16/10/13 00:21:06.24 0ylZ/Xdy0.net
>>1
リバタリアン教義の自然権基盤、つまり、どのような形にせよ、現在及び過去のリバタリアンの大多数により採用されている基盤に移る事にしよう。
"自然権"は"自然法"のより大きな構造の中に組み込まれている政治的哲学の基軸である。
自然法理論は我々は複数の、実際には、膨大な数の実在物の世界で生活する、そしてそれぞれの実在物は人の理性、
彼の感覚認識と知的能力により調査される事が出来る明白な、そして具体的な特性 、つまり、区別出来る"性質"を持つと言う洞察に基づいている。
銅はある意味で他と全く別の性質と振舞いを持つ、そして鉄、塩、その他等もそうである。
それ故に人類は彼を取り巻く世界、そしてそれらの間の相互作用の方法がそうである様に明記出来る性質を持つ。
不適切な簡潔さで言えば、それぞれの無機及び有機的な実在物の活動はそれ自身の性質により、
そしてそれが接触しているその他の実在物の性質により決定される。
具体的に言うと、植物と少なくとも下等動物の振る舞いは彼らの生物学的な性質により或いは恐らく彼らの"本能"により決定される一方で、
人の性質はそれぞれの個人は行動する為に、彼自身の目的を選びそれらを成し遂げる為の彼自身の方法を用いなければならないと言うものである。
無意識的な本能を所有しないので、それぞれの人は彼自身と世界について学び、価値を選ぶ為に彼の精神を用いて、
原因と結果について学び、そして彼自身を維持し彼の人生を進める為に目的に叶う様に行動しなければならない。
人は個人としてしか考え、感じ、評価し、そして行動する事が出来ないので、彼は学び、選び、彼自身の能力を開発し、
そして知識と価値観に基づいて行動する為に自由であると言う事はそれぞれの人の生存と繁栄の為に絶対に必要になる。
これは人間の性質の欠く事のできない通り道である、そして暴力を用いる事によりこの過程を妨げる事、
そして損なう事は彼の生命及び繁栄の為の人の性質により必要である事に深く反していく。
人の学習及び選択に対する暴力的な干渉はそれ故に大いに"反人間的"である、それは人の必要の自然法を犯す。
マレー・ロスバード、For a New Liberty.
マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。
彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。
功利主義社会哲学は最大多数の最大幸福をもたらす政策を”善い”政策と考える、
その中で、各個人はその数を構成する1として数えられる、
そして”善い”とは社会における個人の純粋に主観的な欲望の最大限の充足であると考えられる。
功利主義者は経済学者(後述参照)同様に、彼ら自身を”科学的”とか”価値自由”とか考える事を好む、
そして彼らの教義は事実上価値自由な立場を採用する事を彼らに許すと考えられている、
なぜなら彼らは恐らく彼ら自身の価値を負わせている訳ではなく、
単に住人の大部分の欲望や欲求を考えられる限り最も大きく満たす事を勧めているに過ぎないからである。
しかしこの教義は殆ど科学的でもないし価値自由でもない。第一に、なぜ”最大多数”なのか?
倫理的に言ってなぜ少数派の願いよりも多数派の願いに従う方が善いのか?
”最大多数”の一体何がそんなに良いのか?
社会の圧倒的多数の人々が赤毛の人を嫌悪し罵倒する、そして彼らを殺す事を大いに望んでいると考えて下さい、
そして更に何時の時代も赤毛の人は少数しか存在しないと考えて下さい。
我々は赤毛の人を虐殺する事は圧倒的多数派にとって”善い”事であると言わなければならないのだろうか?
そしてもしそうでないなら、なぜそうではないのか?
その時は、少なくとも、功利主義は殆ど自由と自由放任主義の根拠とするには十分ではないだろう。
マレー・ロスバード 、The Ethics of Liberty.
マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。
彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。
3698761