16/11/25 13:35:20.05 yH86B++P0.net
キリスト教もイスラム教も神様一緒なのに
なんでこうも寛容って言葉と無縁の行動を双方撮り続けてるのか…。
437:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:35:20.63 84rB8Z/F0.net
こういう問題はまえにも触れたことがあるが、いまでも「神の国からの最新の報
告」が出版されている以上、われわれだってこうした古い報告を思いだすことを怠ってはならない。と
りわけ忘れてはならないのがインドだ。この人類の揺籃、すくなくともわれわれの属する人種の発祥地で
あるこの神聖な国を忘れないでおこう。そこではまず回教徒が、つぎにはキリスト教徒が、人類の原始
信仰の信者たちに対してじつに身の毛のよだつ暴行をあえてしたのだ。思いだすのも忌まわしいことだ
が、マハムード・ガズナヴィーから始まって、兄弟殺しのアウラングズィーブにいたるまで、回教徒ど
もは気まぐれに、またむごたらしく太古の寺院や神像を破壊・毀損したのだ。これは永遠に慨歎に耐え
ないところで、今日なおわれわれに回教徒の一神教的凶暴の痕跡を見せつけているのだ。その後、これ
に敗れまいとして、ポルトガルのキリスト教徒たちも、寺院を破壊したり、ゴアの宗教裁判で火刑を
やったりしたのだ。
それから「神に選ばれた民」と自称するユダヤ教徒のことも逸してはならない。彼らはエジプトでエ
ホバのきびしい命令によって、彼らを信頼している旧友たちから金と銀の容器を盗んだあと、こんどは
殺人者モーセを先頭にして、人殺しや盗みを働きながらカナンに侵入し、ここを「約束の地」として、
同情は絶対無用という同じエホバのたえずくりかえされた厳命にもとづいて、原住民を、女・子供にい
たるまで、まったく情容赦なく皆殺しにして、この土地を正当な所有者たちから奪い取ったのだ(ヨ
シュア記・第十章・第十一章)―それは原住民が割礼を受けておらず、エホバを知らなかったとい
うだけの理由からだったが、これだけでも彼らにあらゆる暴虐をふるう正当な理由としてじゅうぶん
だったのだ。同様に、同じ理由から、族長ヤコブとその選ばれた部下たちが、サレム王ヘモルとその民
に対して恥ずべき非行を行なったことが、まことに輝かしいこととしてわれわれに語られているが(創
世記・第三十四章)、これらもその理由はサレムの民がエホバの信者でなかっただけのことなのだ。
438:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:35:31.36 84rB8Z/F0.net
ユダヤ人のカナン侵入…タキトゥス(『歴史』第五巻・第二章)およびユスティヌス(第三十六巻・第二章)が
出エジプト記の歴史的資料を我々に残してくれている。これは楽し読みものであると同時に教えられるところの
多いもので、旧約聖書の他の諸記の資料がどうなっているかについても、われわれはここから推測できるの
である。前記のところ(右に指摘した個所)から知りうることは、潜入してきた不潔なユダヤ民族が、伝染
のおそれのある厄介な病気(らい病)をもっていたところから、エジプト王は彼らが純潔なエジプトにとどま
ることを望まず、彼らを船に乗せてアラビア沿岸に捨て去らせたのである。彼らのあとからエジプト人の分
遣隊が送られたことは事実であるが、これもわざわざ追いだした者を連れもどそうというのではなくて、彼
らが盗みだした貴重品を取りもどすためだったのだ。じつは彼らは神殿から金の容器を盗みだしていたから
だ。こんなやくざ者にかねなど貸す者があろうか! ―上述の分遣隊が自然現象のために絶滅のうき目に
あったことも、これまたまちがいない。当時、アラビア沿岸地帯は飢饉で、とりわけ水飢饉だった。そこへ
ひとりの向こうみずな男があらわれて、自分についてきて言うことをきくなら、なんでも調達してみせると
切りだしたわけだ。この男は野生のロバを見た、などといったことが書かれている。―わたしはこれを歴
史的資料とみなす。なぜならこの散文を基礎として出エジプト記という詩が書かれているからだ。この場合
たとえユスティヌス(すなわちポンペイウス・トゥログス)が、(出エジプト記にもとづくわれわれの想定
からいって)途方もない時代錯誤をおかしているとしても、そのためにわたしは迷わされはしない。なぜな
ら、時代錯誤の百くらいは、わたしにはたった一つの奇蹟ほどにも憂うべきこととは思われないからだ。
―そのうえ右に引用した二人の古典文学者の著作から見てとれることは、あらゆる時代、あらゆる民族に
おいて、いかにユダヤ人が嫌悪され軽蔑されていたかということだ。そのよってきたる一部の理由は、彼ら
が人間の輪廻などというこの生を超えたどういう存在をも認めない地上唯一の民族だったからで、したがっ
て彼らは家畜、人間の屑―だが嘘つきの名人―と見られたのだ。
439:名無しさん@1周年
16/11/25 13:35:37.14 qFjWdTNE0.net
220 :名無しさん@1周年:2016/06/21(火) 04:04:46.61 ID:tzIbU3HM0
イエズス会自体が、ヨーロッパによる植民地の先鋒隊だったというのは、事実だからなあ
中南米を略奪しつくし、文化をすべてつぶし、先住民をほぼレイプしつくし混血させた
アジアでも多くの地域がヨーロッパの植民地になったがスペインの植民地になったフィリピンは
南米同様 レイプされつくし、民族が全員混血となった
イエズス会ってのはそういう野蛮な行為の片棒を担いできた団体
これらを理由に、イエズス会の人間を全員根絶やしにしても、おそらく罪にはならない
417 :名無しさん@1周年:2016/06/21(火) 07:34:37.83 ID:VDB6DXQb0
今は亡き小室直樹先生の本に
「アメリカには奴隷牧場があった」
「黒人女性に種付けをして、生まれてきた子供を売り飛ばしていた」
みたいなことが書いてあったけど、本当なのかな?
でも確かに、アメリカの黒人って、白人と混血してるから、
アフリカの黒人とは顔つきが違うんだよね。
440:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:35:43.82 84rB8Z/F0.net
創世記第三十四章…ヘブライ語がわからないで、旧約聖書がどういうものであるかを知りたい人は、七十人訳聖書
を読む必要がある。これこそあらゆる訳のなかで最も正しい、最も純正な、最も美しい訳であり、その調子
や色合いにいたってはまったく別ものの観がある。七十人訳の文体は概して高雅・素朴であり、教会くささ
がなく、キリスト教を想わせる点もない。これにくらべるとルター訳は平凡であると同時に信心ぶったとこ
ろがあり、しばしばまちがっており、ときには故意に誤っているところもある。そして徹頭徹尾、教会的・
教化的調子で語られている。右に引用した個所では、ルターは和らげた表現をあえてしているが、これなど
ごまかしとよんでもいいくらいで、彼が「放逐する」と訳している原語は、じつは七十人訳では「殺した」
となっているのだ。
ともかく七十人訳聖書を読んでわたしの受けた感銘は、「偉大な王ネブカドネザル」に対する心からの敬
意と愛である。大王のユダヤ人に対する処置があまりにも手ぬるいという難はあるけれど。この民族は、近隣
諸国を彼らに贈与あるいは約束するような神を奉じ、強盗・殺人によってその国々を占有して居すわり、こ
の神のために神殿を建てるような人種だったのだ。近隣諸国を「約束の国」にするような神を奉じる民族な
ど、いいかげんにネブカドネザルどころか、さらに現神主アンティオコスに出会うがいいのだ。そしてその
うえは情容赦などいっさい無用でいいのだ!
441:名無しさん@1周年
16/11/25 13:35:47.37 eKd/TiFj0.net
>>315
アマテラスがまつろわぬ民を征伐しろとか三韓征伐命じたの知らない?古事記と日本書記にある。
442:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:36:01.02 84rB8Z/F0.net
じっさい、ある宗教の信者が他のすべての宗教の信者に対してどんなことをしようと勝手だと思いこ
み、したがって彼らに対して途方もない残虐無道な仕打ちをするのは、宗教の示す最も悪い面だ。回教
徒がキリスト教徒やヒンドゥー教徒に対する仕打ちもそうだし、キリスト教徒がヒンドゥー教徒・回教
徒・アメリカの諸民族・黒人・ユダヤ人・異端者などに対する仕打ちもそうだ。しかし、すべての宗教
がそうだと言っては、おそらく言いすぎになるだろう。というのは、真理のために付言しなければなら
ぬが、こういう原則に発する狂信的残虐行為は、もともと一神教の宗教、つまりユダヤ教とその二分派
であるキリスト教ならびに回教の信者にかぎられていることは周知の事実だからだ。ヒンドゥー教徒や
仏教徒については、この種の報告はなされていない。仏教がおおよそ西洋紀元第五世紀に、その発祥の
地であるインド最先端の半島から、バラモン教徒によって追いだされ、その後アジア全域に普及したこ
とは、われわれも承知していることだけれど、ぼくの知る範囲では、その普及にあたって腕力ざたや戦
争や残虐行為がなされたというような確たる報道はない。もちろんそれは、これらの国々の歴史が暗黒
に包まれているせいかもしれない。しかし、生きとし生けるものを愛護せよと、たえず感銘ぶかく説い
ているこれらの宗教が、きわめて温和な性格をもっていること、またバラモン教がその身分制度のため
にほんらい改宗者を認めないという事情などは、これらの宗教の信者たちが大規模な流血の惨事や各種
の残虐行為を犯さなかったという期待をわれわれにいだかせるものだ。スペンス・ハーディはその名著
『東洋の修道生活』四一二頁で、仏教徒が非常に寛容である点を賞賛し、仏教の年代記には、他の宗教
の年代記の場合よりも宗教的迫害の実例が少ないという証言をつけ加えている。じじつ、不寛容は一神
教にのみ本質的なものだ。唯一神というものは、その本質上、他のいかなる神をも生かしておかない嫉
妬ぶかい神だ。これにひきかえ、多神教の神々は、その本性上、寛容なものなのだ。これらの神々は自
分が生きると同時に、他の神々をも生かしておく。
443:名無しさん@1周年
16/11/25 13:36:09.52 qFjWdTNE0.net
■サルでも分かるキリシタン弾圧の実態(時系列)
1)それまで ”日本人奴隷を海外へ売るビジネス” は存在しなかった。
2)1540年代にポルトガル人宣教師(諜報機関)が日本へ訪れたあと、急速に奴隷貿易が発達する。
3)主に九州の ”キリシタン大名” が ”ポルトガル人宣教師” に奴隷を差し出し、
代わりにフランキなどの南蛮(ポルトガル)武器を手に入れた。
4)ポルトガル船に詰め込まれた日本人女性奴隷は主にアルゼンチンなどへ売られていった。
5)九州征伐をした秀吉が、九州のキリシタン大名と伴天連との間の
日本人婦女子奴隷貿易の実態を知って激怒し、1587年に伴天連追放令を出した。
6)一連の所業に対する処罰の一環であった。
7)その後もキリシタン大名がこそこそと奴隷貿易を続けていたため、
江戸幕府はポルトガル人宣教師による奴隷貿易を完全に断つために、
1639年(寛永16年)の南蛮(ポルトガル)船入港禁止し鎖国に入った。
444:名無しさん@1周年
16/11/25 13:36:13.45 xD+6bIz40.net
キチガイ、怒涛の連続コピペ
662 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP :2016/04/01(金) 18:25:47.12 ID:Wpmzur0c.net[39/88]
ほれ
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
これは2011年にアルメニアの聖地エチミアジンで撮影した幸ちゃんの写真だ。
URLリンク(i.imgur.com)
これは2011年にアゼルバイジャンのバクー近郊で撮影したもんだ。お袋も一緒に写ってる。
URLリンク(i.imgur.com)
インドの写真もあるで
URLリンク(i.imgur.com)
445:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:36:14.25 84rB8Z/F0.net
まず第一に、これらの神々はその仲間、つまり同一 宗教の神々をよろこんで許容し、のちにはこの寛容
は他の宗教の神々に及んでゆく。だから、これら他 宗教の神々も客分として受けいれられ、のちにはと
きとして市民権を得る場合だって出てくるのだ。それはローマ人の実例が示しているとおりだ。彼ら
ローマ人は、フリギアやエジプトの神々をはじめとして、そのほか異国の神々もすすんで受けいれ、崇敬
したものだ。だから宗教戦争・宗教的迫害・宗教裁判といった芝居をわれわれに提供し、偶像や異国の神
像を破壊したり、インドの寺院や三千年ものあいだ天日をにらんでいたエジプトの巨像を破壊するといっ
た見物を見せてくれたのは、一神教的宗教にかぎられるのだ。というのも、一神教の嫉妬ぶかい神が、
「なんじ、偶像をつくるべからず」といったためなんだ。
ところで話を本筋にもどすと、きみが人間の強烈な形而上学的欲求を力説するのは、たしかに正し
い。しかしぼくには宗教というものが、その欲求の充足というよりは、むしろその濫用であるように思
われるのだ。道徳性を促進するうえで宗教が役立つかどうかは概して疑わしいのに対して、すくなくと
もその害悪、またその結果として生じてくる残虐行為がかくれもない事実であることは、右に見たとお
りだ。もちろん王位の支柱として宗教が有効であるという点を考慮にいれれば、話は別になる。なぜな
ら、王位が神の恩恵によって授与されるかぎり、祭壇と王位は親密な近親関係にあるからだ。したがっ
て、自分の王位とその一族を愛する賢明な君主だったらだれでも真の信心の規範として、国民の先頭に
立つだろう。現にマッキャヴェッリでさえ『君主論』第十八章で、君主は信心をもつべきことを切にす
すめている。そのうえ、もろもろの啓示宗教と哲学との関係は、天佑を保有する君主と国民の主権との
関係に対応するという点をあげてもいいだろう。だが、この方程式の二つの前項、すなわち啓示宗教と君
主とはおのずから同盟関係にあるわけだろう。
446:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:36:40.28 84rB8Z/F0.net
デモフェーレス ああ、そんな調子はやめにしてくれ! そんなふうに言ったら、きみはあらゆる法
的秩序や文明や人道の大敵である暴民政治と無政府主義を謳歌する羽目になることを考えてほしいね。
フィラレーテス きみの言うとおりだ。ぼくの議論はまさに詭弁か、あるいはフェンシング教師が
めった打ちと名づけるやつだったものね。撤回するよ。議論というやつは、とかく誠実な人でもどんな
に不正陰険にしかねないものか、わかるだろう。打ち切りにするよ。
デモフェーレス いろいろやってみたけれど、宗教についてきみの気持ちを変えられなかったこと
は残念だ。しかし、ぼくのほうも断言できるが、きみがいろいろもちだした論点でも、宗教が高い価値
をもっていて必要なものだというぼくの確信は、いささかもゆるがなかったよ。
フィラレーテス それはそうだと思うね。『ヒューディブラス』にも、
無理に納得させられても
心のなかでは意見は変わらぬ
とあるものね。しかし、論争や鉱泉浴というものは、あとからのききめが本当のききめだということ
で、みずから慰めるよ。
デモフェーレス だったら良いききめがきみに出てくるように祈るね。
フィラレーテス また一つスペインの諺が胃にもたれてくるのだが、それさえなければ、良いきき
めが出てくるかもしれんね。
デモフェーレス で、その諺というのは?
フィラレーテス Detras de cruz está el Diablo.
デモフェーレス ドイツ語で頼むよ!
フィラレーテス よしきた! ―「十字架のうしろに悪魔がいる。」
デモフェーレス ねえ、あてこすりを言いあって別れるのはよそう。むしろ、宗教には、ヤーヌス神
のように―あるいはもっと適切には、バラモン教の死神ヤーマーのように、二つの顔があり、これま
たヤーマーと同様、たいへん愛想のいい顔と、ひどく暗い顔とがあるということを認めようじゃない
か。ところでぼくたちは、それぞれ別の顔を見ていたわけなんだ。
フィラレーテス きみの言うとおりだ!
447:名無しさん@1周年
16/11/25 13:36:40.68 hHmgWS5p0.net
>>36
テンプレのバカだな
「一部の過激な連中がー」
って言えば逃げられると思ってるクズ
448:名無しさん@1周年
16/11/25 13:36:54.91 l4ehj8qP0.net
あれ?イスラム教とキリスト教は親戚みたいなもんなのに
イスラム教とか名乗ってる奴らって、まともに原典すら読んだこと無いんだろうな~
コーランとか熟読してりゃ、キリスト教とは仲良くできるはず
449:名無しさん@1周年
16/11/25 13:36:55.35 A1pApsDO0.net
読み書きができなかった夫婦は使命を帯びた殉教者という見方もできる
450:名無しさん@1周年
16/11/25 13:36:58.66 UrHqPR8l0.net
>>418
古代ローマ帝国って宗教的な理由で争ってた事ってあったっけ?
初期の頃のキリスト教を弾圧したって話か?
451:名無しさん@1周年
16/11/25 13:37:10.93 bEBOMvkc0.net
ジムロジャースがかの地を旅して
こんな国は無いほうがいいと言い切ってたな
モハメッドも罪な宗教を残して行ったもんだ
イスラム諸国は全部今もって発展途上国
内心では先進国のキリスト教国に憧れてるのに
452:名無しさん@1周年
16/11/25 13:37:13.30 qFjWdTNE0.net
438 :名無しさん@1周年:2016/05/23(月) 05:46:39.26 ID:IFookQmc0
>>436
いや、キリスト教の場合は一神教だからキリスト教に染まった国は
やたら価値観が画一化されてしまうんだよ、特に世界でも最もそれが
先鋭化されてるのは韓国人だ、韓国人がみんな同じ顔に整形したがるのは
あれは絶対キリスト教的な宗教の負の一面が出てるわ
434 :名無しさん@1周年:2016/05/23(月) 05:44:17.00 ID:IFookQmc0
日本土着の信仰である、自然信仰から発展した産土神信仰やがて
氏神信仰へと発展する旧神道と、それから先祖代々の霊を祀る型式となった
日本式の仏教の神仏習合はベストな選択だといえる
また日本の戦後は、コレを否定して田舎の先祖代々の営みを
ほっぽって都会に集ってキリスト教的な一つの価値観に凝り固まって
それにそぐわないヤツは自己責任だから死ぬしかないというのが
まかり通ったのが東京という都市だ
428 :名無しさん@1周年:2016/05/23(月) 05:37:27.65 ID:CGleeGOh0
韓国や中国がやたら自己中心的で、道徳のかけらがないのも
それぞれの道徳であった儒教や仏教を捨ててキリスト教的な
一神教やカネが全てだという重商主義に染まってからだろう
日本人もおなじだ、先祖代々の墓をおっ放り出して東京にあつめられて
なんでもカネが全てと洗脳された結果ではないかいまの頽廃ぶりは
453:名無しさん@1周年
16/11/25 13:37:13.56 VdXFWSIx0.net
なんか朝鮮人が日本人のふりして人種差別テンプレをはりつけまくってるな
454:名無しさん@1周年
16/11/25 13:37:25.40 bWnUclOg0.net
>>398
そうなんだよな。
徹底的に幼稚な、屹立した自我の背骨になる。
アイデンティティに理由なきお墨付きを与える。
朝鮮人のような、国民総「分不相応な自尊心」持ちの
集団には、非常に親和性が高いといえる。
『自分だけが愛され、天国に引き上げてもらえ、
そうでない者を蔑み、優越感に浸れる』わけだから。
バカにつける薬はないとよく言われるが、バカが好む麻薬だといえようw
455:名無しさん@1周年
16/11/25 13:37:27.07 MhABueL20.net
>>19
数億いるイスラム教徒に対して原理主義者なんてのはほんの一握りなわけだが?
一部のネトウヨを指して日本人が差別主義と言われるのと同じだぞ
456:名無しさん@1周年
16/11/25 13:37:56.52 7+K8t0pQO.net
浦上天主堂では信徒12000人中8000人が即死して
事実上絶滅した
457:名無しさん@1周年
16/11/25 13:38:13.60 xD+6bIz40.net
>>450
宗教的な理由ではないないけど、様々な理由で普通に戦争はあったろ
カルタゴみたいにジェノサイドされた例もある
458:名無しさん@1周年
16/11/25 13:38:26.12 7o0g3LD10.net
偶像崇拝は禁止と言いつつコーランを偶像化しているね。
459:名無しさん@1周年
16/11/25 13:38:30.01 qFjWdTNE0.net
●【国際】背後から射殺、後ろ手緊縛も「自殺」に…消えた女性は4千人に拡大、カナダ先住民めぐる“闇”深まる
スレリンク(newsplus板)
552 :名無しさん@1周年:2016/03/16(水) 14:45:58.04 ID:IVQJSbS/0
これはカナダの伝統。大昔から。
カナダの先住民虐殺はキリスト教会が最初に主導した。
19世紀半ばからイヌイット等先住民の子供は教会に強制隔離され、虐待された。
独自の文化破壊と虐殺も行われ、子供だけで隔離15万人、教会寄宿舎で5万人が殺された。
これについてはカナダハーバー首相の謝罪演説でも明らかにされている。
人種差別反対のバカ左翼が持ち出すリンカーンさえ、インディアンは各部族丸ごと首吊りにした。
これはカナダ、アメリカ、オーストラリアでも行われてきた事だ。
現在でも白人の深層心理は変わらない。
オーストラリアのアボリジニ虐殺についてオーストラリア元首相ジョン・ハワードは
「私たちの倫理観はユダヤ教、キリスト教からきている」朝日新聞2015.2.18
白人が異教徒、有色人種を殺すのはキリスト教的倫理観に合致し、神のお望みに叶うという十字軍以来の
思考のままだ。
368 :名無しさん@1周年:2016/03/15(火) 20:34:01.91 ID:lmE+yufr0
>>341
カナダ社会が均一ではない。
都市部では、サラダボウル状態で、それなりにうまくやれている。
差別感情も、居住地区が違うからふだん接することもあまりないので、起こりようもない。
しかし国土の大部分を占める、それ以外の地域は別だ。
有色人種やファーストネイションは、ケダモノだとごく自然に思っている。
またこの事件が多発するケベック州の非都市部に住むフランス系白人は、
概して貧しく、教育もない。そして鬱積する不満は、
ファーストネイションへの狩猟として鬱散されることになる。
265 :名無しさん@1周年:2016/03/16(水) 02:47:50.90 ID:bnd+ieTk0
うわー調べてみたらつい最近までイヌイットに対して断種してたんだね。
子供できたら強制的に寄宿舎へ入れられ、女の子は神父などの性欲処理につかわれて、
30年間で数千人死んでる。入った子の3分の1が死んだてさ。
4歳の男子にも断種して、放射線浴びせて不能にしたんだって。
これ、オーストラリアとまるっきりやり方が同じたわ。
鬼畜過ぎる。これは追求しろよ
460:名無しさん@1周年
16/11/25 13:38:42.21 l4ehj8qP0.net
>>イスラム教の聖典コーラン(Koran)
Koranに一文字加えるとあら不思議、Koreanになる
よって、コーランは韓国が起源ニダ!!
461:名無しさん@1周年
16/11/25 13:38:46.36 S8hBGaFj0.net
価値観が違うんだから、イスラム社会とは経済関係だけにしとけ。
まともに関わり合っても碌なことはない。
462:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:38:55.89 84rB8Z/F0.net
>>453
一神教批判バカは必ず湧いてくる
463:名無しさん@1周年
16/11/25 13:39:09.64 qFjWdTNE0.net
277 :名無しさん@1周年:2016/03/15(火) 20:11:28.84 ID:Ja8DLJBR0
●虐殺または種族浄化でもあるこの大量強姦殺人はまだ続いている
●おそらく人種差別主義・血統主義の白人達による犯行
●犯行は極めて組織的(文化的)
●犯人達は逮捕されていない。普通に暮らしている
●警察もグルの可能性大
●先住民女性自らが告発すれば命の危険がある
●このままうやむやにして「無かったこと」にされる可能性大
●あるいは白人の伝統文化として(秘密裡ならと)先住民狩りが許容され続ける可能性もあるかも
●もちろん英BBCや英ジャーナリズムは動かない。しかし隠ぺいには協力する可能性大
●主に英国系白人の組織犯罪なので国連は動かず
ってことだね・・・
こんなのが今この時代に許されているとか信じられないわ
誰も先住民を助けられないなんてむごすぎる
637 :名無しさん@1周年:2016/03/15(火) 21:50:57.79 ID:9hAdI34w0
カナダは意図的に原住民粛清してるわけだが
そんなこと今ごろ分かったのか
ちなみに日本人は原住民と同じ顔してるからカナダに行くと危険
とくに原住民虐殺が行われているアルバータ州には近寄らないほうがいい
というかカナダそのものに行かないほうがいい
666 :名無しさん@1周年:2016/03/15(火) 21:57:00.67 ID:9hAdI34w0
>>655
カナダ人がアルバータ州の白人がやってると言ってた
原住民虐殺を現在進行形でやってることは白人はみんな知ってるよ
それで世界一住みやすい国とか宣伝するからたちが悪い
464:名無しさん@1周年
16/11/25 13:39:16.67 Z+i74HNA0.net
まあでも、冷静に考えると当たり前だよな。
宗教を本気で信じるってことは、他の宗教は間違いなんだ。共存なんてありえない。
特にイスラム教はコーランで他の宗教を敵視してるしな。
本気で心の底から信じてるなら、当然、他の宗教は打倒すべき存在でしかないんだよな。
465:名無しさん@1周年
16/11/25 13:39:46.80 UrHqPR8l0.net
>>448
コーランを焼いたとか捨てたとか難癖付ける奴らに限って
実は文盲だったりしてね
466:名無しさん@1周年
16/11/25 13:39:49.96 qFjWdTNE0.net
713 :名無しさん@1周年:2016/03/15(火) 22:09:56.11 ID:9hAdI34w0
ちょっと前に日本人女医
カナダで死んだけど
おれはあのとき原住民と間違われて虐殺されたと思ったよ
カナダ原住民って日本人と見分けつかない
717 :名無しさん@1周年:2016/03/15(火) 22:10:57.30 ID:EpzaLyjC0
白人幻想ってほんとアホらしいよな
要するに宣伝が上手いだけの詐欺師だよ白人は
カナダマンセー北欧マンセーほんと妄想がたくましいわ左翼は
821 :名無しさん@1周年:2016/03/15(火) 22:39:32.47 ID:V1L8lDt70
そもそもカナダはホモが多すぎ
特にケベック
男が夜に一人で町を歩く事すら命がけ
小柄で大人しい日本の男なんて
大柄なフランス系カナダ人の男達にレイプされる
981 :名無しさん@1周年:2016/03/16(水) 00:25:19.24 ID:xknFragv0
ようは白人はほかに白人以外の目撃者がない環境で原住民女を見つけたら
殺してもいいというルールがあるんだろ
白人からしたら原住民は邪魔な存在だし
害虫を見つけて殺すのと同じ感覚で
もちろん警察も政府も容認してきた
467:名無しさん@1周年
16/11/25 13:40:25.65 qFjWdTNE0.net
982 :名無しさん@1周年:2016/03/16(水) 00:27:27.70 ID:GJuuxKB00
まああれだ
アメリカ カナダ オーストラリアと虐殺後征服を行ったのは事実だから
後に火種にならんよう 粛々と殺しているわけだろうな
正当性を主張されたら終わるからな
977 :名無しさん@1周年:2016/03/16(水) 00:22:21.92 ID:xknFragv0
カナダはこれまで堂々と原住民虐殺をやってきた
しかし時代が変わってそれが公然とできなくなったんで
政府が暗黙に虐殺してるだけだろ
だから警察はもちろん政府主導でカナダ白人がやってるのを知ってるだろうし
警察そのものが原住民女性が一人でいたら殺してるんじゃないの
カナダなんてそんなレベルの国だよ
984 :名無しさん@1周年:2016/03/16(水) 00:28:20.31 ID:xknFragv0
というかそういう風に生のカナダ白人が言ってたよ
白人カナダ人社会では原住民なんて殺しても構わないってのは常識なんだよ
468:名無しさん@1周年
16/11/25 13:40:32.42 l4ehj8qP0.net
>>イスラム教の聖典コーラン(Koran)の一部をごみと一緒に捨て、
俺もアラビア語分からないけど、
URLリンク(www.ima-earth.com)
こういう本を見たらゴミに捨てようとかまず思わない
469:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:40:42.57 84rB8Z/F0.net
第一七七節 キリスト教について
キリスト教について公平に判断するためには、キリスト教以前にあったもの、キリスト教によって駆
逐されたものを考察しなければならない。第一はギリシア・ローマの異教だ。これは民衆形而上学と考
えた場合、ほんらい特定の教義もなく、はっきり言いあらわされた倫理もなく、それどころか真の道徳
的意図もなく、聖典さえもっていないきわめて取るにたらぬ現象であって、宗教の名にほとんど値しな
いものであり、むしろ空想の遊戯、民間童話を題材にして詩人がでっちあげたこしらえたものにすぎず、
せいぜい自然の威力の明らかな擬人化にほかならない。こういう子供じみた宗教を大のおとなが本気に
したとは、ほとんど考えられぬことだ。それにもかかわらず、古人の著書の多くの箇所は、それが本気
であったことを証明している。とりわけヴァレリウス・マクシムスの第一巻、さらにまたヘロドトスの
多くの個所がそうであるが、わたしはそのなかでヘロドトスがまるで老婆のような語り口で彼自身の意
見を述べている最終巻・第六五章を指摘するにとどめておく。時代が進み、進歩した哲学があらわれる
と、この子供じみた宗教を本気にすることは、もちろんなくなった。おかげでキリスト教は、この国家
宗教を、外面的には国家の支えがあったにもかかわらず、押しのけることができるようになったのだ。
しかし、この国家宗教がギリシア最盛期においてさえ本気にされなかったということ、それはあたかも
近世におけるキリスト教と同様であり、またアジアにおける仏教やバラモン教や、あるいはまた回教と
同様であったということ、したがって、古代人の多神教は一神教の単なる服数とはぜんぜん別のもので
あったことは、アリストパネスの『蛙』がじゅうぶんに証明している。この作品では、ディオニュソス
がおよそ考えられるかぎりの最も憐れむべき馬鹿者・臆病者として登場し、衆人の嘲笑にさらされるの
であるが、しかもこれはディオニュソス自身の祭典、ディオニシアで公然と演出されたものなのだ。―
470:名無しさん@1周年
16/11/25 13:40:58.66 LS5yAR/oO.net
>>444
辞めてくれ(笑)
クソコテコピペ爆弾読みながら顔が浮かんできて集中出来ない(爆)
471:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:41:03.47 84rB8Z/F0.net
キリスト教が駆逐しなければならなかった第二のものは、ユダヤ教であった。キリスト教はユダヤ教
の粗野な教義を純化し、言わず語らずのうちに寓話化したが、だいたいにおいてキリスト教はまったく
寓話的性質のものなのだ。というのは、俗世間で寓話とよばれるものが、宗教では教義と言われるの
だからである。愛・宥和・敵に対する愛・諦念・我意の否定といった教えを、もっぱら―といっても
西洋では、ということだが―独自のものとしてもっている道徳においてだけでなく、もろもろの教義
においても、キリスト教がギリシア・ローマの異教やユダヤ教よりはるかにすぐれていることは、認め
ざるえない。ところでどうしても真理を直接に把握できない大衆には、実際生活に対する手引きとし
て、また慰めと希望の錨としてじゅうぶんまにあう美しい寓話以上に適当なものがあるだろうか。しか
しこういう寓話には、寓話につきものの必然的要素として、いくらか理屈に合わないものが混入してく
るのであって、キリスト教の教義を本来的意味で解するかぎり、ヴォルテールの言いぶんは当たってい
るのだ。これに反し、寓話として受けとれば、キリスト教の教義は一種神聖な神話であり、それ以外に
はどうしても民衆の手にはとどかないような真理を、民衆のもとまで運んでやる車の一種だ。それは
ファエッロの唐草模様、あるいはまたルンゲの模様にくらべることもできよう。というのは、こうした
唐草模様はあきらかに不自然また不可能なことを表現しながらも、そこに深い意味が語りでているから
だ。宗教の教義においては理性はまったく無力であり、盲目であり、しりぞけられるべきであるという
教会の主張も、つまるところその意味するところは、これらの教義が寓話的性質のもので、したがっ
て、すべてを本来的意味に受けとる理性だけの物差では評価すべきでないということなのだ。教義の不
合理な点こそ、寓話的・神話的なものの烙印であり、符号なのだ。もっともキリスト教の教義につじつ
まが合わない点が出てきたのは、旧約聖書と新約聖書といった異質の二つの教説を結びつける必要が
あったためだ。
472:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:41:13.21 84rB8Z/F0.net
キリスト教のあの偉大な寓話は、偶然的な外的な事情を機縁として、これを解釈するこ
とにより徐々に成立したものだが、そこには、はっきり自覚されないながらも奥深いところに根ざす真
理が静かにかよっているのだ。この寓話が完成をみたのは、この寓話の意味を最も深く究め、ひとつの
体系的全体として把握する力をもち、欠けている点を補うことができたアウグスティヌスによってであ
る。したがってアウグスティヌスの教説、さらにルターによって裏づけられた教説こそ、完全なキリス
ト教なのであって、「啓示」を本来的意味にとって、救世主ただひとりに限定する今日の新教徒が主張
しているように、原始キリスト教が完全なキリスト教なのではない。―芽は食べられない、食べられ
るのは実であるのと同じことだ。―
しかしあらゆる宗教の難点は、その寓話的性質を公然と標榜することができず、その点を隠す以外に
手はなく、したがってその教説を大まじめに本来的意味で真なるものとして持ちださざるをえないこと
だ。教義に不合理な点があることは本質的に避けえないことなのだから、このことはたえずごまかしを
つづけることになり、ひとつの大きな弊害となる。さらに困ったことは、時がたつにつれて、その教義
が本来的意味で真ではないことが明白になることで、こうなるとその教義は崩壊するのである。そのか
ぎりにおいては、寓話的性質を宗教側ではじめから認めたほうが、ましであろう。しかし、あるものが
真でありうると同時に真でない場合もあるといったことを、どのように民衆に説いたらよいであろう
か。あらゆる宗教が多かれ少なかれこういう性質をまぬかれないことを見るにつけても、われわれは、
つじつまの合わないことが人類にはある程度かなっているのであり、それどころか生活の一要素であ
り、欺瞞が人類にとって不可欠であろうことを承認せざるをえない―これは他の現象によっても裏書き
されていることだ。
473:名無しさん@1周年
16/11/25 13:41:17.96 HqKzJkvH0.net
カルト汚染で順調に劣化
すっかり野蛮人だな
こんな事いんだすかね
【社会】ボーイスカウト祭典で強姦の疑い パキスタン人逮捕
URLリンク(itest.2ch.net) plus/1473252649/
474:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:41:24.38 84rB8Z/F0.net
上述したように旧約聖書と新約聖書を結びつけたために生じたつじつまの合わぬ点の例証となるの
は、とりわけ、神の恩寵によって永遠の救いに予定されるというキリスト教の教義である。これはルタ
ーの導きの星であるアウグスティヌスによってつくられた説で、甲は乙に優先して恩寵にあずかるとな
すものであり、したがってこの恩寵は、来世というきわめて重要な問題について、生まれたときすでに
手に入れていて、そのままこの世にもちこんだ一種の特権ということになる。この説が不合理で気に
くわない点があるというのも、人間が或る他の意志によってつくられたものであり、この意志によって
無から呼びだされたものだとする旧約聖書の前提から来ているのだ。これに反して―純粋な道徳的特
性がほんとうに生得的なものだという観点からみて―バラモン教や仏教の輪廻の前提では、この問題
はもっと筋の通った、まったく別の意義を帯びてくるのだ。というのはこの前提によれば、ある人が生
まれながらに持っているもの、すなわち前世という別の世界から携えてきて、他の人びとよりすぐれて
いる点は、他からの贈り物ではなくて、前世で行なった自分自身の業績の結実にほかならぬからであ
る。―ところでアウグスティヌスのあの教義には、さらに別の教義がつけ加えられている。すなわち
それは、堕落して永劫の罪におちた人類大衆のなかからほんの少数の人だけが、神の恩寵によって選抜
されて、正しいものと認められ救われるけれども、それ以外の者は当然の堕落、すなわち永遠の地獄の
責め苦をまぬかれないという教義だ。
475:名無しさん@1周年
16/11/25 13:41:25.63 F3bAWcy40.net
>>19
イスラム教は自分を律することができない甘えの宗教
476:名無しさん@1周年
16/11/25 13:41:28.98 7+K8t0pQO.net
浦上天主堂の再建はアメリカの日本占領期間中は一切許されず
再建出来たのは日本の独立回復後になってから
477:名無しさん@1周年
16/11/25 13:41:32.20 qFjWdTNE0.net
939 :名無しさん@1周年:2016/03/15(火) 23:40:30.66 ID:9hAdI34w0
カナダは昔から組織的に原住民虐殺してるよ
canadian residential schoolでググってみろよ
原住民の子供を白人化させるという建前で集めて
人体実験やったり虐殺したり
カナダは731部隊よりはるかに醜いことやってるよ
927 :名無しさん@1周年:2016/03/15(火) 23:31:11.53 ID:44HoP9c50
>>820
>サウスパーク映画版でもカナダ人は口がパクパクしてアホみたいに描かれてる
>アメリカとカナダにも他からは見えない事情があるんだろ
あれ、意味わからんかったけど、割と深い意味があったのかもな。
913 :名無しさん@1周年:2016/03/15(火) 23:21:43.86 ID:UccSSpVs0
どこもそうっぽいけどな
日本が調教に成功しているだけ
島国だから逃げられんしな
まあどっちがいいかだな
899 :名無しさん@1周年:2016/03/15(火) 23:12:36.46 ID:9hAdI34w0
カナダもオーストラリアも同じ
原住民を絶滅させて完全に乗っ取ろうとしている
原住民に人権与えてないし世界最悪の国だよ
333 :名無しさん@1周年:2016/03/16(水) 04:49:20.29 ID:22+dkTnq0
以前、中国人留学生の男をレイプしながら食人している所を
生配信して捕まったカナダ人の男が報道されていたけど
あそこら辺の白人は…
まあ、色々やってそうだね
478:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:41:35.17 84rB8Z/F0.net
本来的意味にとれば、この教義はここに至って腹立たしいものとなる。というのは、ときには二十年
にも満たないことのあるこの人生で犯した過失、あるいは不信仰を、この教義では永劫にわたる地獄の
刑罰によって、果てしもない苦悩であがなうことになるからだ。さらに、このほとんど一般的といって
いい堕罪は、もとはといえば原罪の結果なのであり、したがって最初の人類の堕落の必然的な帰結とみ
られていることだ。しかしこの最初の堕落など、神はあらかじめ見透していられたにきまっているでは
ないか。そもそもはじめから人間をあまり上等に創っておかないでいて、そこに落ちることを承知のう
えで、神は罠を仕掛けられたことになる。万物はあげて神の作品であり、神に隠されているものはなに
ひとつないからだ。したがって神は、罪におちるような弱い人間を無から存在へ呼びだしておきなが
ら、そのあとではこれを果てしのない苦悩にまかせて顧みないということになろう。さらに最後につけ
加えていいことは、寛容やあらゆる罪のゆるしを説き、敵を愛せよとまで定めている神が、自分ではそ
れをひとつも実行しないで、むしろその正反対に落ち着くということだ。というのは、なにもかもが過
去になり永遠に終わったというとき、あらゆる事物の最後にあらわれる罰は、改善や威嚇を目的とする
ことはありえぬことで、ただの復讐にすぎないからだ。このように見てくると、―どういう理由に
よってか不明ではるが、恩寵の選抜によって救われる少数の例外者を除けば―全人類はじじつ、永
遠の苦悩と永劫の罰を受けるように決定され、故意にそのために創られているようにさえ思われてく
る。例の少数者を問題外とすれば、まるで神さまは、悪魔にさらって行ってもらうために世界を創造し
給うたような結果になるのであって、それくらいならむしろ世界創造を中止されたほうが、はるかにま
しだったということになろう。
479:名無しさん@1周年
16/11/25 13:41:36.30 aw/63CUm0.net
ID:84rB8Z/F0
コイツ実況でもウザイwww
480:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:41:52.72 84rB8Z/F0.net
教義については、本来的意味にこれを受けとめれば、以上述べたようになるわけだが、比喩的意味に
受けとめる場合においては、じゅうぶんな解釈に耐えるものだ。まず第一に、この教義のつじつまの合
わぬ点、腹立たしい点というのは、上述したとおり、ユダヤ教的有神論の帰結にすぎない。ユダヤ教は
無からの創造をとなえ、これと関連して、じつに逆説的に、また不快な話だが、輪廻を否定するのであ
る。この輪廻説というものは、自然な考え方、ほとんど自明的といってもいい思想で、ユダヤ人を除い
ては、あらゆる時代に、ほとんど全人類に受けいれられている教説なのだ。この輪廻説を否定すること
から生じる大弊害を除去し、この教義の腹立たしい点を緩和するために、六世紀、はなはだ賢明にも教
皇グレゴリウス一世は、本質的にすでにオリゲネス(ベールのオリゲネス論、脚注B参照)に見いだ
される煉獄の教説を仕上げて、教会の教義に正式に組みいれたのである。これによって事態はたいへ
ん緩和されたし、いくらか輪廻のかわりにもなった、というのは、煉獄も輪廻も一種の浄化過程を示す
ものだからである。ギリシアの万物回帰の説も同じ意図で唱えられたもので、この説によれば、世界喜
劇の最後の幕では、罪びとでさえ、だれかれの別なくもとのありさまに戻されるのである。―新教徒
だけは、そのがんこな聖書信仰にとらわれて、永劫の地獄の罪という考えを捨てなかった。「ろくなこ
とにならないぞ」―と意地のわるい人なら言うところだろう。しかしこの場合も安んじていいこと
は、彼ら新教徒もほんとうにそう信じているわけではなく、かりにそうしておくだけのことで、心のな
かでは「まあ、そんなひどいことにもなるまい」と思っていることだ。
アウグスティヌスは、そのがんこな組織的頭脳によって、キリスト教を厳密に教義化し、いかにもき
びしいものとして仕上げた。すなわち聖書ではただ暗示されているにとどまり、なんとなく漠然とした
根拠の上にただよっているだけの教説をしっかり規定して、これに厳格な輪郭をあたえたのである。そ
のためこの教説は今日ではわれわれの気にさわるものとなり、彼の時代にペラギウス主義がこれに反対
したように、われわれの時代では合理主義がこれに反対する結果となったのだ。
481:名無しさん@1周年
16/11/25 13:41:55.07 W3v2RxM70.net
つか中世にイスラムを駆逐する勢力がなかったのが残念!!
モンゴル帝国がイスラムを完全破壊して仏教でも根ざしてやればいいのにね
482:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:42:26.27 84rB8Z/F0.net
>>481
ところがモンゴル人は回教に改宗した
483:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:42:32.17 84rB8Z/F0.net
たとえば、『神の国』第一二巻・第二一章によれば、事態は、抽象的に解すれば、ほんらい次のようになる
のだ。神は無からある存在者を創り、これにいろいろな禁止と命令とをあたえられる。しかしそれが守られ
ないので、神はこの存在者の果てしのない永遠をつうじて、およそ考えられるかぎりの苦悩によって呵責する。
そのために神は(『神の国』第一三巻・第二章、第一一章の終わり、第二四章の終わり)肉と霊とを不可分に
結びつけられる。それは、この苦悩のためにこの存在者が解体破滅して苦悩を免れることが絶対ないよう
に、永遠に生きて永遠の呵責を受けられるようにするためなのだ。―この哀れなやつは無から創られ
た以上、せめてその根源の無に帰る権利ぐらいはあるわけで、―そうひどいものでは絶対ありえぬこ
の最後の隠れ場ぐらいは、なんといっても正当な相続財産として保証されているべきであろう。すくな
くとも、わたしはこういう哀れむべき存在者に同情を禁じえない。―ところでさらにアウグスティヌ
スの他の教説、すなわちこれらすべては本来われわれの為すこと。為さぬことに依存するのではなく、
恩寵の選抜によってあらかじめ決定されているのだという説をつけ加えると―もう二の句がつげなく
なる。もちろんわれわれの教養高き合理主義者たちは言うだろう。「そんあことはみな、でたらめさ。
ただのかかしだ。われわれは一段また一段とたえず進歩しながら、いよいよ完全の域にのぼって行くの
さ」と。―とすると、いかにも残念なのは、もう少し早くわれわれがのぼり始めなかったことだ。そ
れさえ始めていれば、もうすでに完全の域に行きついているはずじゃないか。こういう言いぶんを聞く
と、われわれの頭は混乱するが、そこへ手ごわい論客で焼き殺されさえした異端者ヴァニーニの声に耳
を傾ければ、なおさらなのだ。「もし神がこの世で極悪・低劣な行為がのさばることを欲し給わないな
ら、神は目くばせひとつであらゆる恥ずべき行為を世界の境界外に放逐されるであろうことは疑いな
い。なぜなら、われわれのなかで神の意志に抵抗できるものがあろうか?
484:名無しさん@1周年
16/11/25 13:42:35.80 l4ehj8qP0.net
>>444
この豚、日本人なの?
頼むから、国内でおとなしくしててくれ
485:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:42:44.82 84rB8Z/F0.net
犯罪者が犯行をやりおおせる場合、なんといっても神がその犯罪者たちにそれだけの力をあたえ給うたので
ある以上、どうしてわれわれは犯罪が神の意志に反して犯されるなどと考えることができようか? ところ
で、もし人間が神の意志に反してあやまちを犯すとするなら、神のほうがその人間よりも弱いということに
なる。というのは、その人は現に神にさからい、またそれだけの力をもっていたのだから。以上のことから
結論されることは、神がこの世を現にあるとおりにもつことを望んでいられるということだ。なぜなら、も
う少しましな世界を望まれるならば、神はもう少しましな世界を持ち給うはずだから。」というのは、ヴァ
ニーニはまえの頁でこう述べていたのだ。「もし神が罪を欲し給うなら、罪を犯すのは神そのひとだ。もし
神が罪を欲し給わないとしても、それにもかかわらず罪は犯されるのである。したがってわれわれは神につ
いて、神は先見の明がないか、無力であるか、あるいは残酷であると言わざるをえない。なぜなら、神はそ
の欲するところを実現させるすべを知らないか、あるいはその力をもたないか、あるいはその実現を怠った
のであるから。」ここで同時に明らかになることは、どうして今日まで自由意志説が頑強に固執されるかと
いう問題である。ホッブス以来わたしに至るまで、まじめで誠実な思想家すべてこの説を不合理なものとし
てしりぞけているにもかかわらず。これは意志の自由についてのわたしの懸賞当選論文から見てとれることだ。
―もちろんあのヴァニーニを反駁するよりも、火刑に処すほうが、ことは簡単であった。だから彼はまず舌
を切られたうえで、焼き殺されたのだ。反駁のほうは、今日だれでもやっていいことだ。ひとつ試みてみられ
るがよい。ただし空虚な言葉をならべることによってではなく、真剣に、思想によって。―
486:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:42:54.77 84rB8Z/F0.net
人間の圧倒的多数は罪びとであり、永遠の浄福に値する者はごく少数だという、それ自体正しいアウ
グスティヌスの見方は、バラモン教にも仏教にも見いだされる。しかしここでは輪廻があるために、わ
れわれの感情を害することはない。つまりバラモン教での「最終の解放」、仏教での「涅槃(ニルヴァ
ーナ)」(ともにキリスト教の「永遠の浄福」と等価)は、やはりごく少数の人にしか認められていない
のだ。しかしこの少数の人も、そういう特権があたえられているというわけではなく、前世でそれだけ
の功徳を積んでこの世に生まれてきたのであり、そしてその同じ道を歩みつづけるわけなのだ。またそ
れ以外の人たちも、永遠に燃えている地獄の池に突き落とされるわけではなくて、それぞれの行状に応
じた世界へ移されるだけなのである。したがってこれらの宗教の教師に、「救済に行きつけなかったあ
の残りの人たちは、いったいいまどこにおり、どうしているのか」とたずねる人があれば、その人には
次のような答えがあたえられるであろう。「きみの周囲を見まわすがいい。ここにいるのが彼らであり、
彼らはこのざまなのだ。この世こそ彼らのどうどうめぐりの場所、これが輪廻(Sansara)、すなわち欲
と苦、生・老・病・死の世界なのだ」と。―ところでいま問題になっているアウグスティヌスの教
義、選ばれる者はごく少数で、大多数は永遠の地獄に落とされるという教義を、たんに比喩的意味に
とって、われわれの哲学の意味で解釈するならば、意志の否定に達する者、したがって(仏教徒が涅
槃に達するように)現世からの救済に達する者はもちろんごく少数の者に限られるという真理と合致す
るのである。そしてこの教義が永劫の堕罪として実体化しているものが、ほかならぬこのわれわれの世
界なのであり、例の大多数を占める残りの者はこの世界に帰属するのである。この世界はまことにひど
いものであって、これこそ煉獄であり地獄であり、そこには悪魔も欠けてはいないのだ。
487:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:43:06.27 84rB8Z/F0.net
時あって人間が人間にわざわいを及ぼし、考えぬかれた拷問でいじめぬいてたがいに徐々に死に至らし
めるかを考えてみるがよい。そのうえで、悪魔とてもこれ以上のことをなしうるかどうか自問してみるがよ
い。心をいれかえることなく、生きんとする意志の肯定に執心するすべての人にとって、この世の滞在は
果てしもないものとなるのだ。
じっさい、もしアジア高原地方の人が「ヨーロッパとは何か」とわたしに尋ねたとしたら、わたしは
彼にこう答えざるえないだろう―「ヨーロッパとは、人間の誕生が人間の絶対始原で、人間は無か
ら発したという前代未聞の信じられないような妄想にすっかりとりつかれている大陸だ」と。―
双方の神話は別として、最も深い根本において、ブッダのサンサラ(輪廻)およびニルヴァーナ(涅
槃)は、アウグスティヌスの二分された国、すなわち「地の国」(civitas terrena)と「天の国}(civitas
coelestis)に等しい。これは彼が『神の国』の諸巻、とりわけ第一四巻・第一章、第一五巻・第一章お
よび第二一章、第一八巻の終わり、第二一巻・第一章で述べていることである。―
悪魔はキリスト教では、きわめて慈悲深い全知・全能の神の対重として、必要欠くべからざる人物だ。
488:名無しさん@1周年
16/11/25 13:43:07.88 xD+6bIz40.net
カルトは、逆切れするからな
662 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP :2016/04/01(金) 18:25:47.12 ID:Wpmzur0c.net[39/88]
ほれ
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
これは2011年にアルメニアの聖地エチミアジンで撮影した幸ちゃんの写真だ。
URLリンク(i.imgur.com)
これは2011年にアゼルバイジャンのバクー近郊で撮影したもんだ。お袋も一緒に写ってる。
URLリンク(i.imgur.com)
インドの写真もあるで
URLリンク(i.imgur.com)
489:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:43:17.27 84rB8Z/F0.net
というのは、悪魔がいて、この世の無数・無限で優勢きわまる悪を引き受けてくれるのでなけれ
ば、全知・全能の神の足もとでどこからそういう悪が出てくるのか見当がつかないことになるからだ。
だから、合理主義者たちが悪魔を片づけてしまってからは、ほかの面でいろいろ困ることが出てきた
し、それがいよいよ痛感されることになってきた。これくらいのことはまえから見当のついていたこと
で、現に正統派の信者たちは予知していたのだ。柱を一本ぬけば、建物の他の部分にがたがくるのは当
然だからだ。―ここで確証されることは(これは他の方面からも確かめられることだが)、じつはエ
ホバはオルムズドの一変形なのであり、サタンはオルムズドと不可分なアフリマンだということだ。そ
してオルムズドそのものがじつはインドラの変形なのだ。―
キリスト教には固有の欠点がある。それは他の宗教のように純粋な教説ではなくて、主として、また
本質的にひとつの歴史であるということだ。つまり一連の出来事、もろもろの事実や個人の行為と受苦
の集合なのであり、ほかならぬこの歴史が教義をなしていて、それを信じることがわれわれに至福をあ
たえるのである。他の宗教、とりわけ仏教も、なるほどその開祖の生涯について歴史的付加物をもっ
てはいるが、これは教義そのものの部分ではなくて、教義と並行しているのである。たとえば『ラリタ
ーヴィストラ』が釈迦牟尼すなわち現世の仏陀の生涯を内容としているかぎりでは、これを福音書と比
較できるけれども、釈迦牟尼の生涯はあくまで教義、すなわち仏教そのものとはまったく別な問題なのだ。
490:名無しさん@1周年
16/11/25 13:43:20.11 qFjWdTNE0.net
●アメリカ軍(アメリカはバリバリのキリスト教国家)こそ、ナチを超える大量殺人鬼。ジェノサイド国。
もともと建国時からそう。
教科書でならう「ダメリカは英国の清教徒が移住して作った国」というのは嘘っぱち。
実際はチンピラ、乱暴物、犯罪逃亡者、アウトロー、
貧民の口減らしなどそういった連中が英国から逃げて移り住んだのがダメリカ。
だから、まるで狩をするように平気にインディアンを殺しまくって、土地を奪ってきた。
清教徒ならそんなことはしない。平気で殺人して、奪いつくしてきた犯罪者の子孫が今のダメリカ人。
人殺しをなんとも思わない。
特にゴールドラッシュが始まってからは、欧州から多くの山師、
ばくち打ち、犯罪集団などが一攫千金を求めて移り住んだ。
ダメリカというのは、そういう国。
187 :名無しさん@1周年:2015/10/03(土) 14:42:01.30 ID:RTJlERdL0
>>180
アメリカは中東でも日本でも意図的に民間人を殺戮してる
そうして国力をずたずたに下げて戦争継続能力の無くすのが近代戦だから
491:名無しさん@1周年
16/11/25 13:43:32.88 h2TsElEV0.net
まずイスラム土人はイスラム教徒がそれやったら殺す?教義でそうなってんならやればいいけど?
教徒じゃ無い奴にとってコーランとか読めない本って以外の意味ないんだから
コーランどうされても全く問題ないって事を理解しろよ・・・
492:名無しさん@1周年
16/11/25 13:43:33.63 OjXh9eNe0.net
>>455
その一部を野放しにして好き勝手にさせてるからそう言われる
そもそも教徒が数億いれば1%でも100万単位なわけだし
493:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:43:49.50 84rB8Z/F0.net
つまり釈迦以前の仏陀たちの閲歴はまったく違っていたし、また将来の仏陀たちの経歴もこれとは
完全に違ったものになるわけだからである。ここでは教義はけっして開祖の閲歴と癒着しておらず、個
別の人物や事実にもとづいているのではなくて、普遍的な、いつの時代にも同様に妥当する教義なので
ある。だから『ラリターヴィスタラ』は、言葉のキリスト教的な意味での福音書、すなわち救いの事
実についての「楽しい知らせ」ではなくて、めいめい各自がどうして救われうるかという指針をあたえ
た人の経歴にとどまるのである。―ところで、シナ人が宣教師をおとぎ話の話し手だといって嘲笑す
るのも、キリスト教のこういう歴史的性質から来ているのだ。
この機会にキリスト教に見られるもうひとつ別の根本的誤謬に言及しなければならない。これは簡
単に解明できない誤謬絵あるが、その恐るべき結果は日々明らかになっているところだ。すなわちキリ
スト教は不自然にも、人間が本質的にそこに所属している動物界から人間を切り離し、動物をまさに事
物と見て、人間だけを認めようとしている点だ。―ところがバラモン教や仏教は、事の真相に忠実に
従って、人間が全般的に自然全体とつながっていること、とりわけ動物界とはいちじるしい親戚関係に
あることも断固として承認し、輪廻その他の方法によって、つねに人間を動物界と緊密なつながりのう
ちに説明しているのである。バラモン教や仏教では動物が断然重要な役割を演じており、これをユダヤ
的キリスト教における動物のほとんどゼロに等しい役割と比較すれば、たとえヨーロッパではそういう
筋の通らぬ話に慣れているとはいっても、完全さにおいてキリスト教はまったく論外なのだ。この根本
的誤謬を言葉でごまかすために―じつはそれによって輪に輪をかけるだけなのだが―すでにわたし
の『倫理学』二四四頁(第二版二三九頁)で槍玉にあげておいたような、じつに浅ましくも図々しい奸
策が弄されている。
494:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:44:06.09 84rB8Z/F0.net
すなわち、動物がわれわれ人間と共有しており、人間の本性と動物の本性が一体
であることを立証するすべての自然的機能、たとえば飲食・妊娠・出生・脂肪・死体などを、動物の場
合、人間におけるのとはまったく別の言葉で言いあらわすのである。これはまことに卑劣な策略だ。と
ころでこのような根本的誤謬は、無からの創造ということから出てくるのだ。犬を売る商人でさえ、そ
の手がけた動物を手放すときには、「かわいがってやってください」というとりなしの言葉をつけ加え
るのに、創世記・第一章および第九章によれば、造物主は、そういうとりなしはいっさい抜きに、まっ
たく事物同然に、あらゆる動物を人間にゆだねるのである。それも人間が動物どもを支配するように、
つまり人間が自分の好き勝手なことを動物に加えていいというのである。さらに第二章では、造物主は
人間を動物学の筆頭教授に任命し、これからさき動物たちのもつべき名称をそれぞれの動物にあたえる
ように委嘱する。これこそまさに動物が人間に完全に依存しているということ、すなわち動物がなんら
権利をもたないということの象徴にほかならぬ。―聖なるガンジスの流れよ! われわれの種族の母
よ! こういう造語がわたしに及ぼす影響は、べとつくアスファルトやユダヤ的悪臭のごときものがあ
るのだ! これというのも、動物を人間の好き勝手に使える製品のように見るユダヤ的見解のせいだ。
しかしその影響は残念ながら現代にも及んでいることが感じられる。というのは、これらの物語がキリ
スト教に移行したからだ。だからキリスト教の道徳がこの世で最も完全なものだなどと吹聴すること
は断然やめるべきだ。じっさい、キリスト教の道徳がその掟を人間だけに限って、動物界全体をなん
の権利ももたないものとして放置していることは、ひとつの大きな欠陥であり、本質的に不完全な点で
ある。だから粗暴・冷酷な、ときには野獣にも負けぬような大多数の人間どもから動物を守るために
は、警察が宗教の役割を代行せざるをえぬのであり、それだけではじゅうぶんでないため、現今ではヨ
―ロッパやアメリカのいたるところで、動物愛護協会などが結成されているしまつだ。
495:名無しさん@1周年
16/11/25 13:44:09.93 48X2Im7o0.net
>>4
宗教っていうかあそこの人たちの元々の性格だと思う
496:名無しさん@1周年
16/11/25 13:44:14.35 qFjWdTNE0.net
★アメリカ人の正体★
元はイギリスの前科者、食い詰め者、できそこないの末裔
アメリカ大陸、オーストラリア大陸に流刑される
アメリカに流刑された者はインディアンを虐殺
オーストラリアに流刑された者はアボリジニーを虐殺
その後、世界各地で虐殺を繰り返す。
済州島出身(朝鮮における流刑地、在日の故郷)と性質や出自は同じ
●長崎市への原子爆弾投下 - Wikipedia
大村海軍病院にて。全身に大火傷を負った14歳の少女
URLリンク(upload.wikimedia.org)
●アメリカ人がばら撒いた枯葉剤による被害 ベトナム
URLリンク(blog-imgs-37.fc2.com)
URLリンク(pds.exblog.jp)
URLリンク(blogs.c.yimg.jp)
497:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:44:16.45 84rB8Z/F0.net
しかしこういう協会などは、割礼を受けない全アジアでは無用の長物の最たるものであろう。というのは
アジアでは、宗教が動物をじゅうぶんに保護し、積極的に親切に取り扱っているからで、現にその成果は
たとえばスラテの大きな家畜病院に見られる。この病院へは、キリスト教徒も回教徒もユダヤ人も病気に
かかった動物を入院させることができるが、治療がうまくいっても、まことに適切な処置だが、その動物
を返してもらえないのだ。同様にバラモン教徒や仏教徒は、自分の身に幸運が舞いこんだり、あるいは事
がうまく運んだりした場合はいつでも、「神なる汝を」などとわめきたてないで、市場に行って鳥を買
い、市門のまえでその鳥籠をあけてやるのだ。これはあらゆる宗教の信者が集まっているアストラハン
などでいくらも見る機会があることだ。またこれに類することはいくらでもある。
これにひきくらべ、われわれのキリスト教の賤民どもが動物を遇する、あの悪逆無道ぶりを見るがい
い。彼らはまったくなんの目的もないのに、笑いながら、動物を殺したり、かたわにしたり、いじめた
りする。そして自分たちを養ってくれた稼ぎ手の馬でさえ、老齢に至っても酷使し、その鞭の下にくた
ばるまで、哀れにも骨の髄までもしゃぶるのだ。じっさい、人間は地上の悪魔で、動物たちは苦しめられ
る魂だ、と言いたいくらいだ。これこそエデンの園におけるあの任命の場面の結果なのだ。賤民どもを
おさえるには、暴力か宗教しかないのに、キリスト教は不名誉にもこの場合、われわれを見殺しにする
のだ。確かな筋から聞いた話だが、ある新教の牧師が動物保護協会から動物虐待に反対する説教をして
くれと頼まれたとき、宗教上なんの手がかりもあたえられていないので、どうしてもできないと答えた
という。この牧師は正直者だったのだ。彼の言うとおりなのだ。たいへん称讃に値するミュンヘン動物
愛護協会が一八五二年一一月二七日付で出した告示は、すばらしいねらいで聖書から「動物愛護を説
いている規定」を集めようと骨折っている。
498:名無しさん@1周年
16/11/25 13:44:17.36 nggdm2HDO.net
エリートリベラル「イスラムへの差別禁止!移民も寛容な心で受け入れよう!」
↑ただしこいつらがイスラムや移民達と隣同士で暮らすことはない
そういうことは全て普通の市民に、あわよくは下層の市民に押し付ける
ついでにイスラム教というのはその教義上かなり排他的で、
他文化や他宗教の受け入れや、それらに迎合することは極めて厳しい
499:名無しさん@1周年
16/11/25 13:44:25.60 awRvbt5o0.net
毎度毎度価値観の押しつけって奴がホント酷いなイスラムは
500:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:44:27.93 84rB8Z/F0.net
そのあげている個所はソロモンの箴言一二の一〇、ジーラハ七の二四、詩編一四七の九、一〇四の一四、
ヨブ記三九の四一、マタイ一〇の二九であるが、これはだれもその個所をあけて見ないだろうということ
を当てにした一種の「敬虔な嘘」にすぎないのだ。ただ非常に有名な最初の個所だけは、弱いながらも、
この問題に触れたことを述べている。それ以外の個所は動物について語ってはいるけれど、動物愛護の
ことは言っていないのだ。ではその最初の個所は何と言っているか? 「正しい人はその家畜を憐れむ」
―「憐れむ!」とは、なんという言葉か! わるいことをした罪人や犯人ならば憐れむこともあろうが、
なんの罪もない忠実な動物、ときにはその主人に飯を食わせてやりながら、わずかな餌しかあたえられぬ
動物に対して「憐れむ」というのは当たらない。「憐れむ!」憐れみではなくて、公平こそ、われわれが
動物にあたえてやらねばならぬものだ、―しかしこの公平こそ、ヨーロッパ、すなわちユダヤ的悪臭に
みちみちているため、「動物は本質において人間と同じものだ」という明白・単純な真理が、一種不快な
逆説となっているこの大陸にあっては、実現されぬままにとどまっているのである。―
動物の保護は、したがってそれを目的とする協会や警察の仕事になるわけだが、両者とも賤民ども
のあの一般的な無道な仕打ちに対しては、ほとんどお手あげのかっこうだ。なにぶんにも訴えることの
できない動物相手のことであり、百の残虐行為で見つかるのは一つあるかないかであり、とりわけその
刑罰が軽きにすぎるからである。最近イギリスでは苔刑が提案されたが、わたしには至当のことと思わ
れる。しかし、人間と動物が本質的には同一であるという熟知の事実さえ承認せず、誠実で理性的な仲
間の者が、人間を動物の当該部門に編入したり、あるいは人間がチンパンジーやオーラン・ウータンに
酷似していることを証明したりすると、それこそ躍起になって反駁したりするほど、はなはだ頑迷・愚
昧な学者どもや動物学者までいるありさまでは、何を賤民どもから期待できよう。
501:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:44:39.41 84rB8Z/F0.net
しかしほんとうに腹が立つことは、きわめてキリスト教的な考えをもった敬虔なユング=シュティリングが、
その著『幽界の光景』第二巻・第一景一五頁で、次のような比喩をあげていることだ。「突如として骸骨は
収縮して、 言いあらわしようのないほど不気味な小さな侏儒となった。それはちょうど、大きな女郎蜘蛛を
沸騰点 にあるビーカーに入れて、膿のような血が灼熱のなかでぐつぐつと煮えたぎったときのようであった。」
つまりこの神のしもべは、こういう恥さらしの行為を自分でやったか、あるいは平静な観察者として傍
観したのだ。―この場合、どちらでも同じことだ。―じっさい、彼はそういうことを悪いともなん
とも思っていないから、話のついでに淡々として語っているのだ! これは創世記第一章、一般にユダ
ヤ的自然観の影響である。これに反して、インド教徒や仏教徒にあっては、偉大な言葉「それはおまえ
なのだ」(Tat-twam asi)が重んじられる。これは動物と人間んお内的本性が同一であることを銘記する
ために、われわれの行動の基準として、どういう動物に向かってもたえず口にする必要のある言葉なの
だ。―まことにいたれりつくせりの道徳ではないか!―
わたしがゲッティンゲン大学で勉強していたとき、ブルーメンバッハは生理学の講義で、生体解剖の
おそろしい面について切々とわれわれに語った。それがいかにも残忍でおそろしいことであること、し
たがってめったに用うべきではないこと、ごく重要で、直接役立つ研究にだけこの措置に踏みきるべきで
あること、それを行なう場合には、科学の祭壇にささげられた残忍な犠牲が最大の利益をもたらすよ
う、大講堂で最大限に公開し、あらゆる医学者を招待したうえで行わなければならない、と説明して
くれたのである。
502:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:44:53.97 84rB8Z/F0.net
―ところが今日では、どんな藪医者でもいろいろな問題を決定するために、その拷問室で残忍きわまる
動物虐待をやる権能があると思っている。じつはその問題の解決はとっくに書物に載っているのであって、
ただ彼らがあまり怠惰・無知であるために、その書物をのぞかないだけのことなのだ。昔の医者は古典的
教養によって、ある種の人間性と気品をそなえていたが、いまの医者はもはや古典の素養をもっていない
のだ。いまはできるだけ早く大学に行って、そこでせめて膏薬塗りだけでも覚え、それで世間的成功を
得ようというわけだ。
生体解剖ではフランスの生物学者が先例を示したように思われる。そしてドイツ人はフランス人と張
り合って、しばしば大量に、罪のない動物に残虐きわまる拷問を加えるのであるが。その目的とすると
ころは純理論的な、往々愚にもつかない問題を決定するためにすぎない。わたしはここにとくに憤慨に
たえない二つの実例をあげたいと思うのであるが、それはけっして散発的なものでなく、似たような例
は百をもって数えることができる。マールブルクのルートヴィヒ・フィック教授はその著『骨の形の原
因について』のなかで、幼い動物の眼球を摘出したことを報告している。それは何のためかといえば、
そのあとの間隙に骨が成長していくという彼の仮設を確証するためなのだ!(一八五七年十月二十四日
付「中央新聞」を見よ。)
ニュルンベルクのエルンスト・フォン・ビブラ男爵が行なった非道の仕打ちは、特記するに値する。
彼がその著『人間ならびに脊椎動物の頭脳にかんする比較研究』(マンハイム、一八五四年、一三一頁
以下で、いかにもしたり顔に、不可解なほど素朴に、読者に語っているところによると、二匹の兎を
計画的に餓死させたというのだ! しかもそれは餓死によって脳髄の化学的成分に比例的変化が起こる
かどうかという、まったくのんびりした無益な研究のためなのだ! 学問のために―とおっしゃるの
でしょ? いったい解剖刀や坩堝のこの先生がたは、自分がまず人間であること、科学者であることは
二の次だということを、夢にもお考えにならないのか?
503:名無しさん@1周年
16/11/25 13:44:55.55 CTjDRVsk0.net
高校の時は近所のキリスト系大学から聖書配られたな
教師が家に帰って捨てろ学校で捨てるなって行ってたので駅で捨てた
無理矢理配るなよ
504:名無しさん@1周年
16/11/25 13:44:59.85 l4ehj8qP0.net
キチガイ連投してるやつって、自分のレスを読んでもらえてるって思ってるのかな?w
505:名無しさん@1周年
16/11/25 13:45:10.85 evIUj+IC0.net
イスラム教は自分にも他人にも厳しいって印象
506:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:45:10.95 84rB8Z/F0.net
―母親の乳を飲んで育っている無邪気な動物を南京錠やかんぬきをかけて閉じこめ、拷問にも似てじわり
と餓死させながら、どうして高枕で眠れるのか? 眠っていてもびくりととび起きはしないのか? こうい
うことがバイエルンでは起こるとは? バイエルンでは王子アダルベルトの保護のもとに、尊敬すべき功績
顕著な宮中顧問官ペルナー氏が、粗暴・残忍から動物を守るために全ドイツに範をたれているではないか。
ニュルンブルクには、大いに成果をあげているミュンヘン動物愛護協会のごときものがないのか? ビブラ
の残虐行為は、たとえ阻止されえなかったとしても、罰せられずにすんだのであろうか?―このフォン・
ビブラ氏のように、まだまだ多くのことを本から学びとらねばならぬような人は、自分の知識を豊富にしよ
うとして、つまりはおそらくはとうの昔に知れわたっているような自然の秘密をしぼりだすために、残忍な
方法で究極の答えをしぼりだそうと考えたり、生き物を拷問にかけようと考えたりしてはいけないのだ。と
いうのは、この種の知識のためならば、哀れなよるべない動物を拷問で殺す必要はさらさらなく、まだ他に
罪のない宝庫がいくらもあるからである。いったいなんのために哀れにも無邪気な兎を捕えて、徐々に餓死
する苦しみをなめさせるような罪なことをするのか? 研究されるべき関係について書物に記載されている
ようなことを、完全にすべて熟知していないような者は、生体解剖をする資格はないのである。
すくなくとも動物にかんするかぎり、たしかにいまこそユダヤ的自然観に終止符をうつべき時であ
り、われわれのなかに生きているのと変わりなく、あらゆる動物のなかにも生きている永遠の本質を正
しく認識し、保護し、尊重すべき時である。わたしはそれを本気で言っているのであり、たとえ全ヨー
ロッパがユダヤ人の教会堂で蔽われようとも、一歩もゆずる気のないことを銘記しておいてもらいたい!
507:名無しさん@1周年
16/11/25 13:45:13.93 WB3qhUj00.net
>>319モルモン教は?
508:名無しさん@1周年
16/11/25 13:45:17.25 CxLokhKB0.net
イスラム教を冒涜したから事件に遇っただけで
キリスト教徒であったかどうかは事件の本質と関係ないじゃん。
509:名無しさん@1周年
16/11/25 13:45:31.87 UrHqPR8l0.net
>>457
様々な理由で普通に戦争はどこにでもあるよ。
平和な時代が多い日本でだって戦国時代があったんだし。
宗教が理由の戦争とか殺戮は古代ローマじゃなかったよね。
古代ローマは色んな神様を誰もが好きに選べたから。
510:名無しさん@1周年
16/11/25 13:45:46.87 yH86B++P0.net
>>491
土人って言葉を辞書で引いてこいよ
511:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:45:53.38 84rB8Z/F0.net
>>507
キリスト教系の新興宗教で一夫多妻が教義
512:名無しさん@1周年
16/11/25 13:45:59.65 h2TsElEV0.net
こっちは寛容にしてやってるのに向こうは一切寛容しない、価値観を押しつけてくる
これじゃあ多様性社会で無理だろイスラム教は
513:名無しさん@1周年
16/11/25 13:46:03.25 7o0g3LD10.net
>>504
自分はすぐにNG設定しました。
514:名無しさん@1周年
16/11/25 13:46:08.96 qFjWdTNE0.net
キリスト教徒↓
●「ダーリン、日本軍兵士の頭蓋骨送ってくれてありがとう♪」
ーと手紙をしたためるアメリカ人の少女(ライフ誌)
URLリンク(i.imgur.com)
●吊るされる日本兵の首
(1945年太平洋の激戦地ペリリュー島および沖縄で、
日本兵の死体から手や首を切り取って持ち帰るのがアメリカ軍で大流行
髪の毛はアクセサリーなどにされた
URLリンク(i.imgur.com)
●日本兵の頭部で遊ぶマクファーソン米軍中尉
(1944年4月30日、ニューギニア、アメリカ海軍魚雷艇341甲板にて)
URLリンク(i.imgur.com)
●日本兵の頭部を煮るアメリカ兵(1944年)。
頭蓋骨は一体につき35ドルで販売。
URLリンク(i.imgur.com)
515:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:46:15.22 84rB8Z/F0.net
動物は本質的に、また主要な点で、われわれ人間とまったく同一なものであり、その差はたんに
偶有的属性、すなわち知性にあるだけで、意志という実体にあるのではない。こういうことがわからぬ
のは、あらゆる感官がめくらであるか、ユダヤ的悪臭のクロロホルムで完全に麻酔にかかっているに相
違ないのだ。世界は、われわれが使うためにこしらえたものではなく、動物はわれわれが使うための製品で
はない。こういう見解はユダヤ人の教会堂や哲学の講堂にまかせておけばよい。この二つは、べつに本
質的に大差はないのである。これに反し上述の認識は、動物を正しく取り扱うための規則をわれわれに
手渡してくれる。狂信的にいきまく連中や坊主どもに対して、この問題ではあまり反対しないようにわ
たしは勧告する。というのは、この場合、真理だけではなく、道徳までもわれわれの味方についている
からである。
鉄道がもたらした最大の恩恵は、そのおかげで何百万の輓き馬が苦役を免れたことだ。―
イギリスには菜食主義者というのがいるけれども、北方に押しよせて行って、そのために白色になっ
た人間が動物の肉を必要とするということは、残念ながら真実である。しかしその場合でも、クロロホ
ルムを用いたり、致命的な急所をすばやく一撃を加えたりすることで、動物たちがその死を感じないよ
うにしてやるべきだ。しかもそれは旧約聖書が言いあらわしているような「憐れみ」からではなくて、
われわれのなかに生きているのと変わりなく、あらゆる動物のなかにも生きている永遠の本質に対する
どうしようもない責任からである。屠殺されるあらゆる動物にはあらかじめ麻酔をかける必要があろ
う。これこそ人間の名誉をそこなわない高貴なやり方と言えるだろう。西洋の高度な科学と東洋の高度
の道徳が、このやり方ならば手に手を携えて行けるであろう。バラモン教や仏教はその掟を「隣人」に
限定することなく、「生きとし生けるもの」をその保護のもとに包容する域に達しているからである。
516:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:46:30.76 84rB8Z/F0.net
ユダヤ的悪臭のためにその頭が朦朧となっていない人、倒錯した考え方をもっていない人ならば、だ
れにでもおのずからわかる真理、端的に確実な真理が、あらゆるユダヤ的神話や坊主どもの威嚇をしり
めにして、いいかげんヨーロッパでも認められるべきであり、これ以上握りつぶされるようなことがあっ
てはならない。それは動物が、主要な点で、本質的に、われわれとまったく同一なものであり、その差
はたんに知性の度合い、すなわち頭脳の活動にあるだけだということだ。もちろん知性の程度は、動物
の種の異なるに応じて非常なひらきがあるけれども、この真理を認めることによって、もっと人間らし
い取り扱いを動物たちにあたえることができよう。というのは、あの単純であらゆる疑問をこえた真理
が民衆にしみわたったときになってはじめて、動物たちはもはや権利をもたないものとして放置された
り、粗暴な悪童どもの意地悪い気まぐれや残忍性の犠牲になったりすることもなくなるからである。
―そして今日行なわれているように、あらゆる藪医者どもが、自分の無知からくる冒険的気まぐれ
を、無数の動物の身の毛のよだつ苦痛によって実験するような勝手なまねもできなくなるだろう。もち
ろん今日では動物もたいがいの場合クロロホルムで麻酔がかけられることを頭におく必要はある。おか
げで手術中も苦痛をまぬかれるし、手術後は急速に死をあたえて彼らを救うこともできるのである。し
かし今日しばしば行なわれている、神経系統の活動とその感受の度合いをしらべる目的の手術では、麻
酔という手段はとうぜん使うことはできない。つまりまさに観察しようとする活動が停止するからであ
る。そして残念なことには、生体解剖に最も頻繁に用いられるのは、あらゆる動物のなかで道徳的に最
も高尚な動物、すなわち犬である。しかも犬はその神経系統が非常に発達しているため、苦痛の感受度
は他の動物よりも高いのである。良心のやましさを感じるような動物の扱い方は、ヨーロッパでもこの
あたりでやめなければならない。―
517:名無しさん@1周年
16/11/25 13:46:35.22 bWnUclOg0.net
>>503
ヤフオクで売れないものなのかな?
抗議かなんか来るのかなw
518:名無しさん@1周年
16/11/25 13:46:36.91 Zp+buSi/0.net
やっぱ土人は土人だな
519:名無しさん@1周年
16/11/25 13:46:43.39 DM/Uc8gM0.net
シナチョンパヨクかと思ったら沖縄土人だった。
520:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:46:45.88 84rB8Z/F0.net
犬について: 犬を鎖につなぐことの残虐さについて。人間のこの唯一真実な仲間、最も忠実な友、Fr.キュ
ヴィエのことばで言えば、かつて人間が獲得したなかでもいちばんだいじなこの腹心、しかも最高にものわ
かりがよく感受性も鋭敏なこの生き物を、まるで犯罪者のように鎖につなぐとは! つながれた犬は朝から
晩まで、自由と運動にあこがれるばかり。その切なる願いもかなえられることなく、その一生は緩慢な拷問
と化すのだ! こうした残虐さのために、はては犬も犬の本性を失って、かわいげのない、野性むきだし
の、忠実さの欠いた畜生となり、また人間という悪魔にいつもおののいて、びくびくはいつくばる姿に変
わってしまうのである! このようなみじめな姿がもしわたしのせいであり、あけくれその歎きを見ていな
ければならないとしたら、むしろわたしは犬など飼うのをやめて、泥棒にあったほうがましだと思う。(あ
る貴族と彼の鎖につないだ犬については、第一五三節参照。)籠の鳥も恥ずかしいおろかな残虐行為だ。こ
んなものは禁止されるべきで、この場合も警察が人間性の代役をなすべきだろう。
――――――――――――――――――――――――
動物界についてのユダヤ的見解は、道徳にそむいているから、ヨーロッパから一掃される必要があ
る。本質的に、また主要な点で、動物がまったくわれわれと同じものである、ということ以上に明白な
ことがあろうか。そういうことを見誤るようでは、五官のすべてがめくら同然であるにちがいないか、
あるいはむしろ見ようという気がないにきまっているのだ。それというのは、だれでも真理よりは飲み
しろのほうがありがたいからだ。
521:名無しさん@1周年
16/11/25 13:47:04.58 UjIgch/F0.net
アメリカの歴史をみても
リンチなんてふつうだけどね
ヘンリー・フォンダは14歳の時ネブラスカ州オハマで
ロープでつり下げられた若い黒人がリンチされるのを目撃している
522:名無しさん@1周年
16/11/25 13:47:08.18 f12lWCzm0.net
別に生きた人間をそのまま挽肉にしてハンバーグ作ったりはねた生首でサッカーしたり殺した少女を精肉市場にぶら下げて陳列してたりしたわけじゃないよな?
キリスト教徒はすっとぼけてるけどまだ70年しか経ってないからね
523:名無しさん@1周年
16/11/25 13:47:21.56 58h66qeH0.net
>>298
イスラム教はキリストを預言者と認めているからね
キリスト教はムハンマドを預言者と認めていない
ユダヤ教はキリストもムハンマドも預言者と認めていない
524:名無しさん@1周年
16/11/25 13:47:21.72 n+/QbQ9Z0.net
原理主義者を粛清しろよ、イスラム教徒よ。
内々で蹴りつけられないから、信用されないんだよ。
被害者ヅラしてても、しょうがないぞ
525:名無しさん@1周年
16/11/25 13:47:24.45 6GSrhEpAO.net
日本人を冒涜するチョン
526:名無しさん@1周年
16/11/25 13:47:39.10 hTr8QHmC0.net
「悪いのは原理主義者だ!」とかいう擁護が入ることがあるけど
原理主義組織を国ぐるみで支援してるサウジとかどうなるん?
527:名無しさん@1周年
16/11/25 13:47:45.04 CtWfDH0M0.net
おい日本の死刑制度に反対する
日弁連供、パキスタンに抗議しろよ
528:名無しさん@1周年
16/11/25 13:47:49.95 qFjWdTNE0.net
241 :名無しさん@1周年:2016/07/28(木) 19:17:03.58 ID:gmtHR1qV0
白人から劣等種と見られると絶滅させられるのは
アンティル諸島でもタスマニア島でも見られるとおり
242 :名無しさん@1周年:2016/07/28(木) 19:20:02.91 ID:jDqgtiUm0
首都キャンベラの戦争博物館には日本軍将兵の勲章・階級章・軍刀の展示ある
捕虜虐待はもちろん捕虜暴動で大量殺害、投降兵を捕虜にしないで殺害とか公然と行われていたと
529:名無しさん@1周年
16/11/25 13:48:23.96 3fokFG4p0.net
人命より本のほうが大事か?
偶像崇拝禁止なんだろ?本を崇拝してるんじゃないのか?
530:名無しさん@1周年
16/11/25 13:48:57.48 qFjWdTNE0.net
イスラムのキリスト教虐殺は話題になるが
キリスト教、ユダヤ教による他宗教の虐殺は話題にならんのはどうしてや?
●【米国】自殺しようとした妊娠中のネイティブアメリカンの女性、止めに来た警官が射殺
スレリンク(newsplus板)
「青少年・刑事司法センター」の調査によると、
1999年?2011年にアメリカ国内で警官に殺害された人種の中で最も多いのは
ネイティブアメリカンだ。
(人種と年齢の内訳では、20歳から24歳のアフリカ系アメリカ人が
一番多く殺されている)。
531:名無しさん@1周年
16/11/25 13:49:09.72 UrHqPR8l0.net
>>522
>キリスト教徒はすっとぼけてるけどまだ70年しか経ってないからね
何を言ってるの?
532:名無しさん@1周年
16/11/25 13:49:25.77 F31tE8K00.net
>>452
東京都民だけど、東京都民はどうにかしちまってる。
上手く表現出来ないけど人としての大事な部分を失ってるというか、拝金主義というか、思想信条の腐敗が酷い。
コップに入った水に毒を垂らすと上から下が汚染されてくように、東京の上層部が腐敗すれば中層や下層の東京都民もあっという間に腐敗する。
その腐敗を助長してるのが東京のマスコミと教育関係者だよ。
533:名無しさん@1周年
16/11/25 13:49:33.51 WB3qhUj00.net
宗教に託けて殺し合いをしたい人がいる 相手にする暇人と金が動く限り続く
534:名無しさん@1周年
16/11/25 13:49:35.31 uxb0A3eJ0.net
一方的な長ったらしい長文
宗教の悪いところだ
535:名無しさん@1周年
16/11/25 13:50:01.20 eMwjRNZF0.net
だからさっさとイスラムを根絶やしにしろと
536:名無しさん@1周年
16/11/25 13:50:35.04 U3Rr1cPy0.net
やっぱ宗教ってクソだわ
537:名無しさん@1周年
16/11/25 13:50:42.21 Pkwbq9nc0.net
>>1
イスラムもキリストも、おんなじ神様のお使いさんやん。
538:名無しさん@1周年
16/11/25 13:51:49.60 f12lWCzm0.net
>>531
殺しの残虐性はどっこいどっこいって事
539:名無しさん@1周年
16/11/25 13:51:53.93 qFjWdTNE0.net
●日本昔ばなし
大仏の食いにげ
URLリンク(nipponmukasibanasi.seesaa.net)
他の国でこんな話できるか?
大仏が食い逃げしたり、大仏が伊勢参りしたり
540:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:52:13.13 84rB8Z/F0.net
>>536
共産主義者乙w
541:名無しさん@1周年
16/11/25 13:52:26.42 VdSTMU/b0.net
チョンくんたちコーラン焼いてなかったっけ?
542:名無しさん@1周年
16/11/25 13:53:02.29 XmVMSHAN0.net
宗教的熱情に突き動かされて独り言を喚き散らしてる人が居ると聞いて飛んで来ますた
543:名無しさん@1周年
16/11/25 13:53:02.62 gagt64O60.net
もともとこういう野人連中で始末が悪いから多少なりとも教育つけてやろうとして
普及には成功したのがイスラム教だったけど意味なかったって話だよね
544:名無しさん@1周年
16/11/25 13:53:10.36 XBo2TR2q0.net
>>12
宗教がなかったら犯罪もっと増えるよ
545:名無しさん@1周年
16/11/25 13:53:11.45 WB3qhUj00.net
経典 = 屁理屈を捏ね繰りまわした読み物
信じるのは読んで理解出来ないか読めない低層の人々
546:名無しさん@1周年
16/11/25 13:53:29.69 cgPmLzMB0.net
イスラムって悪魔崇拝なんやろな
人類にとって害悪
547:名無しさん@1周年
16/11/25 13:53:35.20 LS5yAR/oO.net
>>530
まったく話題にならない事も無いだろう?トルコ大統領のイスラエル批判ニュースもここにあったぞ?
548:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:53:42.57 84rB8Z/F0.net
第一七九節 旧約聖書と新約聖書
ユダヤ教の根本性格は現物主義と楽天論だ。この二つは血筋の近いもので、本来の有神論の条件であ
る。というのは、有神論は物質界を絶対に現実と見て、人生をわれわれのためにつくられた、快適な一
種の贈り物とみているからである。これと反対に、バラモン教や仏教の根本性格は、精神主義と厭世観
だ。というのは、バラモン教や仏教は、世界を一種の夢のようなものと見ており、人生をわれわれの罪
の結果と見ているからである。周知のようにユダヤ教の源流であるゼンド・アヴェスタ教では、厭世的
要素を代表するものにアフリマンがある。しかしユダヤ教では、このアフリマンがサタンになって、従
属的地位を占めるにすぎなくなる。といってもサタンが蛇やさそりや毒虫の元祖であることは、アフリ
マンと同様である。ユダヤ教はサタンの化身である蛇を人間の堕落に登場させる。つまり楽天観という
ユダヤ教の根本的誤謬を修正するために、サタンを利用するのだ。ところでアダムとイヴの堕落は、明
白な真理には絶対必要な厭世的要素をユダヤ教にもちこんだもので、この宗教では最も正しい根本思想
である。ただし罪に堕ちるということは人間生存の根拠であり、生存に先行するものとして叙述される
はずのものであるが、アダムとイヴの堕落はこれを生存の経過へ移しかえているのである。
エホバがオルムズドであるという適切な確証を提供しているのは、七十人訳エズラ書・第一巻、すな
わちο ιερευς Α(六の二四)だが、ルター訳では省かれている。「王キュロスはイェルサレムに主の家を
建造せしめた。そこでは不断の火によって主に犠牲がささげられていた。」―またアカベア第二書・第一
章および第二章、さらに第三章、最八節も、ユダヤ人の宗教がペルシア人の宗教であったことを証明
している。
というのは、バビロンの捕囚に連れ去られたユダヤ人たちは、ネヘミヤの導きのもとに、あ
らかじめ聖火を乾いた天水槽のなかに隠しておいたため、水につかることになったが、そちに奇蹟に
よってふたたび火があおりたてられたので、ペルシア王に大なる感化をあたえた、と語られているから
である。ユダヤ人と同様、ペルシア人もまた偶像崇拝をきらい、したがって神々を像の姿であらわすこ
とはなかったのである。(シュピーゲルもまた、ゼンド宗教について、それがユダヤ教徒親近性をもっ
ていることを説いているが、しかし彼はゼンド宗教がユダヤ教に由来すると主張している。)―
エホバがオルムズドの一変形であるように、アフリマンの変形がサタン、すなわちオルムズドの敵対
者なのだ。(ルターは七十人訳で、「サタン」となっているところを「敵対者」と訳している。たとえ
ば列王紀略上・第一一章、第二三節。)エホバ崇拝はヨシュア王の治下にヒルキアの援助によって生じ
たらしい。すなわちゾロアスター教徒によって受けいれられエズラによりバビロン追放から帰還した
さいに完成したと思われる。というのは、ヨシュアやヒルキアまでは、あきらかに自然宗教・星辰崇
拝・ベル崇拝・アスタルテ崇拝などがユダヤ王国で行われていたからであり、ソロモン王治下でも同
様である。(ヨシュアおよびヒルキアについての列王紀略を見よ。)
549:名無しさん@1周年
16/11/25 13:53:48.10 qFjWdTNE0.net
>>532
東京都民は、アメリカ猿マネ、妄信がヒドイからな
自動的に一神教的価値観に染まってしまう
550:名無しさん@1周年
16/11/25 13:53:55.40 lQEzewsa0.net
本を崇拝しとんのか
551:名無しさん@1周年
16/11/25 13:53:56.03 3mXPm7hN0.net
キリスト教徒に9条を
552:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:54:15.45 84rB8Z/F0.net
列王紀略: キュロスやダリウスが(エズラ以降)ユダヤ人に好意を示し、その神殿を再建させているが、
これはおそらく、それまでバアル、アスタルテ、モロッホなどを崇拝していたユダヤ人たちが、バビロンに
おいて、ペルシア人が勝利をしめしたときから、ゾロアスター教を受けいれ、エホバという名のもとでオルム
ズドに仕えるようになったせいではあるまいか。そうでなければ、あの好意は不可解である。キュロスがイ
スラエルの神に祈りをささげた(七十人訳聖書のエズラ書・第一巻二の三)ということも、このことと符合
する(そう考えなければ筋が通らないだろう)。旧約聖書のあらゆる先行諸書はのちに、すなわちバビロン捕
囚以後に作成されたが、あるいはすくなくともエホバの教えはのちに挿入されたかしたのだ。とにかくわれ
われはエズラ書・第一巻・第八章および第九章によって、ユダヤ教の最も恥ずべき面を知る。この選ばれた
民はここでその祖先アブラハムの不快・無道な手本にならって行動している。すなわちアブラハムがハガー
ルをイスマエルとともに放逐したように、バビロン捕囚のあいだにユダヤ人と結婚した婦人たちは、ただ人
種的にMauschelでないという理由から、その子供とともに追放されたのだ。この民族のより大規模な非行
を曲飾するために、あのアブラハムの非行があみだされたものでないとしたら、これ以上卑劣なことはほと
んど考えられない。
ユダヤ教の起源がゼンド宗教にあることを確証するものとして、ここについでながらあげておきたい
ことは、旧約聖書やその他のユダヤの典拠によれば、天使が雄牛の頭をもったものになっており、エホ
バがそれに乗って歩くということだ。(詩篇九十九の一.七十人訳聖書列王記略・第二書六の二、および二
二の一一。第四書十九の一五には「ケルビムの上に座したまう汝〔エホバ〕」とある。)エゼキエル書・
第一章および第一〇章の記述などに見られるように、半ば雄牛で半ば人間、また半ば獅子といったこう
した動物は、ペルセポリスにあるいろいろな彫刻、ことにモズルやニルムードで発見されたアッシリア
の彫像のなかに見られる。それどころかヴィーンにある彫像を施した石には、オルムズドがこのような
雄牛のケルビムに乗った姿が描かれている。このことの詳細はヴィーン文学年間一八三三年九月「ペル
シア旅行記」にある。なおユダヤ教のゼンド宗教起源についての詳しい説明は、J・G・ローデがその
著『ゼンド民族の聖なる伝説』で提供してくれる。これらすべてはエホバの系譜に光をあたえるものだ。
これに反して新約聖書はとにかくインド的な由来のものであるにちがいない。道徳を禁欲に移すまっ
たくインド的なその倫理、その厭世観およびその降化がこれを証拠立てている。しかし、まさにそのた
めに新約聖書は旧約聖書と決定的に内面的に矛盾することになり、けっきょくアダムとイヴの堕罪の物
語だけが、両者のつなぎになったのである。というのは、あのインドの教えが約束の国にはいってきた
とき、この世が堕落していて悲惨であり、したがってそれを救う必要があるという認識、降化をはじめ
として、自己否定と懺悔の道徳によって救われるという認識を―ユダヤ的一神教ならびにその楽天的
な「すべてはたいへん良かった」に結びつける課題が発生したのだ。そして、それは事情のゆるすかぎ
り、つまりこれほどまったく異質的な、否、対立的でさえある二つの教えを結びつけうるかぎりにおい
て、成功したのであった。
553:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:54:33.97 84rB8Z/F0.net
支柱や手がかりのいる常春藤のつるが、荒削りな棒杭にからみついて、どんなところでもその不格好
な形に順応し、その形を再現しながらも、自分の生命と優雅でそれに覆い、こうして棒杭ではなしに、
こころよい眺めをわれわれに見せてくれるのと同様に、インドの知恵に発したキリスト教の教えが、これ
とまったく異質的な荒けずりなユダヤ教の古い幹を覆ってしまったのだ。そしてもとの形のうちで保存
されなければならなかったものは、キリストの教えによってまったく別のものに、いきいきとした真実
なものに変えられたのである。それは同じもののように見えながら、ほんとうは別なものなのだ。
つまりこの世と切り離されていた無からの創造者は救世主と同一視され、またそれをつうじて救世主
を代表者とする人類とも同一視されたのだ。なぜなら、人類はアダムにおいて堕落し、それ以後、罪・
堕落・苦悩・死のきずなに巻きこまれていたけれども、救世主において救われることになるからだ。仏
教におけると同様に、ここでもこの世は罪や堕落、苦悩や死としてその姿を示すからである。―「す
べてをたいへん良い」と見たユダヤ的楽天観の光は消えて、いまや悪魔そのものが「この世の君」(ヨ
ハネによる福音書一二の三一)、文字どおりに世界支配者とよばれるのだ。この世はもはや目的ではな
く、手段となる。つまり永遠のよろこびの国は、この世の彼岸、死のかなたにあるのだ。この世におけ
る諦念とあらゆる希望をよりよき世界へ向けることが、キリスト教の精神である。しかしこのような世
界への道をひらくのは、贖罪、すなわちこの世とその道からの解放である。道徳においては、報復権の
かわりに、敵を愛せよという掟があらわれる。無数の子孫を約束することに取ってかわって、永生の約
束があらわれる。犯罪に対する神罰が四代の子孫にまで及ぶということにかわって、すべてを庇護する
聖霊が立ちあらわれるのである。
こうしてわわわれは新約聖書の教えによって、旧約聖書の教えが修正され、転釈を受けていることを
見いだす。このことによって旧約の教えは内面的・本質的にインドの古い宗教と一致するようになった
のだ。キリスト教のもっている真実な点は、すべてバラモン教や仏教にも見いだされる。しかし、無か
ら生命をあたえられ、しばしの時をおくるこの神のこしらえものである人間が、歎きと不安と困窮にみ
ちたこのはかない生存をあたえられたことに対して、いくらへりくだって感謝してもじゅぶんではな
く、そのためにエホバをどのように讃えても讃えきれるものではないというユダヤ的な考え方は、ヒン
ドゥー教や仏教にこれを求めてもむだであろう。なぜなら、新約聖書には、インド的知恵の精神が、は
るかな熱帯の原野からいくたの山河を越えて吹いてくる花の香りのように感知されるけれども、旧約聖
書では、インド的知恵に適合するものは人類堕落論以外にはなにものもないからだ。この堕落論は楽天観的
な有神論を修正するものとして、旧約聖書につけ加えられる必要があったのであり、じじつまた新約聖
書はこれを唯一の手がかりとして、堕落論に結びついたのである。
さてある種を徹底的に知るには、その類を知る必要があり、またその類そのものはふたたびその種
的様相においてのみ認識されるものだ。それと同様に、キリスト教を徹底的に理解しようとすれば、世
界否定的な二つの他の宗教、すなわちバラモン教と仏教を知る必要がある。しかも確実に、できるだけ
精密に知る必要があるのだ。というのは、サンスクリットがギリシア語とラテン語を真に徹底的に理解
する道をわれわれにひらいてくれるのと同様に、バラモン教と仏教こそ、キリスト教を真に理解する道
であるからだ。
554:名無しさん@1周年
16/11/25 13:54:49.95 BJBNoIFv0.net
日本に移民するイスラム教徒にコーランを踏ませようw
555:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:54:58.10 84rB8Z/F0.net
いつか将来、インドの宗教に精通した聖書研究家があらわれて、キリスト教がインドの諸宗教と親縁
関係にあることをその特色をつうじて証明してくれるだろうという期待をさえいだいているわたしだ
が、さしあたって次のような点を注意しておこう。ヤコブの手紙(三の六)に見られる「生存の車輪」
(逐語的には「発生の輪」)という表現は、昔から「解釈者にとっての十字架」つまり難問のひとつだっ
た。ところが仏教では輪廻の車輪はきわめてありふれた概念である。アベル・レミュザの『仏国記』訳
二八頁には、「車輪は輪廻の象徴である。輪廻には円と同じように始めも終わりもないからである」と
書かれており、一七九頁には「車輪は仏教徒にはなじみの象徴である。その意味するところは、魂がさ
まざまな形をとる生存の円のなかで、次から次へと移ってゆくということである」と見える。二八二頁
には、仏陀自身が「真理を悟らぬ者は、車輪の回転によって、生と死におちいるであろう」と述べてい
る。われわれはビュルヌフの『仏教史序論』第一巻四三四頁に、次のような重要な個所を見いだす。
「彼は輪廻の車輪がどういう点にあるかを悟った。この車輪は動くと同時に動かないものであり、それ
には五つの目じるしがあるのである。彼は世人がこの世にはいって行くあらゆる道を破壊することによ
り、この道に対して勝利をおさめたのであった」と。スペンス・ハーディの『東洋の修道生活』(ロン
ドン、一八五〇年)六頁には次のように読まれる。「車輪の回転のように、そこには死と生誕の規則正
しい継起がある。その道徳的原因は物への執着であるが、それをひき起こす原因は業なのである」と。
同書一九三頁および二三三頁参照。また『プラボード・チャンドロー・ダヤ』(第四幕・第三場)には、
「無知は、この死すべき存在の車輪をまわしている情念の源泉である」と見える。継起する諸世界が不
断に生じては消えてゆくことについて、ビルマ原典によるビュナカンの仏教の説明(『アジア研究』第
肋間一八一頁)には、『世界の連続的破壊と再生は、大きな車輪に似ている。この車輪においては、わ
れわれは始めも終わりも認めることはできない」と言われている。(これより長い文章ではあるが、同
じ個所はサンジェルマーノの『ビルマ帝国解説』ローマ、一八三三年、七頁にもる。)
グラウル専門語辞典によると、Hansa とは Saniassi の同義語である。―Johannes (これからドイ
ツ語では Hans がつくられる)という名前は Hansa という語(およびその砂漠における隠遁生活)と
奸計が或るのではあるまいか。―
仏教が外面的に、たまたまキリスト教と類似しているひとつの点は、仏教がその発生地では優勢では
ないことで、つまりどちらも「予言者は自分の故郷では敬われないものだ」と言わざるをえないことだ。
キリスト教がインドのいろいろな教えと一致していることを説明するために、あらゆる推測をほしい
ままにするなら、エジプトへの逃避という福音書の覚え書の根底にはなにか史実があって、イエスがイ
ンド起源の宗教をもつエジプトの僧侶たちによって教育され、彼らからインド的倫理と降化の概念を受
けいれ、のちに故国に帰ってからこれをユダヤの教義に適合させ、古い幹に接木しようと努めたのだ、
と仮定できるかもしれない。イエスは、自分が道徳的にも知的にもすぐれているという気持ちに駆られ
て、ついに自分自身を一個の降化者と見るようになり、したがって自分を「人の子」とよび、ただの人
間以上の存在であることを暗示しようとしたのではあるまいか。一般に物それ自体としての意志には全
能の力があり、それはわれわれも動物磁気やこれに類する魔術的作用などから知っているところだが、
イエスもその意志が強固で純粋であったために、この全能の力によって、いわゆる奇蹟を行なうこと、
つまり意志の形而上学的感化を使って働きかけることができたのだとさえ考えられるであろう。この場
合にもやはりエジプトの僧侶たちの教育が役に立ったのであろう。そしてこうした奇蹟のかずかずを、
のちに伝説が拡大・増大したわけであろう。
556:名無しさん@1周年
16/11/25 13:55:05.93 UrHqPR8l0.net
>>538
もっと分りやすい文章でお願いします。
キリスト教の歴史が70年しか経ってないみたいに見えましたw
韓国とか中国共産党とかイスラエルみたいにw
557:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:55:20.30 84rB8Z/F0.net
というのは、本来の奇蹟というものは、どんな場合も、自然が自分自身にあたえる一種の否認であるは
ずだからだ。ところで、パウロの主要な手紙はなんといってもほんとうのものであるにちがいないが、
そのパウロがしばらくまえに死んだばかりの人を、したがってその同時代者がたくさんまだ生きている
という状況下で、どうして大まじめに受肉して人間となった神であり、世界創造者と同じものであると
説明できたかは、そういう前提のもとで、はじめていくらかのみこめるものになる。普通ならば、この
種の、またこの程度の、まじめに考えられた神化が徐々に熟してゆくには、何世紀もかかるはずだから
だ。しかし他方ではパウロの手紙一般の真正さに対する反証を、ここから引き出してくることもできよう。
一般にわれわれの福音書の根底には、なんらかの原典、あるいはすくなくともイエス自身の時代と環
境に由来する断片ぐらいはあったと思われる。わたしがこういうことを推定するのは、世界の終末がお
とずれて、主なる神が雲のなかに輝かしく再臨されるという、はなはだ不快な予言が行なわれており、
しかもそれは、この約束に立ち会った二、三の人びとがまだ生きているうちに実現するはずになってい
た点からなのだ。ところがこの約束がいつまでたっても果たされなかったことは、じつに困った事情
で、後世になって物議をかもしただけでなく、すでにパウロやペテロも困りぬいていたのだ。このこと
はライマールスのすぐれた著書『イエスとその使徒たちの目的について』第四二節から第四四節にかけ
て詳論されているところである。さてもし福音書が約百年もたってから、当時存した記録もなしに著作
されたとしたら、それが実現しないことが不快にもすでに明白になっていたこの種の予言を福音書のな
かにもちこまないような作者たちは気をつけただろうと推定されるのである。同様に、ライマールスが明
敏にも使徒たちの最初の体系と名づけているものにあたるあの個所を福音書に挿入することもなかった
であろう。この体系に従えば、イエスは彼ら使徒たちにとって、ただ俗世における一介のユダヤ人解放
者にすぎなかったのだ。
こういう挿入がなされたというのも、福音書の起草者たちが、こうした個所をふくむ同時代のいろいろな
記録ををもとにして仕事をしたからだと思われるのだ。というのは、信者たちのあいだで口伝えにつたえら
れていた伝説でさえも、信仰に不都合をきたすようなことは落としてしまったと想定されるからだ。ついで
ながら、ライマールスが彼の仮設にとくに好都合な個所をいろいろ見落としているのは不可解だ。たとえば
ヨハネ一一の四八(この個所を一の五〇、六の一五と比較すること)、マタイ二七の二八ー三〇、ルカ二三
の一ー四、三七、三八、ヨハネ一九ー二二である。しかし、この仮説を真剣に妥当・貫徹させようと思うな
らば、次のような想定が必要となるだろう。すなわち、キリスト教の宗教的・道徳的内容は、ヒンドゥー教
や仏教の教義に精通したアレクサンドレイアのユダヤ人たちによってつくりあげられたのではないか、そこ
へひとりの政治的英雄が悲しい運命を背負って現われたので、もともと後世のメシアであったものを天上的
な救世主につくりかえることによって、これらの教義の結び目にされたという想定である。もちろんこの想
定は矛盾する点が非常に多い。しかし福音書の物語を解明するためにシュトラウスが提示した神話の原理は、
すくなくともその細部に対しては、たしかに正しい。それにしても、この原理がどこまで及ぶかをきめるこ
とは、むつかしいであろう。一般に神話的物語がどういう事情にあるかは、もう少し手近な疑義の少ない実
例について明らかにしなければならない。たとえば中世全般にわたって、フランスでもイギリスでも、アー
サー王はきわめて事蹟の多い、驚くべき人物ではあるが、輪郭ははっきりしており、いつも同じ性格をもっ
て、同一の従者を伴って登場する。王の円卓やそれを囲む騎士たち、王のかずかずの前代未聞の英雄的行為、
その風変わりな執事、その不貞な妃、妃の愛人ランスローなどといったお膳立てで、この王は何世紀もの詩
人たちや物語作者のおきまりの主題になっているが、これらの作者たちはすべて同じ性格をもったもろもろ
の同一人物を登場させており、事件の点でもかなり一致しているのである。ただ服装や習慣の点では、作者
自身のそのつどの時代に応じて、相互にひどく違っているだけの話だ。
558:名無しさん@1周年
16/11/25 13:55:34.67 xD+6bIz40.net
カルト宗教のコピペがまた始まったよ
662 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP :2016/04/01(金) 18:25:47.12 ID:Wpmzur0c.net[39/88]
ほれ
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
これは2011年にアルメニアの聖地エチミアジンで撮影した幸ちゃんの写真だ。
URLリンク(i.imgur.com)
これは2011年にアゼルバイジャンのバクー近郊で撮影したもんだ。お袋も一緒に写ってる。
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インドの写真もあるで
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559:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:55:51.06 84rB8Z/F0.net
ところで数年前、フランスの内閣は、アーサー王の伝説の起源をしらべるために、ド・ラ・ヴィルマルク氏
をイギリスへ派遣した。そのときの結果は、伝説の根底にある事実については、次のようなことであった。す
なわち、六世紀の始め、ウェールズにアーサーという名の小領主がいて、侵入してきたサクソン人と根気よく
戦ったけれども、そのささいな事蹟は忘れられてしまった、というのである。してみると、この男が、どうし
てだかわからないが、幾世紀もつうじて無数の歌謡・物語詩・物語のうちに讃えられてきたあの輝かしい人物
になったわけなのだ。ヴィルマルケ著『古代ブルターニュの民話。アーサー王の円卓にまつわる叙事詩の起源
についての試論付』(二巻、一八四二年)を見られたい。この『アーサー王伝』では、アーサーは霧のなかの
人物のようにぼんやりとした遠くはるかな存在としてあらわれているが、それでも現実的な核心がないわけで
はない。―中世紀全体をつうじての英雄であるロランについても、事情はほとんど同じである。ロランも無
数の歌謡・叙事詩・物語で讃えられ、さらにロランの甲冑騎士柱像によって称揚され、ついにアリオストにま
でもその素材を提供して、この作品から変容して復活するようになったのである。ところでロランについては、
歴史はたった一回、たまたま、しかも三語をもって言及しているにすぎない。すなわち、アインハルトが彼ロ
ランをロンセスヴァリエスに滞在した名士のなかに「ブリテン王辺疆伯」(Britannici limitis praefectus)
たるロードランドゥスとして数えあげているのだ。そしてこれがわれわれのロランについて知っているすべて
であることは、ちょうどイエス・キリストについてほんとうにわれわれの知っていることが、タキトゥス
(『年代記』第一五巻・第四四章)の一個所につきるのと同様なのだ。別の例を示すものに、世界的に有名な
スペイン人シッドがある。
多くの伝説や年代記、とりわけあの有名なすばらしい『ロマンツェーロ』におさめられている民謡、はて
はコルネイユの最上の悲劇までが彼を讃美しており、しかも主要事件については、とくに妻になったシメ
ーネのことではだいたいにおいて一致している。ところがわずかな歴史的資料が彼について伝えているこ
とは、彼はなるほど勇敢な騎士、すぐれた将軍ではあったが、非常に残酷・不実な性格の持ち主であり、
それどころか、ときによって仕える党派を変え、キリスト教徒に奉仕するよりもむしろサラセン人に味方
するほうが多かったような節操のない人物であり、それはまるで一介の傭兵隊長に類するが、シメーネの
ひとりと結婚している、といったこと以上に出ないのである。こうしたことの詳細は、はじめて正しい
典拠に行きついたと思われるドージの『スペイン史研究』(一八四九年)第一巻から知ることができる。
―イリアスの歴史的根拠ははたして何であろうか?―じっさい、こうした問題の実態につきあた
るには、ニュートンのりんごの逸話を念願におくがよいのだ。この話に根拠がないことについては、わ
たしはすでに第八六節で説明したとおりなのだが、それでも何千という本でくりかえされているところ
で、現にオイラーさえも、『皇女あての書簡』の第一巻で、麗々しく述べたてているのだ。―およそ歴
史的事実はたいせつにすべきものである以上、残念ながら現状に見られるように、われわれは大嘘つき
であってはなるまい。
560:幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
16/11/25 13:56:06.71 84rB8Z/F0.net
第一八〇節 宗派
原罪ならびにこれと結びつく点を教義にかかげているアウグスティヌス主義は、すでに述べたよう
に、理解のゆきとどいた本来のキリスト教である。これに反してペラギウス主義は、キリスト教を粗
野・平板なユダヤ教とその楽天観に逆転させようとする努力である。
教会をたえず二分してきたアウグスティヌス主義とペラギウス主義の対立は、その究極の根源までお
しつめれば、前者は事物の本質そのものを論じているのに対して、後者は自分では本質と思いながら現
象を問題にしているにすぎない、というふうに還元できよう。たとえばペラギウス派は、まだなんにも
していない子供には罪がないにきまっているという理由から、原罪を否定する。―こういうことを言
いだすのは、なるほど子供は現象としては存在しはじめたばかりではあるけれども、物それ自体として
はそうでないことを、彼らが見ぬいていないからなのだ。意志の自由についても、救世主の贖罪の死に
ついても、恩寵についても、要するにすべての点について、同じことが言える。―それがわかりやす
く平板であるために、ペラギウス主義はいつでも優勢であるが、現代ではとりわけ合理主義として幅を
きかせている。ギリシア正教教会はペラギウス主義をやわらげたものである。トリエント公会議いらい
カトリック教会もこれと同様で、そのためカトリック教会は、アウグスティヌス的立場に立つがゆえに
神秘的な思想をもったルターや、さらにまたカルヴァンに対抗しようとしたのだ。同様にイエズス派も
半ばペラギウス主義的である。これに反してヤンセン派はアウグスティヌス主義を奉じており、彼らの
見解がおそらくキリスト教の最も純正な形であろう。というのは新教は、独身や一般に本来の禁欲を否
定し、禁欲の代表者である聖者を否認したことによって、すりきれた、あるいはむしろ画龍点晴を欠い
た腰くだけのキリスト教になってしまったからだ。こうなってはどうにもならない。