたがい
に正反対なのであって、これを結びあわせると一個奇怪な半人半馬ができあがるのだ。つまり旧約聖書
は楽天観、新約聖書は厭世観だからだ。旧約聖書はたしかにオルムズド教に由来するが、新約聖書はそ
の内面的精神からいえば、バラモン教や仏教に親縁で、たぶん歴史的にもなんとかこれらの宗教から導
きだすことができよう。音楽にたとえれば旧約は長調、新約は短調だ。ただ人類堕落論だけは旧約聖書
のなかでひとつの例外をなしており、キリスト教が唯一の接点としてふたたびとりあげるまでは、利用
されないままに一種の前菜にとどまったのである。
右に述べたキリスト教の根本性格は、アウグスティヌス、ルター、メランヒトンがきわめて正しく把
握しており、これを最大限に体系化しているのであるが、われわれの現代の合理主義者たちは、ペラギ
ウス派の亜流として、この根本性格をできるだけ抹消し、あらぬ解釈をほどこして、キリスト教を味気
ない、利己主義的・楽天観的なユダヤ教に還元しようとしている。そこへ彼らはよりよき道徳をつけ加
え、論理的に徹底した楽天観が要求するものとして来世を説くのだ。つまりこのすばらしい人生があま
りに早く終わらないようにというわけだ。つまり彼らの楽天観的見解を大声で打ち消すやつ、しかし結
局は石の客として陽気なドン・ファンをおとずれるあの死神を片づけたいわけなのだ。―
こうした合理主義者たちは誠実な人種ではあるが、平板な頭しかもっていない連中だ。彼らには新約
聖書の神話の深い意味など、見当もつかない。彼らは自分たちの把握できる、また彼らにふさわしいユ
ダヤ的楽天観を超えられないのである。その欲するところは、歴史的な面でも、教義的な面でも、むきだ
しの無味乾燥な真実で、われわれは彼らを古代のエウヘメロス主義に比較することができる。もちろん
超自然主義者の唱えるところは、本質的には一個の神話である。しかしこれは重要で深遠な真理をはこ
ぶ車なのであって、真理を大衆の理解に近づけるには、他の方法では不可能であろう。ところでこれら
合理主義者たちが、キリスト教の意味と精神を認識するどころか、その見当もついていないことは、た
とえば彼らの偉大な使徒ヴェークシャイダーがその素朴な教義論で示しているところだ。すなわち彼は
その『教義論』(第一一五節および注)で、原罪ならびに自然的人間の本質的堕落についてのアウグス
ティヌスや宗教改革者たちの深い発言に対して、『義務について』の諸巻に見られるキケロの気のぬけ
たおしゃべりを対置してはばからないのである。彼にはこのおしゃべりのほうがずっと気にいるから
だ。われわれはじっさい、この男がなんのこだわりもなく自分の無味乾燥ぶりと平板さをさらけだし、
それどころかキリスト教の精神に対する理解が皆無であることを見せびらかすのを見て驚かざるをえな
い。しかし彼はたんに「多くのなかのひとり」にすぎない。
562:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:56:44.28 84rB8Z/F0.net
現にブレトシュナイダーは、原罪と救済がキリスト教の精髄であるのに、原罪を聖書からしめだすよう
な解釈をほどこしているではないか。―
他方、超自然主義者はときとして、もっと始末のわるい存在、すなわち言葉の最もわるい意味での坊
主であることは否定できないことだ。そこでキリスト教はまるでスキュラとカリュブディスのあいだを
どうしたらきりぬけるかという羽目になるのだ。両派の共通の誤謬は、ともに宗教のなかに、ヴェール
をかぶらない。無味乾燥な、文字どおりの真理を求めていることだ。しかし真理は哲学においてのみ追
究されるもので、宗教の有する真理は、民衆に適合した、間接的・象徴的・比喩的真理にすぎない。キ
リスト教は、ある真実な思想を模写しているひとつの比喩である。しかし比喩そのものは真理ではな
い。にもかかわらずそれを仮定することが、超自然主義者と合理主義者に共通する誤謬なのだ。超自然
主義者は比喩をそれ自身真実であると主張する。合理主義者はひねくった解釈をこねまわしたすえ、彼
らの尺度なりに比喩がそれ自体として真実たりうるようにしようとする。こうしておいてから両派はた
がいに適切・強力な論拠をひっさげて論争する。合理主義者は超自然主義者にむかって、「きみたちの
教説は真実じゃない」と言い、これに対して超自然主義者は、「きみたちの教説はキリスト教じゃない
よ」と合理主義者にやりかえすのだ。両者ともその言いぶんにまちがいはない。合理主義者は理性を尺
度としていると信じているが、じつは有神論と楽天観の前提にとらわれた理性を尺度としているにすぎ
ない。それはちょうどあらゆる合理主義の原型であるルソーの『サヴォワ副牧師の信仰告白』のような
ものだ。それゆえ合理主義者がキリスト教の教義のなかで残しておこうとするのは、彼らが本来的意味
で真とみなすもの、すなわち有神論と霊魂の不滅以外にはない。もし彼らがこの場合、無知の厚かまし
さで純粋理性に訴えるならば、われわれは彼らに純粋理性批判をお見舞いしなければならない。
それは彼らに否も応もなく次のことをわからせるためだ。すなわち、彼らが理性にかなったものとして選
びだして保持している教義は、内在的原理を超越の世界に適用しているにすぎないということ、したがっ
て彼らのその教義は、カントが『純粋理性批判』の各ページで叩き、まったく無価値なものと立証してい
る、あの無批判的な、支持できない哲学的独断論にすぎないということである。こういう不合理を犯し
ている以上、合理主義者という彼らの名前からして、じつは彼らが合理主義に敵対するものであること
を示しているのだ。したがって、超自然主義にはそれなりの比喩的真理があるけれども、合理主義には
どのような真理も認めることはできない。合理主義者の言いぶんはまったく筋が通っていないのだ。合
理主義者を志す者は、哲学者にならなければならない。哲学者である以上は、あらゆる権威から解放さ
れなければならず、なにものにもひるむことなく前進しなければならない。しかし神学者を志す者は、
その一筋を通すべきで、権威の基礎を見捨ててはならない。たとえ権威が不可解なことを信じよと命令
する場合でも、うしろを見せてはならないのだ。ひとは二君に仕えることはできぬ。理性に仕えるか、
聖書に仕えるか、あれかこれかである。この場合、中庸とは二つの椅子のあいだにすわること、不可能
事を意味する。信仰するか、哲学するか! どちらでも選んだほうに徹底すべきだ。ところが、ある点
までは信仰してそれ以上に進まず、同じように、ある点までは哲学してそれ以上に進まぬということ、
―これこそ合理主義の根本性格をなす中途半端というものだ。ところで合理主義者は、彼らがまった
く誠実に仕事にあたり、だますといっても自分自身に限られている点では、道徳的に是認できるけれど
も、超自然主義者のほうは、単なる比喩にすぎないものを本来的意味の真理だと言いはることによっ
て、たいがい故意に他人をだまそうとするのである。とはいえ、超自然主義者の努力によって、比喩の
なかにふくまれている真理は救われるのだ。
563:名無しさん@1周年
16/11/25 13:56:47.85 GpC0/uSo0.net
>>541
チョンはデモで焼いているねえ
564:名無しさん@1周年
16/11/25 13:56:56.58 13yLrL8W0.net
イスラム教の経典には、ユダヤ教徒とキリスト教徒は殺せ
多神教徒は人間じゃないから、殺しても強盗・強姦してもいいって書いてある
イスラムの教えどおりにやっただけ
イスラム教徒が日本で増えたら、日本人を殺したり強盗・強姦しまくる
565:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:57:05.13 84rB8Z/F0.net
ところが合理主義者は、その北方的冷静さと平板さから、比喩に含まれた真理を投げだすと同時に、
キリスト教の全真髄をも惜しげもなく捨ててしまい、それどころか、八十年まえにヴォルテールが一
気に行きついたところへ、一歩一歩と進みながらも結局は行ってしまうのである。彼らが神の特性
(通性原理)を定めるにあたっては、いわゆる「神」という単なる言葉・標語ではとうていまにあわ
ないのだが、それが人間でもなく自然力でもないという、ちょうどその中間を射当てようと慎重にね
らっている彼らの様子を見るのは、ときとして愉快な見ものだ。だが、そういうことはもちろん困難
なことである。ところで合理主義者と超自然主義者がそうして戦っているうちに、ちょうどカドモス
がまいた龍の歯のたねから生まれた甲冑の勇士たちのように、両派ともたがいに疲れはててしまう。
そのうえ、ある側面から活動を開始する似非信心が、この事態にとどめを刺す。イタリアの諸都市の
謝肉祭で、冷静に、まじめにそれぞれの仕事にはげんでいる人々のあいだを気ちがいじみた仮面が走
りまわっているのが見られるように、今日のドイツでは、哲学者・自然科学者・歴史家・批評家・合
理主義者のあいだを、もう何世紀もまえの衣裳を身につけた似非信心の徒が騒ぎまわっているのが見
うけられる。その効果は、とくに彼らが熱弁をふるうときには滑稽だ。
信仰は愛情のようなものだ。強制できないのであるだから、国家的手段で信仰を採用したり固定し
たりしようとするのは、不都合な試みである。というのは、愛情を強いようとする試みが憎しみを生む
ように、信仰を強いようとする試みこそ、かえってほんとうの不信仰を生みだすからだ。信仰をおし進
めるには、あらかじめ周到な用意をととのえて、間接的にやらねばだめだ。つまり信仰が伸びるような
いい土壌をととのえる必要があるのだ。この土壌がすなわち無知なのである。だからイギリスでは昔か
ら現代にいたるまで無知に気をくばって育ててきたので、国民の三分の二は文盲というありさまだ。
だから今日でもイギリスでは、ほかの国でさがしても見つからぬような盲信がのさばっている。しかし
政府はいまや国民教育を僧侶の手から取りあげつつあるから、やがて信仰も下り坂になるだろう。―
そういうわけで全体としてはキリスト教は、たえず科学によって足もとをくずされながら、しだいにそ
の終末にむかって進んでゆくのだ。それにしても、原典をもたぬ宗教だけが滅びるという考察からキ
リスト教にも脈はあると見ていいかもしれない。ギリシア人やローマ人、これら世界を支配した民族の
宗教は滅びた。これに反して軽蔑されたユダヤ民族の宗教は残った。同様にゼンド民族の宗教も拝火教
徒のあいだで維持された。だが、ガリア人、スカンジナヴィア人、ゲルマン人の宗教は滅亡した。しか
しバラモン教や仏教は存続して栄えている。この二つの宗教は、あらゆる宗教の中で最古のものであ
り、詳細な原典をもっているのである。
※宗教にうしろめたいところがあるにちがいないことは、宗教を馬鹿にすることがじつに重い刑罰で
禁止されていることからも推しはかられる。ヨーロッパの諸政府は国教を攻撃することを禁じている。
ところがこの政府自体は宣教師をバラモン教や仏教の諸国に派遣しており、彼ら宣教師はその国々の宗教
をさかんに徹底的に攻撃している、―彼らの輸入した宗教が割りこめるようにと。それでいて、ひとた
びシナの皇帝やトンキンの大官がこういう人たちの首をはねたりすると、政府筋は悲鳴をあげるのだ。―
566:名無しさん@1周年
16/11/25 13:57:05.78 NWCpkR6tO.net
>>543
やっぱりネトウヨ=中卒なんだなあ。
いまある科学技術の多くはイスラムが起源なのに、そんな世界史の常識さえ知らない。
567:名無しさん@1周年
16/11/25 13:57:16.88 UrHqPR8l0.net
>>544
そういう連中の集まりが
イスラム教徒になるから他宗教への攻撃やら暴徒化するような事件が多いんだよね。
568:名無しさん@1周年
16/11/25 13:57:38.11 LS5yAR/oO.net
84rB8Z/F0
↑
いい加減にしろコピペスレ私物化野郎!
宗教云々よりネットにあるお前の写真消せや?目が腐るわキモ顔!
569:名無しさん@1周年
16/11/25 13:58:08.34 KNPRpLRB0.net
偶像崇拝NGの草加もご本尊を古雑誌と一緒に
うっかり捨てられたら、転してやりたいと思うのかな
570:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:58:21.34 84rB8Z/F0.net
>>568
写真を何度も貼ってる奴に言えよw
571:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:58:49.90 84rB8Z/F0.net
第一二八節
一つの個別的出来事を基礎とする宗教、しかも、これこれの場所、これこれの時に起こった事件を世
界ならびに生存の転回点にしようとする宗教は、基礎そのものが薄弱だから、人びとがいくらか反省す
るようになると、たちまち存立することができなくなる。これにひきくらべ仏教で何千という仏陀を想
定しているのは、まことに賢明ではないか! これはキリスト教の二の舞を演じないためだ。キリスト
教では、イエス・キリストがこの世を救済したことになっていて、キリスト以外に救いはありえない、
―だが、エジプト、アジア、ヨーロッパにその堂々たる記念碑を残している四千年の歳月は、キリス
トのことなんか知るはずもなく、このキリスト以前の諸時代が、あらゆるその壮麗さとともに、とつぜ
ん悪魔にくわれてしまったとは! たくさんの仏陀が必要なわけは、ひとつひとつのカルパを終わるご
とに世界は滅び、そしてこの世界とともに教えも滅びるので、新しい世界ごとに新しい仏陀が求められ
るからなのだ。救いはつねにあるわけなのだ。―
文明がキリスト教的諸国民において最も高いということは、キリスト教が文明に幸いするせいではな
くて、キリスト教が死滅していて、ほとんど影響力をもっていないためなのだ。キリスト教が影響力を
もっていたあいだは、文明はおくれていた。すなわち中世がそうだ。これに反し、回教、バラモン教お
よび仏教は、いまでも人生に対して徹底的影響力をもっている。影響力がいちばん少ないのはシナで、
だから文明もその高さにおいてヨーロッパにほとんど比肩する。すべての宗教は文化と敵対関係にある。―
宗教は昔は軍隊でもその背後に駐留して隠れることのできた森であった。現代で同じことをやろう
としても、うまくいかない。というのは、さんざん伐採したから、この森も藪になってしまって、たま
にぺてん師が身をひそめるくらいになってしまったからだ。だからわれわれはなんにでも宗教を引き入
れようとする連中を警戒しなければならない。そしてこういう連中には、さきに引用した格言「十字架
のうしろには悪魔がいる」で対抗すべきだ。
572:名無しさん@1周年
16/11/25 13:59:00.03 jOpk/jNP0.net
それでもゴキブリ自民は税金を使って
社会のあらゆる面で犯罪移民だろうがカルトだろうが定着させようとしてる。
自分らの利益のために日本人を海外に売った連中の
直系が自民党だよな。
ちゃんと国民が動けば自民だろうが民主だろうが吹っ飛ぶだろ?
愛国心を持って自民党を日本から駆逐意識を持って動かないとダメ
573:名無しさん@1周年
16/11/25 13:59:07.78 z6G+6iu00.net
>>20
それもそうだな
574:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:59:09.49 84rB8Z/F0.net
第一六章 サンスクリット文学に対する二、三のこと
第183節
サンスクリットで書かれたものでは、わたしは宗教および哲学方面の作品は大いに尊敬するけれど
も、文学作品には、ただまれにしか楽しみを見いだすことができなかった。ときには、これら文学作品
の無趣味で奇怪なことは、これを生みだした諸民族の彫刻に劣らないという気がしたこともある。彼ら
の戯曲をわたしが評価するのも、宗教的信仰や風習に対してたいへん教えるところの多い説明や例証が
そこにふくまれているためにすぎない。すべてこうしたことは、詩がその本性上、翻訳できないために
起こることだろう。というのは、詩では、思想と言葉があたかも「胎盤における子宮の部分と胎児の部
分」のように緊密・強固に癒着しており、この言葉を外国語に置きかえると、思想を傷つけざるをえな
いからだ。もともと詩として韻をふんだものは、思想と言葉がとりむすんだ一種の妥協ではないか。し
かしこれは事の性質からいって、思想の生まれてきた母胎であるそれ自身の地盤でのみできることで、
われわれがそれを移植しようという外国の地盤、しかもたいがいの翻訳者の頭のような不毛な地盤では
できない相談だ。およそ何が対立するといっても、詩人がその感興を自由に吐露し、それがおのずから
本能的に韻律となってあらわれる場合と、翻訳者が冷たく打算的に、痛々しいばかりに四苦八苦して
綴りを数え韻をさがす場合にまさるものがあろうか。しかもヨーロッパには直接われわれに話しかけて
くる詩的作品にはこと欠かないが、正しい形而上学的知見には大いに不足しているから、サンスクリッ
トから翻訳する人たちが、文学作品などにはあまり苦労しないで、むしろその労苦をヴェーダやウパニ
シャッドや哲学的著作にふりむけるべきだと、わたしは考えている。
第一八四節
ギリシア・ローマの著述家のものでさえ、これをほんとうに正しく、精確に、いきいきと理解するに
は、そのために周到に養成されたえりぬきの教師に助けてもらい、何世紀ものあいだに成就されたすば
らしい文献学的補助手段を使っても、なかなか困難なことである。しかもギリシア語やラテン語は、な
んといってもヨーロッパにおけるわれわれの先輩の言葉であり、現に生きているもろもろの言語の母で
あるのにひきくらべ、サンスクリットは千年もまえに遠いインドで話されていた言葉であり、これを学
びとる手段も比較的まだ非常に不完全である。こうしたことどもを考慮にいれ、さらにそこへ、ヨー
ロッパの学者たちがサンスクリットから訳したいろいろな翻訳が―ごく少数の例外を除いて―わた
しにあたえた印象をつけ加えてみると、われわれのギムナジウムの三年生あたりがギリシア語のテクス
トを解するよりも、われわれのサンスクリット学者がその原典を理解する力はべつにうわまわっていな
いのではないかといった疑いが、わたしの胸にしのび寄ってくるのだ。しかしこうした学者は子供でな
く、知識も悟性もそなえた立派なおとななのだから、もちろんいろいろなまちがいが「才能しだいで」
まぎれこむことはあっても、彼らが真に理解したことから、全体としてはほぼおおよその意味は伝えて
いると思われるのだ。しばしば暗中模索のていのヨーロッパのシナ学者のシナ語ときては、はるかにひ
どいものがある。これはシナ学者のなかでいちばん徹底した学者たちでさえ、おたがいに訂正しあい、
ひどい誤謬を指摘しあっているのを見れば、このことにまちがいはないという確信が得られるのだ。こ
の種の例はアベル・レミュザの訳した『仏国記』にしばしば見いだされる。
575:名無しさん@1周年
16/11/25 13:59:17.25 8m/9PDPt0.net
>>159
捨て方ある
>>160
神道も大概だっつうか廃仏毀釈忘れんなよ
576:名無しさん@1周年
16/11/25 13:59:28.52 fm0zgv540.net
平和行為だから、無罪。
イスラムにおいては、他宗教をぶっころすのは「平和行為」。
やさしそうなイスラムも、平和行為には参加する。
まあ、レイシストだから。
他宗教をそういう目(人間以外)って目でみてんだ。
やな宗教だね。
イスラムはレイシスト。
577:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:59:37.66 84rB8Z/F0.net
話かわって、アウラングズィーブの兄にあたるダーラー・シュコー回教主がインド生まれでインドの
教育を受け、しかも思索的で好奇心をもち、学問もあったから、つまりわれわれがラテン語を解する程
度にはサンスクリットを解しえたであろうし、そのうえ多数の学者を協力者としてもっていたことを考
えると、彼がウパニシャッドをペルシア語に訳させた仕事は立派なものにちがいないという思いが、なに
はさておき、わたしにはするのである。さらにわたしは、このペルシャ語をアンクティル・デュペロン
がいかにも深い、事柄にふさわしい畏敬の念をもって取り扱っているのを見る。すなわち彼はこのペル
シア訳を一語一語ラテン語に訳したのだが、ラテン語の文法を無視して、ペルシア語の文章構造を精確
に再現し、回教主が訳さないでおいたサンスクリットの単語もそのままにして、ただこれを語句註解で
説明するにとどめているのである。さてこそわたしはこのラテン語を心から信頼して読むのだが、うれ
しいことにこの信頼はただちにむくわれるのだ。なぜなら、この『ウプネカート』は完全にヴェーダの
神聖な精神を呼吸しているからだ! 勤勉に読むことによって、この比類ない書のペルシア語・ラテン
語に精通した者は、心の奥底からあの神聖な精神にとらえられるのだ! なんと一行一行が、明確に限
定された、全体的に相呼応する意味にみちみちていることか! 全体に一種の高い神聖な厳粛の気がた
だよっていながら、どの頁からも、深い、根源的な、崇高な思想がわれわれを迎えてくれるのだ。ここ
ではすべてがインドの大気と自然にかよう根源的な存在のいぶきを呼吸している。そして、おお、精神
はここで、なんとすがすがしく洗われることだろう! この精神にはやくも注入されたいっさいのユダ
ヤ的迷信、ならびにこの迷信に迎合するあらゆる哲学から洗い清められるのだ!(サンスクリットの原
典を除けば)、これはこの世で可能な最もむくわれることの多い、心をたかめてくれる読みものだ。そ
れはわたしの生涯の慰めであった。それはまたわたしの死の慰めともなろう。―『ウプネカート』が
ほんものであるかどうかに対してもちだされたある種の疑いについては、わたしの『倫理学』の二七
一頁(第二版二六八頁)の欄外注を指示しておく。
ついでながら言っておくが、この最後の問いも、いま引用した節全体と同様、カント以後の哲学教授
連が、絶対者、つまり平たくいえば原因をもたぬものを、しょっちゅう彼らの哲学的思索の主題にする
ことを押しとどめはしなかった。これこそまさに彼らにうってつけの思想なのだ。一般にこの教授連は
救いがたい人種だ。彼らの書物や講演のために貴重な時を失わぬよう、わたしは切にすすめてやまない。
木や石や金属から偶像をつくろうと、抽象的概念からそれをつくろうと、結局は同じだ。人格的存在
者をまえにして、それに犠牲をささげたり呼びかけたり、感謝したりすれば、とたんにそれは偶像崇拝
になる。自分の羊を犠牲にささげるか、それとも自分の気持ちをささげるかは、根本においてそれほど
違ったことではない。どんな儀式あるいは祈祷も、文句なく偶像崇拝の根拠である。だからあらゆる宗
教の神秘的宗派は、その最奥義を究めた人に対しては、いっさいの儀式を抜きにする点で、一致するの
である。
578:名無しさん@1周年
16/11/25 13:59:50.04 1/u4wE8E0.net
イスラムの国パキスタンでもこれは死刑か
まともでよかった 一部の原理主義者の暴走はどんな宗教にも付きものだ
579:名無しさん@1周年
16/11/25 14:00:00.84 zhTDRfja0.net
日本でも富山コーラン事件があっただろ?
あれも在日イスラム教徒が集まって抗議していたよ
日本で騒ぎを起こすなら出て行けよ
騒ぎを起こすイスラム教徒は出て行け
イスラム教の国で好きにしろ
580:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 14:00:01.55 84rB8Z/F0.net
さてインドの聖典やインドの哲学者たちの著作のヨーロッパ語訳をこのデュペロン訳と比べてみて、
わたしはこれらの訳からは正反対の印象を受ける(もちろんきわめて少数の例外はある、たとえばシュ
レーゲル訳のバガヴァド・キタ、コールブルック訳のヴェーダのニ、三の個所)。これらの訳が提供す
るのは複雑な文体の文章で、その意味は一般的・抽象的であり、ときに動揺して不明確であり、その関
連もゆるく、原典をもつ思想の漠然とした輪郭しか得られず、その埋め草にはわたしはなにか異質のも
のを認める。往々、矛盾もすけて見えるし、全体として近代的で空虚・平板で味気なく、意味貧弱で西
洋的なのだ。それはヨーロッパ化され、イギリス化・フランス化され、(いちばん悪いことだが)ドイ
ツ的に霧がかかっていたりする。つまり、明確な意味のかわりに、漠然とした冗漫な言葉が提供される
だけなのだ。たとえば「インド文庫」四一号(カルカッタ、一八五三年)におけるレーアの最近の訳など
だ。これを見ると、複雑な文章を書きなれているいかにもドイツ人という感じで、はっきりしたことを
考えることは他人におまかせしているのだ。それに「ユダヤ的悪臭」もぷんぷんにおってくる。こうし
たことはすべて、この種の翻訳に対するわたしの信頼を弱めるものだが、とりわけこれらの訳者がその
勉強をパンを稼ぐためにやっていることを考えると、なおさらだ。ところが人格高潔なアンクティル・
デュペロンは訳にあたってそういう私事を求めたのではなく、学問と悟りに対する純粋な愛によって訳
業に駆りたてられたのであり、回教主ダーラー・シュコーがその報酬として得たものは、皇帝である弟
アウラングズィーブが彼の足もとにひれふしたその叩頭だけであったのだ、―「神のさらに大なる光
栄のために」。ウパニシャッドの真の知識、したがってヴェーダの真実な教義の奥義は、今日まで『ウプネ
カート』によってのみ得られるというのが、わたしの確信するところである。他の訳を読了してみても
問題の見当さえつかないのだ。そのうえ回教主ダーラー・シュコーには、イギリスの学者たちが手にし
えたよりも、はるかに良い完全なサンスクリットの写本が提供されていたと思われるのである。
第一八五節
ヴェーダのサンヒターは、ウパニシャッドと同じ作者の手になるものでもなく、時代も違っている可能
性がある。ローゼンの訳したリグ・ヴェーダのサンヒター第一巻とスティーヴンソンの訳にかかるサ
マ・ヴェーダのそれをあわせ読むと、そういう確信が得られる。いずれも祈祷と祭式からなっている
が、かなり素朴な星辰崇拝の趣がある。ここで呼びかけられる最高神はインドラであり、インドラとと
もに太陽・月・風・火があげられる。あらゆる讃歌をつうじ、これらのものにきわめて卑屈な追従の言
葉がささげられ、また犠牲もささげられる。牛・飲食・戦勝などに対する懇願もある。讃えられる唯一
の徳は、犠牲と、僧に施しものをすることだけである。
オルムズド(のちにこれがエホバになった)は(J.J.シュミットによれば)もともとインドラで
あり、さらにミトラも太陽神であるから、ゾロアスター教徒の拝火はたぶんインドラとともにペルシア
人に渡ったものであろう。―ウパニシャッドは、まえにも述べたとおり、最高の人間叡智の産物であ
る。これはまた学識のあるバラモンだけがひもとくべきことになっている。だからデュペロンも「ウパ
ニシャッド」を「秘すべき神秘」(奥義書)と訳している。これに反しサンヒターは秘伝でなく、間接的
であるが一般人のためのものである。典礼、すなわちおおやけの祈祷や犠牲の儀式がその内容だから
だ。したがって、右にあげた訳から判断すると、味のない読みものだ。もちろんコールブルックも『ヒ
ンドゥー教徒の宗教的儀式について』と題する論文で、サンヒターの他の諸巻から讃歌を訳してくれて
いるが、これはウパニシャッドに似た精神のいぶきを呼吸している。とりわけ第二の論文『形をとった精
神』などにある美しい讃歌はそうで、これはわたしが第一一五節で訳出しておいたところである。
581:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 14:00:20.71 84rB8Z/F0.net
第一八六節
巨大な石の寺院がインドに建てられた時代には、おそらく物を書く術はまだ発明されておらず、この
寺院に住む多数の僧侶たちがヴェーダの生きた容器であったのだろう。つまりひとりひとりの僧ある
いは各派で、その一部を暗記して伝えたのである。ドゥルイド僧がやったように。のちになって、やは
りこの寺院で、したがってきわめてふさわしい環境のなかで、ウパニシャッドは起草されたのであろう。
第一八七節
サーンキヤ哲学は仏教の先駆とみられているが、われわれはウィルソンの完訳でイーシュヴァラ・ク
リシュナの『サーンキヤ・カーリカー』(数論頌)にこれを見ることができる。(この訳もやはり不完全
で、霧をとおして見る思いではあるが)。この哲学は、あらゆるインド哲学の主要な教義、たとえばこ
の悲しい存在から救われることが必要であるとか、行動に比例して魂が移りゆくとか、悟りこそ救済の
根本要件であるなどということを詳細に、また厳粛に説いているかぎりにおいて、興味ぶかく、また教
訓的である。インドでは数千年らい、こうした教義に心を向けることに、きわめて真剣なものがあった
のだ。
この哲学がとかくするうちに、ひとつの誤った根本思想、すなわちプラクリティとプルシャに分か
れる絶対二元論によって台なしにされるのをわれわれは見る。これがまたサーンキヤがヴェーダからは
なれていく点でもある。
―プラクリティとは明らかに「能産的自然」であると同時に物質それ自体で
ある。すなわちいっさい形をとらないから、考えられるだけで、具体的には見ることのできない物質そ
のものなのだ。こういうふうに解釈してみると、すべてのものがそこから生まれてくる意味で、プラク
リティは「能産的自然」とまったく同一視してさしつかえない。ところでプルシャとは認識主体であ
る。なぜならこれは知覚するものであり、行動しない単なる傍観者であるからだ。ところでこの二つの
ものは、絶対的差異をもったもの、たがいに無関係なものと受けとられている。そのため、どうしてプ
ラクリティがプルシャの救済のために骨を折るのか、その説明が不十分になってくる(六〇詩節)。さ
らにプルシャの救済こそ究極の目的であるということが、全作品をつうじて説かれている。ところが
(六二、六三詩節では)とつぜん、救済されるべきはプラクリティであるとなっている。―こうした
矛盾は、プラクリティとプルシャには共通の根があるのだと仮定すれば、すべてなくなるであろう。教
祖カピラの意に反することではあるが、全体はなんといっても、そういう共通の根を示唆しているの
だ。あるいはプルシャはプラクリティのひとつの変態だと仮定してみるのだ。そうすればいずれに
しても二元論は解消することになろう。―わたしは事をわかりやすくするために、プラクリティに意
志を、プルシャに認識主体を見ざるをえない。
サーンキヤに見られる独特なせせっこましさと形式的拘泥は、数論、すなわちあらゆる特性その他を
数えあげ番号をつけることだ。しかしこれは、仏典などにも同じ行き方が見られるから、インドでは普
通に行なわれていることのように思われる。
582:名無しさん@1周年
16/11/25 14:00:22.18 UrHqPR8l0.net
>>564
>イスラム教徒が日本で増えたら、日本人を殺したり強盗・強姦しまくる
郷に入っては郷が従えみたいな連中は日本に入れてはダメだな。
イスラム教徒の犯罪者は全員死刑にして「火葬」だな。
583:名無しさん@1周年
16/11/25 14:00:24.11 LS5yAR/oO.net
>>570
ブサイクの説法聞きにきてんじゃねーぞアンカしろやジジイ!
584:名無しさん@1周年
16/11/25 14:00:41.45 mDMrZypk0.net
な?宗教ってクソだろ
585:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 14:00:47.26 84rB8Z/F0.net
第一八八節
インドのあらゆる宗教に見られる輪廻の道徳的意味は、われわれが犯すあらゆる不正に対して、われ
われはつぎに生まれかわったときにつぐないをつけなければならない、というだけではなく、われわれ
がこうむるあらゆる不正は、前世におけるわれわれの非行のむくいとして、当然なものと見なければな
らない、ということでもある。
第一八九節
インドの四姓のうち上の三つがふたたび生まれた者とよばれる理由は、普通いわれるように、若者た
ちの成年式にあたって神聖な血統に従ってそれぞれの世襲階級に編入することが、いわば第二の誕生で
ある、ということから説明されるかもしれないが、じつは本当の理由は、前世において顕著な功績をあ
げた結果としてのみ、生まれながらにそのカーストに属するのであった、つまり前世でもすでに人間とし
て存在したのに相違ないのにひきかえ、最下層ないしは、もっと卑賤な身分に生まれた者は、前世では
畜生であったかもしれない、というにあるのだ。
きみたちは仏教の永遠であるカルパを馬鹿にしている! ―キリスト教のとった立場からは須臾の
時が見渡せるだけだが、仏教の立場からは、無限の時間と空間のうちにあらわれてきて、その主題とな
るのだ。―
ラリターヴィスタラもはじめは単純・自然なものであったのに、次から次へと宗教会議のたびごとに
新しく改訂されて、複雑にして驚異すべきものとなったのだ。同じことは教義自体についてもいえる。
単純・壮大なわずかな教説が、しだいに綿密に仕上げられ、空間的・時間的に叙述され、擬人化を受
け、経験的に制限されたりして、しだいに多彩・乱雑・複雑となったのだ。それというのも、それが大
衆の好みに合うからだ。大衆の精神は幻想的な仕事をほしがる。単純で抽象的なことには満足させられ
ないのである。
バラモン教のもろもろの教義、ならびにブラームとブラーフマー、パラマートとジーヴァートマ、
ヒラニヤ・ガルバ、プラジャーパティ、プルシャ、プラクリティなどの区別は(これらについての簡潔
な叙述は、オブリのすぐれた著作『ニルヴァーナについて』インド、一八五六年に見いだされる)、つ
きつめたところ、端的に本質的に主体的存在しかもたないものを、客体的に叙述しようとする意図から
なされた神話的虚構にすぎない。だから仏陀はこうした区別を捨てて、輪廻と涅槃しか認めなかった
のだ。なぜなら教義というものは、複雑・多彩になればなるほど、神話的になるからだ。この理を最も
よく理解しているのが、ヨーガ行者あるいは遁世者(サニアッシ)だ。彼らは方法論的に自己を正して、
外にむかっている感覚のすべてを内にひきもどし、全世界を忘れ、ついには自分自身をも忘れて無念
無想となる―そのときまだ意識のなかに残っているのは、根源的本体だけというわけだ。ただしこ
れは言いやすくして行ないがたいことではある。―
かつてあれほど栄えたヒンドゥー教徒が沈滞したのは、彼らが七百年にわたって回教徒からおそろし
い圧迫を受けたためだ。回教徒は強引に彼らを回教に改宗させようとしたのである。―今日ではイン
ド人口の八分の一だけが回教を奉じている(『エディンバラ評論』一八五八年一月号)。―
第一九〇節
エジプト人(エチオピア人)あるいはすくなくともその僧侶たちがインドから渡ってきたということ
を示す証拠に、テュアナのアポロニウス伝の第三巻・第二〇章、第六巻・第一一章もあげることができる。
586:名無しさん@1周年
16/11/25 14:00:48.66 BJBNoIFv0.net
ゴミを投下するのをやめなさい
587:名無しさん@1周年
16/11/25 14:00:56.64 f12lWCzm0.net
>>556
イスラムが残虐なのは間違い無いけどキリスト教徒はもっと残虐な行為をつい最近までやってたって事が言いたかったんだな(´・ω・`)
生きた人間をハンバーグの材料にしたり
日本は先の大戦の謝罪ばかり要求されるけどキリスト教徒はそんな事やってたからな
自分たちがこの前まで平気でやってた事を知らんふりして非キリスト教の行為は残虐と叫んでも共感は出来ないと
梅毒を世界中に蔓延させたのもキリスト教だし
588:名無しさん@1周年
16/11/25 14:01:05.61 eSxhHBBZ0.net
映像で見たらコーランって凄く分厚いんだね。
ポストに投函されてガクブルする心配はなさそうだw
589:名無しさん@1周年
16/11/25 14:01:10.13 fm0zgv540.net
ジハードの語源は、略奪。
略奪をイスラムの名で、かってに聖戦。
他宗教は、人間としてみていない。
やさしそうなイスラムも、レイシスト。
死んで当然とくらいにしかおもってない。
イスラムはイスラム圏から出てくるなよ。
人殺し宗教、つか、宗教ツラのギャング。
やさしそうでも、ギャングはギャング。
590:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 14:01:13.10 84rB8Z/F0.net
ギリシア語およびラテン語が、あれほど離れているのにサンスクリットと似ているように、ギリシア
人およびローマ人の神話もまたインドの神話に似ているということは、ありそうなことであり、エジプ
トの神話がギリシア・ローマの神話に類する点もこれまたありそうなことだ。(コプト語はヤペテ語族あるい
はセム語族に由来するのではなかろうか?)ゼウス、ポセイドン、ハデスはもしかしたらブラーフマ
ー、ヴィシュヌ、シヴァに相当するのかもしれぬ。シヴァは三叉の矛を持っているが、これが海神ポセ
イドンではその使用目的がわからなくなっている。ナイルの鍵、柄のついた十字形、金星のしるし♀
は、まさにシヴァ宗のリンガムとヨニである。オシリスあるいはイシリスはもしかすると主なる神イス
ヴァラに相当する。―エジプト人もインド人も蓮を敬う。
ヤーヌス(これについてはシェリングがアカデミーで講義をしており、根源的一者と説明している)
は、二つの顔、ときには四つの顔をもっている死神ヤマではなかろうか。戦時には死神の司る門があけ
られるのである。ひょっとしたらプラジャーパティはイアペトスではあるまいか?―
ヒンドゥー教徒の女神アンナ・プルナ Anna Purna(ラングレス『インドの記念物』第二巻一〇七頁)
は、たしかにローマ人のアンナ・ペレナ Anna Perenna だ。シヴァの変え名のひとつであるバギス
Baghis は予言者バキス Bakis を思いだされる。(同上第一巻一七八頁)。『シャクンタラー』(六幕の終
わり、一三一頁)にインドラの添え名としてディヴェスペティル Divespetir というのが出てくるが、あ
きらかにこれはディエスピテル Diespiter だ。
(ラングレス『記念物』第二巻によれば)水曜日(Wodans-day)は☿にも仏陀にも神聖な日という
が、これは仏陀 Buddha がウォダン Wodan と同一であることを大いに証している。―『ウプネカ
ート』にも出てくる「コルバン」Corbanは、マルコによる福音書七の一一に「コルバン Κορβαν すなわ
ち供え物」として出てくる。―しかし最も重要なことは次のことだ。水星☿は仏陀にとって神聖で、
あるていど仏陀と同一視されるものであり、水曜日は仏陀の日なのである。ところでメルクールはマイア
の息子であり、仏陀はマーヤーMaja (摩耶)夫人の息子である。これは偶然ではありえない! シュ
ヴァーベン夫人が「そこに楽人が埋められている」と言うとおりだ。しかし『仏教便覧』三五四頁のノー
トおよび『アジア研究』第一巻一六二頁参照。―
ある種の祭式で僧に贈られる衣は一日のあいだに織りあげられねばならないと、スペンス・ハーディ
(『東洋の修道生活』一二二頁)は報告しているが、同じことはヘロドトス(二の一二二)も報告して
いる。―
ドイツ人の元祖はマヌス Mannus とよばれ、その息子はトゥイスコン Thuiskon だ。―『ウプネ
カート』第二巻三四七頁、第一巻九六頁では、最初の人間の名はマン Man とよばれている。―
周知のようにサトヤヴラティ Satyavrati はメヌ Menu もしくはマヌ Manu と同じものであり―
他方ノア Noa とも同じである。ところでサムソンの父は(土師記・第一三章)マノア Manoe とよば
れている―つまり Manu, Manoe, Noa となる。七十人訳聖書は Μανωε および Νωε と書いてい
る。Noe というのは、まさに Manoe ではあるまいか。つまり最初の綴 ma が脱落したのではないか?―
エトルリア人ではジュピターにあたる神がティナ Tina とよばれていた。これはシナ語のティエン
Tien と関係があるのではなかろうか? エトルリア人はヒンドゥー教徒のアンナ・プルナを奉じてい
たのではなかろうか。
こうした類似点はすべてウィルフォードおよびバー (Burr) によって徹底的にしらべられ、『アジア
研究』におさめられている。
591:名無しさん@1周年
16/11/25 14:01:31.71 8m/9PDPt0.net
>>166
むしろオウム
本山がカルトニセ宗教と同じクオリティ、それがイスラム
こういうこというと「イスラム教徒にもいい人がいる!」なんていうお花畑が湧くが
それオウム信者にも言えますから
592:名無しさん@1周年
16/11/25 14:01:44.29 tOJI/NCr0.net
以前にもあったよな
魔女狩りよろしく、噂なんかで殺された事件
593:名無しさん@1周年
16/11/25 14:01:55.48 52QzQmGR0.net
イスラム教って駄目な宗教だなー。
アラーの神様も自分の名のもとにこんな虐殺がされていると怒ってるだろう。
一番アラーの神様を侮辱しているのはこういう残虐行為をするイスラム教徒だよね
594:名無しさん@1周年
16/11/25 14:02:05.03 uxb0A3eJ0.net
幸ちゃん
三行にまとめてくれ
595:名無しさん@1周年
16/11/25 14:02:46.46 DJIwuQxl0.net
終盤のデビルマンを思い出した
596:名無しさん@1周年
16/11/25 14:02:56.96 UrHqPR8l0.net
>>588
分厚いの?
でもタメになるような内容じゃないんだろ。
イスラム教徒にとって都合のいい事ばかりしか書いてないんだろ。
597:名無しさん@1周年
16/11/25 14:03:05.70 y/bZJkZF0.net
>>35
それがコーランだよ
598:名無しさん@1周年
16/11/25 14:03:16.48 eSxhHBBZ0.net
短文にしてくれたら
幸ちゃんのこともっと好きになれる!
599:名無しさん@1周年
16/11/25 14:03:24.14 fm0zgv540.net
筑波大の教授をぶっ殺した犯人をかくまう。
でも、イスラムの誰もが、人殺しだとおもっていない。
となりのやさしそうなイスラムも、人と人とおもってない。
イスラムのレイシストは日本から出て行け!!
ギャング、レイシスト宗教ツラ。
宗教じゃねーし、宗教を語る、ギャングギルド。
600:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 14:04:06.69 84rB8Z/F0.net
>>594
そりゃ無理だよ。中身が濃いからな。
601:名無しさん@1周年
16/11/25 14:04:14.00 v4EnvF9C0.net
俺も創価学会信者にもらった仏教の本を捨てたことあるぜ
602:名無しさん@1周年
16/11/25 14:04:49.03 Hf0ky+SG0.net
人に平安を与えるために宗教って
あるんじゃないの?逆に殺戮や争いの
元になってるようだけど?
603:名無しさん@1周年
16/11/25 14:04:49.12 L8gwy94L0.net
お前ら考え方が逆
こんな腐れ土人なんて本来チンパンジーより野蛮なんだけれど、
イスラムの教えのおかげで今のレベルになっている
604:名無しさん@1周年
16/11/25 14:04:51.51 iSsHWBu2O.net
>>1
パキは南米とはまた違った意味でガチ
ブルブル (´・ω・`)
605:名無しさん@1周年
16/11/25 14:04:54.03 eSxhHBBZ0.net
>>596
ゴミに出したら殺されるっていうから。
手渡しだったら拒否れるけど
ポストに投函されたら怖いじゃんw
606:名無しさん@1周年
16/11/25 14:05:04.05 UrHqPR8l0.net
>>593
アッラー自体が生贄欲しい神様なんじゃないの?
だから宗教がらみで大勢死んだら生贄増えて嬉しいんじゃないの?
メッカで柱が崩れるだの扇倒しだので巡礼者大勢死ぬし。
607:名無しさん@1周年
16/11/25 14:05:15.63 B28RuXtC0.net
パキスタンの司法はまともだな
ちゃんと死刑判決出すとは
608:名無しさん@1周年
16/11/25 14:05:27.73 8m/9PDPt0.net
>>566
それを捨てた馬鹿が今のイスラム教徒になります
609:名無しさん@1周年
16/11/25 14:05:32.15 +MvTLr9/0.net
まともな判決が下されることもあるんだな。意外w
610:名無しさん@1周年
16/11/25 14:05:37.07 JztIR9O/O.net
ISでなくともイスラム教徒は危険って事だ
611:名無しさん@1周年
16/11/25 14:05:40.89 11kpOyK70.net
イスラム教徒は、イスラム国はイスラム教ではないというが、やってることは同じじゃないか。
612:名無しさん@1周年
16/11/25 14:05:47.08 xD+6bIz40.net
幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
____
/______\~プーン
/_____反☯日_\~プーン
|;;;;;;;;;;ノ∪ \,) ,,/ ヽ~ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|::( 6∪ ー─◎─◎ )~ / ウリのコピペに文句つけるなニダ!!
|ノ (∵∴ ( o o)∴)~ < 写真を何度も貼ってる奴に言えニダ・・・
| ∪< ∵∵ 3 ∵> ムッキー! \ 写真もウリが投稿したんだけど・・・
\ ⌒ ノ_____ \____________________
\_____/ | | ̄ ̄\ \
___/ \ | | | ̄ ̄|
|:::::::/ \___ | \| | |__|
|:::::::| \____|つ⊂|__|__/ /
|:::::/ | ̄ ̄ ̄ ̄| 〔 ̄ ̄〕
613:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 14:05:50.63 84rB8Z/F0.net
>>596
岩波文庫で三分冊で出版されてる。一度くらいは読んでおいたほうがいいぞ。
回教圏では「コーランを読んだ」というと優遇されるからな。
614:名無しさん@1周年
16/11/25 14:06:08.62 GpC0/uSo0.net
>>566
マジ基地過ぎ
615:名無しさん@1周年
16/11/25 14:06:19.50 928BuwRQ0.net
ひどいなトランプは正しかった
616:名無しさん@1周年
16/11/25 14:06:53.43 8m/9PDPt0.net
>>606
ゲームだとそういう神が邪神だな。だいたい
617:名無しさん@1周年
16/11/25 14:07:17.04 vSkynbj30.net
>>20
中東でそれを語っていたやつはもう居ない
618:名無しさん@1周年
16/11/25 14:08:06.98 UA0yt0em0.net
窯を規制しないと
619:名無しさん@1周年
16/11/25 14:08:16.64 te5nWJnL0.net
戦争を無くすために何回だって行う戦争
僕らの平和はどこにあるの?
620:名無しさん@1周年
16/11/25 14:08:47.21 8m/9PDPt0.net
>>613
アラビア語で読まないとダメなんだぞ?
621:名無しさん@1周年
16/11/25 14:09:02.33 W9KVKtS0O.net
イスラム教徒以外はコーランに触ったらだめ
気軽に触るなよ
これマメな
622:名無しさん@1周年
16/11/25 14:09:13.87 fm0zgv540.net
ローマ法王に相当するカリフが絶えて30年。
かってに、各地の司祭が、ごっこあそび。
豚肉を食うなとか。
宗教税がほしいだけ。
汚いギャング。
623:名無しさん@1周年
16/11/25 14:09:16.70 YEnBZqOs0.net
>>20
やるじゃん
624:名無しさん@1周年
16/11/25 14:09:37.25 OjXh9eNe0.net
俺たちは差別するけど自分達は差別するな
まるでどこかの半島民族のような宗教ですね
625:名無しさん@1周年
16/11/25 14:10:00.63 qTr5JOJc0.net
統合イスラム教の初代教祖は、大変だな
626:名無しさん@1周年
16/11/25 14:10:09.94 UrHqPR8l0.net
>>609
パキスタンは普通の法がちゃんとあるんだけど
法よりもイスラムの教えとか自分達の風習の方を優先して
よく名誉殺人とか行われる。
法に触れるの分かってるから名誉殺人で身内の女性を殺した後に逃亡してる。
法に触れるってだけですでに人間としての名誉を失ってると思うんだけど
パキスタン人の名誉不名誉は日本人には理解出来ないものらしい。
627:名無しさん@1周年
16/11/25 14:10:23.51 fm0zgv540.net
>>621
イスラム以外を人間としてみてないからな。
連中にとって、非イスラムはモブ以下、ゴミ。
そういう目でみてんだよね。
おとなしそうなイスラムも含めて。
やなやつら。
628:名無しさん@1周年
16/11/25 14:10:26.40 K1HCtD3n0.net
あれ?
なんで欧州各国は、この死刑判決に抗議しないの??
なんで????
629:名無しさん@1周年
16/11/25 14:11:13.05 DyUyT9d70.net
キリスト教って敬虔な信者ほど悲惨な死に方をする宗教というイメージがある。天国に行くためには必要な事なのか?もしそうならやはり神は生贄を望んでいるという事なのか?
630:名無しさん@1周年
16/11/25 14:11:13.89 zhTDRfja0.net
コーランは他の国の言葉に翻訳は駄目だったんじゃないのか?
コーランはアラビア語でそのまま暗唱だろ?
一般的な日本人はできないからね
イスラム教は日本で布教するなよ
631:名無しさん@1周年
16/11/25 14:11:19.48 8m/9PDPt0.net
>>611
いわゆる自分のコミュだから擁護してるだけ
632:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 14:11:20.80 84rB8Z/F0.net
>>620
回教徒でも殆どの人間はアラビア語なんか読めんよ。パキスタンならパシュトゥー語
やペルシャ語などだろう。
633:名無しさん@1周年
16/11/25 14:11:20.94 Ps8rtDHX0.net
信仰を盾に暴力を振るいたいだけのゴミ
信者の風上にもおけない
634:名無しさん@1周年
16/11/25 14:11:58.95 eKd/TiFj0.net
>>613
岩波版の井筒俊彦のは読みにくい!中公クラシックスで出てる世界の名著版の方が読みやすい!七割方聖書と同じという印象だったが!
635:名無しさん@1周年
16/11/25 14:12:10.43 NECiVr450.net
犯人は死刑というのはちゃんと司法が機能してるように見えるが
こんな国だと真犯人じゃない可能性もあるな
636:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 14:12:34.28 84rB8Z/F0.net
>>630
アラビア語でコーランが読めるのは回教僧くらい。
637:名無しさん@1周年
16/11/25 14:12:56.84 jOpk/jNP0.net
まあただあえて別の面から言えば
キリスト教徒の少年十字軍含めてイスラム教徒に積極的に売り飛ばしてたし、
百万人の白人奴隷が中東には売られてたらしいし、大友宗麟に白人女が
宣教師から献上されたりで世界的だろうな。
アメリカにドイツ系が多いのも領主が領民を開拓奴隷として売り飛ばしてたから。
戦国だから信長が煮殺したり半島で連行鼻削ぎなんでもありだったのと同じで
命が軽い意識だと、利益になるなら平気で売り飛ばす発想になるだろう。
今の中国東南アジアが人売ってくるのと同じで、人権無しのゴミ国家になるとそうなる。
ネトウヨは人権がいかにありがたいかわかっとけ。
また奴隷貿易みたいなの起こさないためにも、
国内をそうしようとする勢力、つまり自民系は駆逐しないといけない。
638:名無しさん@1周年
16/11/25 14:12:58.74 Adl9Kaqh0.net
ザ・イスラミック土人
見事なまでの未開宗教
639:名無しさん@1周年
16/11/25 14:13:13.04 umqurn5mO.net
>>593 >>606
アッラーもヤハウェも同一の神様。
そしてキリスト教徒達は神の名の下に
十字軍でもっと非道い事を何度もやっている。
640:名無しさん@1周年
16/11/25 14:13:14.86 2pX9q/Nt0.net
>被告5人に死刑判決
人数で刑が分散されないのか。素晴らしいな
641:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 14:13:18.10 84rB8Z/F0.net
>>634
「マヌ法典」も面白いぞ。こっちのほうが役に立つ。
642:名無しさん@1周年
16/11/25 14:13:20.56 8m/9PDPt0.net
>>632
背教者じゃん。イスラム教徒はそいつらを優先的に殺すべきである
詳しい理由は宗教的指導者から教えてもらって熟知せよ
643:名無しさん@1周年
16/11/25 14:13:47.27 rEhfcy960.net
>>587
いつどこの誰が「キリスト教徒」を自称して如何なる悪事を働いたか
それが分からなければデタラメだし
それに一部のキリスト教徒を上げて
全ての信者を残虐だの何だのと言い張るのなら
「先の大戦」も否定する事になる
当時の外交官の杉原千畝大使や幸子夫人
その上司に当たる松岡洋右外相
帝国海軍では横山一郎少将
みんなキリスト教徒だからな
644:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 14:14:09.25 84rB8Z/F0.net
卍卍卍 バラモン教・ヒンドゥー教 卍卍卍
スレリンク(psy板)
『マヌ法典』 〔婦人の義務〕
一四七 少女、或は若き婦人、或は老女は、何事をも独立にてなすべからず。たとえ、家庭の用事
といえども。
一四八 婦人は幼にしてその父に、若き時はその夫に、夫死したる時は、その子息に従うべし婦
人は決して独立を享受すべからず。
一四九 婦人は決してその父、夫、或は子息より離るる事を求むべからず。なんとなれば、彼らを
離るる事によりて婦人は(自ら、及び夫の)家族をも、共に賤しむべきものとなさん。
一五〇 婦人は常に快活に、(その)家事を巧みにして、その道具を清潔にし、且つ、支出にあたり
ては節約を旨とすべし。
一五一 婦人は父、或は父の同意を得たる兄が嫁がしめたる者に対し、その生ける間は従順たるべ
く、死後に於ては決して(その名)を辱かしむる勿れ。
一五二 結婚に際しては、(花嫁に)幸福を招来線がために祝辞が唱えられ、先主への供犠
が行はる。(但し父、或は保護者による)婚約が、(夫の妻に対する)支配権の原因なり。
一五三 聖典によりて結婚せる夫は、彼の妻にいかなる時に於ても、現世にても、又来世にても、
幸福を与ふなり。
一五四 行い悪しく、或は放縦にして、或は善き性質に欠くと雖も、貞節なる妻は、夫を絶えず神
として崇むべし。
一五五 供犠も、誓戒も、断食も、(夫を)離れ婦人(のみ)によりて行うべからず。妻は夫に従順な
る事に因りて、(死後)天界に於て栄える。
一五六 (死後、)その夫と共に住まんと欲する貞節な婦人は、夫の存命中に於ても、或はその死
後に於ても、夫にとりて好ましからざることを為す勿れ。
一五七 夫の死後は、婦人は随意に、花・根及び果実にて(生き、)その肉体を痩せ衰えしむべし。
一五八 彼女は死に至るまで(苦難に)耐え、自制し、貞節にして、又、唯一人の夫を守る妻に対し
て(定められたる、)景勝の義務を(果す)様務むべし。
一五九 若き時より純潔を守れる幾千のバラモンは、その子孫を遺す事なく天に赴けり。
一六〇 夫の死後も貞節を蓋し有徳なつ妻は、たとえ子息を有せずとも、あたかも彼ら純潔を守れ
る人々の如くに天に達す。
一六一 されど子孫を得んとの欲望よりその死せる夫を冒涜する婦人は、現世にては誹りを受け、
(死後)夫と共に住むを得ず。
一六二 他の男によりて生みたる子は、この世にては(適法と)認められず。又、他人の妻によりて
(生まれたる子は父親に属せず。)貞節なる婦人には、如何なる場合にも、第二の夫は許されざるなり。
一六三 低き階級に属する自らの夫を遺棄し、高き階級の男と同棲する女は、この世にては賤しめ
らるべし。而して再婚女(パラプールヴァー)と呼ばる。
645:名無しさん@1周年
16/11/25 14:14:12.50 eKd/TiFj0.net
よく見たら大乗仏教の発祥地のパンジャブじゃんか!
646:名無しさん@1周年
16/11/25 14:14:28.75 NWCpkR6tO.net
>>627
それが「ユダヤ教」でしょ。
「ユダヤ教」の教典「タルムード」ではユダヤ教徒以外は「ゴイム」であり抹殺すべきと書かれている。
647:名無しさん@1周年
16/11/25 14:14:30.82 OrJXXFY60.net
イスラム教徒はもはや人間とは別の種族だな
648:名無しさん@1周年
16/11/25 14:14:39.07 l4ehj8qP0.net
コーラン koran
コリアン korean
コーランは朝鮮起源ニダ
649:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 14:14:50.45 84rB8Z/F0.net
一六四 夫に対する不貞により、妻はこの世に於ては誹りを受け、(死後は)豹の胎内に入り、その罪
(の報たる)病によりて苦しめらる。
一六五 身・語・意を制し、夫に対して不貞なさざる者は、(死後天界に於て)夫とともに住み、而し
て正しき人々により貞女と呼ばる。
一六六 かかる行為(の報)として、身・語・意を制せる婦人は、この世に於ては最高の名声を得、
次(の世)にてはその夫と共に住するを得る。
一六七 法に精通せる再生族は、同階級に属し、如上の行為をなせし妻、彼より先に死したる時は、
火祭(に用いる聖火)を以て、祭具により之を焚くべし。
一六八 葬儀に於て、彼に先立ちたる妻にかくの如く聖火を与えたる後は、彼は再婚し、再び(聖
火を)点ずべし。
一六九 (前記の)規則に従いて(生活し、)決して五大供犠をゆるがせにすべからず。而して妻を
娶りたる後は、生涯の第二の佳期の間、(自らの)家に住すべし。
第九章
〔夫婦の法〕
一 今や私は、義しき道に住する夫およびその妻の同棲および離別の生活(夫の不在またはその
死後の生活)に於ける永遠の法を宣示せん。
〔婦人の服従義務〕〔婦人の監護〕
二 婦人は自らの(家族の)男子によりて従属の状態に置かるべきなり。而してもし、感覚
的対象に執着する時は、彼女らは一人の者の庇護下に置かるべきなり。
三 (女子は)幼時に於ては父(これを)監護し、若き時には夫(これを)監護し、而して老年に於て
は子息(これを)監護す。女子は決して独立に値いせざるものなり。
四 適齢に於て、(娘を嫁せしめる)父は非難せられ、(適当なる時期に妻に)接せざる夫は非難せら
れ、夫の死後その母を監護せざる息子は非難せらるべきなり。
五 そは、すべての階級の最高の法なるを考えれば、たとえ弱き夫(盲人、聾唖、或は貧困の夫の意)
たりとも、その妻を監護せんと努むるなり。
七 努めてその妻を監護するものは自らの子孫(の純潔、)よき行い、その家族、彼自身、及び
自らの(善)法を護持するなり。
八 夫は妻に入り、胎児となり、(彼女より)再びこの世に生れる。彼女より再び生れるjayate
これ妻jayaの妻たる所以なり。
九 妻はその愛著する男子と、同様の息子を生むものなるが故に、夫はその子孫の純潔を保たん
が為に、注意深く彼の妻を監護すべし。
650:名無しさん@1周年
16/11/25 14:15:08.56 ETeGdO520.net
>>629
神が何を望んでるかなど卑小な人の身では知る由もない
651:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 14:15:15.03 84rB8Z/F0.net
一〇 何ぴとも婦人を強制し、以てこれを完全に監護する事を得ず。されど彼女らは(以下の)手段
を用いて、監護せらるを得るなり。
一一 (夫は)彼の富の取り立て及び支出に、(あらゆる物を)清潔になし、宗教的義務を(遂行し、)
彼の食物を調理し、また家具の世話をなす事に(妻を)使用すべし。
一二 忠実なる従僕の下に家の中に閉居せらるるも、婦人は(よく)監護せらるるものにあらず。
されど自己により自己を監護する婦人のみよく監護せらるるなり。
一三 (酒を)飲み、(不貞なる)悪しき人々(他人の不貞なる妻、姦淫者等)と交わり、夫と別居する
こと、出歩くこと、(非常時に)眠り、また他の男の家に住むは、婦人堕落の六原因なり。
一四 婦人は(男子の)容貌を意とせず、年齢に執われず、「彼は男性なり」とのみ(考えて)美しき
(男性)をも醜きをも享楽す。
〔婦人の本性〕
一五 婦人は、たとい、この(世)に於て注意深く監護せらるるとも、男子に対するその熱情によ
り、移り気により、而して生来の薄情によりて、彼らの夫を叛くものなり。
一六 先主が(婦人の)創造に際し、付与したる本性のかかるものなるを知りて、男子は(彼女ら
の)監護に対し、最善の努力を蓋すべし。
一七 創造に際して、マヌは婦人に臥床、彼らの座席及び装飾(への愛著、)愛欲、憤怒、不正、
悪意、及び悪行を付与せり。
一八 婦人にとりて聖典をもって、(行われるべき)儀式(生誕式など)なしとかく法は定めたり。力に欠け
又ヴェーダの聖典(の知識)に欠けたる婦人は、虚偽(そのものの如くに不純)なり、とは定まれ
る理なり。
一九 而してこの趣意にて多くの聖典は、(婦人の)真の性質を十分に知らしめんがために、ヴェ
ーダの中に於ても亦、この趣意を謡えり。(今や)彼女に対する贖罪(に言及せるこれらの聖典)を
聴け。
二〇 もしわが母道を過ち、淫乱にして、不貞なる時は、わが父は吾よりその種を除くべしとは
そを証するもおなり。
二一 もし、婦人その心に、何事かその夫を苦しむる事を考える時は、(上記の聖典は)かかる不貞
を完全に取り除くものなりと言わる。
二二 律に従い、婦人が如何なる性質の夫と結合すとも、彼女はかかる性質を有するに至る。あ
たかも大海に合流する河川の如くに。(インドの詩人によれ川は大洋の妻)
二三 もっとも卑しき(チャンダーラの)生まれのアクシャマーラー女はヴァシシュタ仙と結合し、又
サーランギー女はマンダパーラと(結合して)尊敬を受くるに至れり。
二四 これら及び他の生まれの卑しき婦人達は、それぞれ、その夫の善徳によりてこの世に於て優れ
たる地位に達せり。
二五 夫婦にとりて、常に清き一般の生活(の規定)はかく述べられたり。(次に)現世及び死後の
幸福の原因なる子孫に関する法を聴け。
652:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 14:15:37.25 84rB8Z/F0.net
〔子孫に関する法〕
二六 子孫継続のために(定められ、)大なる幸福をもたらし、尊敬に値し、(且つ)家庭の光明
たる妻striとその家に住む幸運sriの女神との間には何らの相違もなし。
二七 子孫を生み、生まれたるものを養育すること、人々の日常生活、(これらの事柄に関しては、)
婦人は明らかにその下人となるものなり。
二八 子孫、宗教上の諸儀式(の正しき遂行、)貞淑、婚姻生活の無上の幸福、及び祖先とその人
自らの(死後に於る)天界の福祉は専らその妻如何に因るものなり。
二九 その心語意を戒め、夫に貞節なる(婦人)は、(死後)夫と同等の世界を獲得し、(この世に
於ては)有徳なる人々より、貞節なる妻と呼ばる。
三〇 されど、夫に不貞なる妻は、人々に非難され、又(死後)豹の胎内に宿り、諸々の悪病に
悩まさる。
三一 以下すべての人々に有益なる言葉を聴け。そは(現代の)有徳なる人及び古えの大仙により
男子子孫に関して説かれたるところなり。
三二 男子子孫は、その夫に属すと人は(皆)言へり。されど(実際上)父親に関して聖典はその
説く所を異にす。即ち或るものは(子を)生ましむる者を父と呼び、他のものはその田地の所有者
となりと云えり。
〔田地種子論〕
三三 聖伝によれば、婦人は田地にして、男子は種子なりと言はる。すべて肉体あるものは、
田地と、種子との結合により生ず。
三四 時には種子優れ、又時には婦人の胎優る。されど、両者の平等なる時、子孫は最も尊ばる。
三五 種子とその胎とを比較するに、種子は更に重要なるものなりと言はる。なんとなれば一切
生類の子孫は種子の特徴によりて特徴づけらるればなり。
三六 適当なる季節に準備せられたる田地に、如何なる(種類の)種子蒔かるとも、その種類の
(植物が)その種子の特質にて特徴づけられて、そこに生ずるなり。
三七 げに大地は、生類の胎なりと言はる。されど、種子はその発育中胎の如何なる特性をも発育
せしめず。
三八 この世に於ては、適当なる季節に農夫により土地に蒔かれた種々の種子は、同じ田地に
於てすら(各々)その固有の性質に従いて生ずるなり。
三九 ヴリーヒ(米の一種)、シャーリ(米の一種)、ムドガ豆、ティラ(胡麻)、マーシャ豆、
ヤヴァ(大麦)、ラシュナ(韮)、及びイクシュ(甘藷)はそれらの種に応じて発芽するなり。
四〇 或る(植物)を蒔き、他のものを生ずるが如き事はあり得べからず。如何なる種類の種子蒔
かるとも常にその種の(植物)生ず。
653:名無しさん@1周年
16/11/25 14:15:57.25 UrHqPR8l0.net
>>622
沙漠の商人が生んだ宗教って感じだよね。
ストイックを強いるようで全然ストイックじゃないというか。
654:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 14:15:58.77 84rB8Z/F0.net
四一 故に賢明にして、教養あり、ヴェーダ及びその支分を知り、長寿を希う(男子)は、決して
他人の妻と情交すべからず。
四二 これに関し古えを知れる人々は(風神)ヴァーユによりて歌われたる頌を、諷誦す。他人の
ものに男子は種を蒔かざらんがために。
四三 (他人の)傷つけたる(鹿)を、更に後に射たる(猟人)の矢はむなしく射られたるなり。それ
と同様に、他人に属するものに蒔かれたる種子は速かに(蒔きたる者より)失はるるなり。
四四 古えを知れる(聖仙達)はこの大地PrthiviをプリツPrithuの妻とさえ呼ぶ。彼らは田地は
木を切払いたる者に、又鹿はそを(最初に)傷つけたる者に属すと言えり。
四五 彼の妻、彼自身、及び彼の子(の三者)ありて初めて完全の人なりと、かく(ヴェーダは説く。)
又(学識ある)バラモンはこの格言を同様に説き、「夫はその妻と一たるべし」と云えり。
四六 売却によりても、或は遺棄によりても、妻はその夫より離れ得ざるなり、かくの如きは
先主の昔つくりたまえる法なりと吾々は知るなり。
四七 (相続財産の)分割は一度なされ、少女は一度嫁がせしめられ、(又人は)一度「吾は与ふべ
し」と言う。これら三(行為)の各々は一度のみ(なさるるなり。)
四八 牝牛、牝馬、牝駱駝、娘奴隷、牝水牛、牝山羊、牝羊に関しては(それらに)子を生ましむ
るもの、(或はその牡の所有者)がその子を有するにあらず。
四九 自ら田地を有せず、種のみを有し、これを他人の田地に蒔きし者は、げに、その生じたる
穀物の収穫を得ることなし。
五〇 もし(或る者の)牡牛、他人の牝牛に百匹の仔牛を生ましむとも、そは(すべて)牝牛の所有
者にのみ属すべし。(而して)牡牛はその精力を空しく消費せるなり。
五一 (自ら)田地(即ち妻)を有せず、他人の田地に種蒔く者は(徒に)その田地の所有者、(即
ち夫)を利するのみにして、種を有する者は何の収穫をも得ざるなり。
五二 もし田地の所有者と種子の所有者との間に収穫に関する何らの契約をなさざりし時は、利益は
明らかに田地の所有者に帰属するなり。胎は種よりもより重要なればなり。
五三 されど、もし(畑)特約によりて他人の種を蒔く為に供せられたる時は、種の所有者と田地の
所有者は両者共にこの世に於ては、収穫の配分を受くる者と認めらる。
五四 もし種子、水或は風にて何人かの畑に運ばれ、(そこにて)発芽せる時は、その種子(より
生じたる植物)と雖も、畑の所有者に属し、種の所有者はその収穫を得ざるなり。
五五 かくの如きは牝牛、牝馬、娘奴隷、牝駱駝、牝山羊、牝鳥、及び牝水牛の子に関する
法なりと知るべし。
五六 かく、種子と胎との軽重は汝らに宣べられたり。吾は次の非常の時(男児の生まれなかった時)
に於る婦人の法を説かん。
655:名無しさん@1周年
16/11/25 14:16:01.08 8m/9PDPt0.net
>>639
日本にもキリシタン弾圧とかあるし、耶蘇教だけが悪魔的ではない
656:名無しさん@1周年
16/11/25 14:16:14.94 kxiJ2O7p0.net
>>61
イスラム原理主義はイギリスとフランスがトルコを分裂させるために作ったニセ宗教じゃないかな。
メディアコントロールとか異常に上手い。
657:名無しさん@1周年
16/11/25 14:16:15.54 eKd/TiFj0.net
>>641
読んだけど四住期しか覚えてないなぁ!
658:名無しさん@1周年
16/11/25 14:16:21.04 a3UV+WjG0.net
>>10
イスラムの教えでは、非イスラム教徒はアラーの神を信じない最低の不心得者で人間
と言うくくりに入らない。だから殺しても殺人にはならないと言う発想。家畜を殺すのと
同じ感覚なんだよねw だからイスラム土人なんぞを日本に入れちゃ絶対にダメ。
この点だけはトランプと同意するわw
659:名無しさん@1周年
16/11/25 14:16:22.26 xD+6bIz40.net
幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP :
/ノノノノノノノノノノ
( l ; .反日 ,,;ヽ
..|ミ/;, ,,ー◎-◎― )
(6; ;,< ; ,;,(。。);, ,;; ;> <また、コピペを始めるニダ!!
|/, ;∴; ノ; .;;3; ;ノ; 丿 ブヒブヒッ!!
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