16/09/10 22:00:02.71 z7Q+d4dC0.net
赤い羽根運動はみんなが払わないと成立しない。だから今どき時代にそぐわず過去のものとなった気がする。
1)建前は羽の対価に支払うというものだが、赤い羽根を買う意識をしている人は誰もいない。これは受像機を設置したら見ても見なくても支払う仕組みと同じ。
2)そういう喜捨をしても負担にならないリーズナブルな料金。これは、今となっては高額となってしまった受信料と対称的。時代の流れに取り残されて、いつの間にやら高すぎになった。
もし妥当な相場観の額の受信料だったとしたら、これほど問題が表面化せず‥それでも静かに死へ向かう制度だったのだろう。