16/09/09 02:00:38.35 kRH0G9ru0.net
仏教は哲学、宗教ではない。
仏陀以降の俗物が宗教にした。
14:名無しさん@1周年
16/09/09 02:00:49.62 Fm1NtmtX0.net
■7.「インドとスリランカにいる兄弟・姉妹に呼びかけます」■
1932(昭和7)年にコロンボに生まれ、スリランカ独立後に海軍兵学校部隊長となったソマシリ・デヴェンドラ氏は、次のように語っている。
1941年に日本が真珠湾を攻撃し、第2次大戦に参戦した時には、スリランカ人は日本に対してある種の同情を寄せていました。・・・
1942年の初め、強力な日本海軍はインド洋上の敵艦をどんどんと破壊していき、スリランカ島に向かっていきました。
しかし、その時にスリランカに停泊していたイギリス軍艦の多くは第一次世界大戦当時に造られた古いものばかりでした。
4月、日本海軍の航空隊はスリランカの都市を空襲し、それらの軍艦に攻撃をしかけてきました。この航空隊は真珠湾攻撃に参加した後にやって来た隊でした。
日本軍の爆撃の命中率は世界で最も正確だったと言われています。
この空襲の際に、3人が乗った日本軍の攻撃機1機が墜落した。コロンボのカテッナ市営墓地には、墜落死した日本兵の墓が造られている。
日本軍はシンガポールを占領した後、投降したインド兵を集めて、インドの独立を目指すインド国民軍を組織させた。その中にはスリランカ人の部隊もあった。
インド国民軍はシンガポールからインドやスリランカに向かって「ラジオ昭南(シンガポール)と呼ばれるラジオ放送を行った。
当時12歳だったデヴェンドラ氏は、このラジオ放送をよく聞いていた。
「こちらはラジオ昭南、インドとスリランカにいる兄弟・姉妹に呼びかけます」という言葉で始まり、「ワン・デイ・マータラ」という、今でもインドでよく知られているインド国民軍の歌を流した。
アメリカの情報機関は、このようなインド向けの放送が、インド人の心理に与えた影響は非常に大きかったとしている。
■8.「私達は日本に、このことを感謝しなければなりません」■
日本が敗戦した日は「Victory over Japan Day(対日勝利の日)」と呼ばれ、大きな都市では記念式典が開かれた。デヴェンドラ氏が住んでいたラトゥナプラでも式典が開かれ、イギリス側代表の後で、氏の父親がスリランカ側を代表して演説を行った。
この日は、私達が日本に対する勝利を祝うものです。しかし、私達は日本によって得られたものがあります。それは愛国心という心でした。それは、日本によって全てのアジアの国々にもたらされたのでした。
戦争によってアジアの国々、インドネシアやインド、スリランカ、ビルマなどは自らに対する自信と民族主義の意識を得たのです。私達は日本に、このことを感謝しなければなりません。
「対日勝利の日」に、英国側の前で、日本に感謝する演説を行うとは、まことに大胆な言動である。それだけ強い気持ちが籠もっていたのだろう。
1948年2月4日、スリランカは独立を果たした。日本が設立を支援したインド国民軍の指導者たちをイギリスが「反逆者」として軍事裁判にかけようとした事に対して、
インド全土に暴動、ストライキが広まり、それがきっかけとなってインドは独立を勝ち得た。それとともに、イギリスはスリランカからも撤退したのである。
昭和天皇のお召し艦を一目見ようと港に駆けつけた少年ジャヤワルダナが、独立政府の要職についていた。そしてサンフランシスコ講和会議で日本を擁護する演説をすることになる。
日本は明治以降、スリランカの人々の独立への希望に灯を点してきたのだが、今度はそのスリランカが日本の独立を助けてくれたのである。
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16/09/09 02:02:42.47 3h8FcYMz0.net BE:452334285-BRZ(10015)
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かのシルクロードは、かって有力なる仏教圏であった。
仏教は、シルクロードを経て、中国へ伝播した。
玄奘三蔵がインドへ行ったのも、シルクロードを経て、であった。
そのシルクロードたるや、いまや完全にイスラム圏になって仏教は見る影もなし。
その他、インドでも仏教圏がイスラム圏に化したものは多い。
が、イスラム圏が仏教圏に化した例は一つもない。
その理由は何か。仏教が内包する尖鋭な矛盾によるものと思われる。
釈迦は、人生の無価値を体験した者、解脱にあこがれる者は、すぐにその場で、
出家して仏行に専念することを勧めている。なにしろ、生死事大、無常迅速(人の世はうつろいやすく、
死は早く来る)ではないか。解脱しないままで、突然、頓死したらどうなる。
そうはならないように、即座に出家せよ。釈迦は、そのように奨める。
仏教の考え方からすれば、まさに、そのとおりではある。
が、釈迦の勧奨は、重大な社会問題を生む。兵役の義務を棄てて出家したらどうなる。
国家は滅亡するかもしれないではないか。実際、釈迦の祖国は?薩羅(コーサラ)国に攻め滅ぼされた。
納税義務を棄てて出家する者をどうするか、釈迦は少しもこの問題に言及していない。
これ、国民経済における重大問題である。
こんな大せつなことに、釈迦は気づかなかったのか。これぞまさに、仏教の思想的欠陥事項ではないのか。
仏教は、天下を顧(かえり)みないことであるが、無為徒食(むいとしょく)を教えるとして
経済効果をも問題視している。
この欠陥事項のゆえに、いかに資金が蓄積されようとも、いかに技術が進歩しようとも。
あるいは、いかに商業活動が活発化しようとも、仏教思想を背景にして、近代資本主義が発生し、
存立することはあり得ないであろう。人生の煩悶(はんもん)やみがたく、
納税の義務を棄てて出家する。これすら、その人数があまりにも多いときには経済的大問題となる。
後になると、納税したくないから出家する者が激増するようになってきた。
こうなると、国民経済はたいへん。仏教が盛んになるにつれ、そのような人びとは激増した。
仏教が、はじめて中国に伝えられてきたとき、中国人は、どこに仏教の効用をもとめたのであったか。
その超能力であった。巫祝(ふしゅく=幸福をもたらす超能力)としてであった。
仏陀は攘災招福、不老長寿の霊力を有する神として信仰の対象とされたのであった。
伝道師として来た西域沙門(しゃもん)は巫祝の役割をもつ神仙的修行者として尊敬されたのであって、
仏教はどこまでも現世的、功利的な道教的信仰の形において後漢の社会に受容されたのであった。
16:名無しさん@1周年
16/09/09 02:03:36.47 NpsdajI70.net
法華経すばらしいと思ってるのは
いまや日本だけ
捏造経典の可能性高いのに
17:名無しさん@1周年
16/09/09 02:06:45.65 bg2gJl0E0.net
莞爾スレになってるかと思ったらなってなかったw
もうこのサイト終わってんな
18:名無しさん@1周年
16/09/09 02:07:52.73 tfLw99DN0.net
植民地侵略と宣教師をまずは語ろうか?
スパイ活動や侵略手引してたキリスト教はどう思う?
19:名無しさん@1周年
16/09/09 02:08:44.20 rKZidh+l0.net
戦死は菩薩の行とか言ってたからねw
仏教界が日本の戦争で重要な役割を果たしたのは事実だわ。
なのになぜか戦後は仏教は平和を愛するみたいなイメージ作り上げた。
でもオウム事件の時の仏教界の対応みれば結局なにも変わってなかっ
たんだよ。仏教以外も例えば日本基督教団のようなキリスト教も同じ。
こいつらは共通して現在でも東アジア共同体=大東亜共栄圏を夢見て
る馬鹿どもってこと。何も反省してない。もう特亜と組んで反米にシフト
するのはまっぴら御免だわ。死にたくねえもんw
20:名無しさん@1周年
16/09/09 02:18:14.44 Fm1NtmtX0.net
■アジア独立のメッカは靖国神社―イドリスノ特派員のことば
昨年の八月十五日には、靖国神社に二十万五千人の人々が参拝した。その時例年のように境内で、大規模な慰霊集会が開催された。
何人かの登壇者の中で、世界イスラム連盟東京特派員のイドリスノ・マジッド師の発言が忘れらない。彼は言う。
「大東亜戦争によって、アジア諸国はすべて独立した。命をかけて独立に献身した人は誰か。言わずと知れた靖国の神々である。靖国神社は我々アジア人にとって独立のメッカである。我々は毎日五回ずつ、靖国神社に向かって祈りを捧げなければならない」
メッカは他にもある。ビルマ独立のメッカは、静岡県浜松
鈴木敬司大佐は開戦前、ビルマから、オンサン氏やラミヤン氏を自分の郷里・浜松に招いて、独立の秘策を練った。
まず三十人志士を養成し、開戦と同時に彼らを先頭にして、ビルマ国内に進撃することで独立の波を一挙に高める。この戦略は見事に成功し、いま浜松の大草山頂に記念碑が建っている。
それではフィリピン独立のメッカはどこか?
愛知県の三ヶ根山には比島観音がある。いやフィリピン人に聞けば、「それは特攻隊発進基地があったマバラカットだ。そこには銅像と記念碑もある」と答えるかもしれない。
■インド独立と日本
インド国民は日本を称讃して止まない。靖国神社の資料にはこうある。
P.N.レキ最高裁弁護士「太陽の光がこの地上を照すかぎり、月の光がこの大地を潤すかぎり、夜空に星が輝くかぎり、インド国民は日本国民への恩は決して忘れない」
S.S.ヤダバ元INA大尉(INA全国在郷軍人会代表)「われわれINA将兵は、インドを解放するために共に戦った戦友として、戦場に散華した日本帝国陸軍将兵に対して
もっとも深甚なる敬意を表わします。インド国民は大義に生命を捧げた
勇敢な日本将兵に対する恩義を末代にいたるまでけっして忘れません。
我々はこの勇士たちの霊を慰め、御冥福をお祈り申し上げます」
実際、先帝(昭和天皇)陛下崩御に際し、インドでは政府関係の庁舎や国会など、
いたるところに3日~1週間にわたり半旗が掲げられ、大統領の呼び掛けで国民は喪に服している。
21:名無しさん@1周年
16/09/09 02:18:15.77 ttKkFgAC0.net
日本国内でのキリスト教系勢力の拡大を目論む海外の団体から
寄附とか支援してもらえそうな研究だな
22:名無しさん@1周年
16/09/09 02:18:57.76 sGAw4JAX0.net
偽ユダヤは必要悪
23:名無しさん@1周年
16/09/09 02:19:24.74 bg2gJl0E0.net
第二次大戦においてカトリックは味方陣営、プロテスタントは敵陣営って構図もあるからな
24:名無しさん@1周年
16/09/09 02:20:02.53 86p48gL/0.net
宗教と戦争の関わりはヨーロッパっでは常識なのに
なんで日本の仏教は、日本でそれがあったからどうのこうのって言うんだろう
お花畑なんだろうな
25:名無しさん@1周年
16/09/09 02:22:52.29 Fm1NtmtX0.net
■ハワイと日本の繋がり GHQに抹殺された歴史
■ハワイの先住民族はポリネシア系に属し日本と同じモンゴロイドで、宗教も多神教であったそうだ。
人々が島々で平和な暮らしをしていたのだが、1778年にイギリス人の探検家ジェームス・クックに発見され、それから欧米人との接触により急速に変貌していった。
1840年には米国人宣教師主導による立憲君主体制が樹立され、以降欧米人(大部分がアメリカ人)がハオレ(白人)官僚として、ハワイ政府の中枢を独占し、ハワイ王朝の生殺与奪権を掌握するに至ったという。
1848年には土地法が制定され、1850年に外国人による土地の私有が認められると、対外債務を抱えていたハワイ政府が.土地の売却で負債を補ったり、宣教師が土地所有観念のない島民から
土地を寄進させるなどして、国王領以外のハワイ諸島土地の多くがハオレの所有地となり、また議会もハオレが多数を占めていたという。
一方ハワイでは白人がもたらした病気の影響などにより、人口が百年間に30万人が5万人に激減していた。
このままでは国がアメリカに併呑されることを怖れた7代目の国王カラカウアが、1881年(明治14年)に国際親善訪問の旅に出た。この旅行で国王が一番感動したのが、明治維新からまだ14年しかたっていない日本だったそうだ。
国王は明治14年の3月に横浜に上陸し、翌日横浜駅から特別列車で新橋駅に着き、そこから赤坂離宮に向かうのだが、横浜港も鉄道も日本人が仕切っていることに驚いたという。
例えばインドでは、鉄道輸送から徴税、税関業務までが英国が独占し、インド綿には英国で高額な輸入税がかけられ、一方英国綿製品は関税なしでインドに輸入されて、インドの綿工業は全滅した。
イランでは、郵政や電信電話は英国、カスピ海航路はロシア、税関がベルギー、銀行は英国とロシア…という具合で、自国民が重要施設を仕切っている国は欧米以外の国ではほとんどなかったのが現実だった。
■カラカウア王は明治天皇に対して、西洋諸国の侵略に対して東洋諸国が団結する必要がある。ひいては明治天皇には「亜細亜諸国の聯盟」の「盟主」になって欲しいと嘆願したというのだ。
さらにカラカウア王は、この時に日本人の移民を要請され、さらに姪であるカイウラニ王女に皇族山階宮定麿王(のちの東伏見宮依仁親王)を迎えて国王の後継者としたいとの提案もあったという。(後に丁重に断っている)
カラカウア王が世界一周旅行から帰国したのちに取り組んだのは、米国宣教師が否定した神話・伝説の復活であり、ハワイ正史の編纂事業だった。
また宣教師によって禁止されていたフラダンス*を復活させ、自らもハワイ国家をはじめたくさんの民族音楽を作詞作曲したという。
*フラは神を意味し、フラダンスは神にささげる神聖な舞踏で、男の踊りであった。
続く
26:名無しさん@1周年
16/09/09 02:23:31.72 Fm1NtmtX0.net
続き
■こうした動きが、米国を刺戟する。
同じ年の1881年(明治14年)12月に米国国務長官ブレーンが、ハワイ公司にあてて次のような訓令を発信していることが、戦後GHQに焚書処分された吉森實行氏の『ハワイを繞る日米関係史』という本に紹介されている。
明治17年(1885)には946名を送ったのを皮切りに、日本人移民は続々とハワイに渡航し、20世紀初頭にはハワイ人口の4割を日本人が占めるようになったという。
アメリカは反撃に転じ、1887年に、王権の制限・弱体化を目的とした新憲法を米国側で起草し、ハオレ(白人)の私設部隊である「ホノルル・ライフル」を決起させ、武力で威嚇してカラカウア王に迫り強制的に調印させた。
この憲法は別名「ベイオネット(銃剣)憲法」とも呼ばれているそうだが、この内容がどんなにひどいかは読めばすぐにわかる。
「ハワイ國の臣民にして年齢二十一歳に達し、ハワイ語・英語若(もし)くは他のヨーロッパ諸国語を讀み、書き、算數を會得し、少なくも三ケ年間國内に居住し、竝(ならび)に五〇〇ドル以上の財産を國内に有し、
或は一ケ年少なくも二五〇ドルの所得を有するハワイ・アリカ若しくはヨーロッパ人種たる男子にあらざれば代議士に選挙せらるることを得ず(第六一條)」と、これでは貧しいハワイ人やアジアからの移民には被選挙権がない。
選挙権についてはこう書かれている。
「ハワイ國に居住するハワイ・アメリカ若(もし)くはヨーロツパ人種の男子にして國法遵守を宣言し、國税を納め、年齢二十一歳に達し、選擧日に際して1ヶ年國内に居住し、
ハワイ語・英語若くは他のヨーロッパ諸國語を讀み、書き、法律の規定に従つて選擧人名簿にその氏名を登録せられた者は、代議士を選擧する權利を有す(第六二條)」
先程紹介した吉森實行氏の著書『ハワイを繞る日米関係史』にはこうコメントされている。
選挙権が与えられる人種のなかに日本人が入っていないということは、帰化してハワイ国籍を取得していても日本人移民には選挙権を与えられなかったということである。
この憲法の問題点は選挙権・被選挙権だけではない。国王の閣僚罷免権が剥奪されるなど、国王の国政の関与を一切否定する内容が書かれていたようだ。
国王の世界一周旅行に随行したアメリカ人のアームストロング自身が、もし日本がカラカウア王の提案を受け入れていたとすれば、ハワイは日本のものとなっていたと書いている。
アメリカにより憲法を押し付けられ、国王家の弱体化を仕掛けられた国である点については、わが国はハワイ王国とよく似ている。
ハワイ王国は外国人に選挙権を与えることによって滅んだのであるが、なんとなくわが国はその方向に進んではいないか。
この頃にハワイ王国で起こったことを日本人はもっと知るべきだと思う。
27:名無しさん@1周年
16/09/09 02:37:03.27 um+0YSTY0.net
僧兵を復活させて宗教を弾圧する政党とか邪教なんかをぶち殺させよう!
28:名無しさん@1周年
16/09/09 02:38:28.89 tfLw99DN0.net
>>27
一向一揆を復活させよう。
29:名無しさん@1周年
16/09/09 02:39:31.97 bg2gJl0E0.net
戦前に明確に日本人をターゲットにして日本人がアメリカで帰化できない法律が制定されているのは事実だ
そういった差別問題が戦争の背景にある
だがアメリカというのはつまり、イギリスにおける満州のような国家だ
それと土着民の国家日本とを同一視していいものだろうか
民族国家と移民国家を同じように扱っていいのか?
30:名無しさん@1周年
16/09/09 02:41:36.83 tfLw99DN0.net
さて、第一次世界大戦後のパリ講和の際に日本が人種差別撤廃条約を訴えたのに拒否したアメリカとイギリスに話を聞いてみましょう!
31:名無しさん@1周年
16/09/09 02:46:56.18 bg2gJl0E0.net
支配する立場になったつもりで考えてみれば宗教の掌握は必須事項だ
考えるまでもない
そういうツールとして日本の仏教は洗練されている
だが戦時中の仏教ってのは一部のカルトの声が大きかったのも事実なんだろうな
浄土真宗系は本家も分家もカルト教団だわなw
32:名無しさん@1周年
16/09/09 04:50:32.61 5ogXp7lp0.net
宗教を勘違いしてる人がいる
特に宗教と宗教団体をごっちゃにしている
まんが日本昔話ってあるが、あれのほうがよっぽど仏教だよ
教訓を学ぶ、教訓を見直してみる
学校で教えてくれないことがたくさんある
33:名無しさん@1周年
16/09/09 05:29:06.45 f2UspBU90.net
あらゆる宗教はいつの時代でも侵略と統治の洗脳に利用されてきた