16/11/20 21:27:16.29 6OZ96cT30.net
パチンコ産業が三店方式を作ったと思ってる馬鹿に歴史を教えよう
話はまず戦前まで遡る
当時から日本にはパチ屋も雀荘もあった
競馬なんかもあったんだがそれは上流階級のもので
庶民の娯楽といえばパチンコ麻雀だった
で、戦争に入ってそれらが出来なくなった
特にパチの玉はすべて鉛に変えられた
そして戦争が終わってパチも麻雀も解禁したが
今とは二つの違いがあった。
1つ目、パチより麻雀の方が何倍も高レートでギャンブル性が高かったこと
パチは勝手も負けても煙草1カートンぐらいだが
麻雀の方は負けると人生詰むことさえあった
2つ目、麻雀の世界にヤクザが絡みまくって資金源となっていたこと
パチを運営している朝鮮人の方がよっぽど市民に身近な存在だった
そんな中、昭和20年代、日本に風営法ができた
7号(現4号)営業規則というものができてパチンコも麻雀もそこに含まれた
7号(現4号)というのは遊技の結果に対して景品を出していい業種だ
だがそこに一筆加えられた「麻雀屋、おめーはだめだ」
これによって、日本で遊技の結果に対し景品を出していいのは
パチ屋とスマートボール屋だけになった
パチンコはその後も庶民の遊びとして日本にあり続けた
だが麻雀というシノギを奪われたヤクザはパチンコに目をつけた
パチ屋から紙袋持って出てくる客に声をかけては
煙草を現金で買い取る行為が全国で横行した
これはまずいと思った当時の国家公安委員会は、
パチンコ業界にある「指導」をする
三店方式というやり方で換金できるようにしろというものだった
暴力団の資金源になるよりはそっちのほうがマシだと考えたわけだ
そして時は流れ、昭和50年台、「フィーバー」という名のパチンコ台が登場する
絵柄が3つ揃うと玉がいっぱい出てくるという、今のパチンコのルーツだ
これによってパチンコのギャンブル性は飛躍的に上がったが、
国家公安委員会は何もしなかった
バブル前夜の当時、それが賢明という判断だったからだ
自分が提案した三店方式を違法とみなせないという事情もあった
そんなこんなで、現在もパチは景品提供が許され、三店方式が行われてるわけ