16/11/13 09:39:53.84 yKfCiMuV0.net
>>149
アホウヨはこれ読め。
引用東部ニューギニアでは、最初の距離はせいぜい三百キロどまりであったが、 日本の戦闘機が劣勢になり、米軍の戦闘機の性能が向上して、P-38が出現しだしたニューギニアの西部からは、
行動半径が一千キロにもなって、飛び石の距離が飛躍的に延びてきた。 要するに飛び石作戦を可能にするものは、制空権であり、寺本中将の「航空は軍の主兵なり」は至言であった。
土地を占領することは陸軍の任務であったが、 それは米軍では空域を占領する手段でしかなかった。 従って主兵は航空であって陸軍は補助兵種に過ぎなかった。
陸軍が占領する土地の面積は、そこに陸軍が所在している面積と大砲の射程だけの土地であるから 太平洋の広さから見ると点のようなものである。
それに比較して空域を占領した場合は、戦闘機の行動半径×行動半径×三・一四であるから、 仮りに戦闘機の行動半径が五百キロとすると、この占領空域は実に、七十八万五千平方キロと恐ろしいような数字になる。
これが航空を主兵とした米軍と、依然歩兵を主兵と考えていた日本軍の太平洋上の戦力の相違であった。 戦略思想の遅れは、こんな大きな数字的懸隔となって現れてしまうのである。
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