16/09/07 12:30:28.98 Ww4/Rj4j0.net
慰安婦の実像
文玉珠 『ビルマ戦線 楯師団の「慰安婦」だった私』(梨の木舎)
(ビルマのマンダレーでの経験)
63ページ
戦地の軍人たちの思いと、私たちの思いは同じだった。
妻も子も命も捨てて天皇陛下のために働かねばならない、と。
わたしはその人たちの心持ちがわかるから、一生懸命に慰めて、それらを紛らわしてあげるよう話をしたものだった。
68ページ
私は一生懸命ヤマダイチロウの無事を祈った。
二、三ヵ月して、前線からヤマダイチロウの部隊も戻ってきた。
ヤマダイチロウは無事だった。すぐに慰安所にきた。
「ヤマダ上等兵、無事帰還いたしました。」
ヤマダイチロウは私に向かって敬礼した。私たちは抱き合って喜んだ。
そういう日はマツモト公認で、慰安所全体も大騒ぎになり、閉店休業だ。
早速私たち慰安婦も一円ずつ出し合って大宴会をしたのだった。
75ページ
私の手もとには少しずつもらったチップが貯まって大きな金額になった。
(中略)事務を仕事にしている軍人に、私も貯金できるか尋ねると、もちろんできるという。
兵隊たちも全員、給料を野戦郵便局で貯金していることを私は知っていた。貯金することにした。
兵隊に頼んで判子も作ってもらい、お金を五百円預けた。
わたしの名前の貯金通帳ができあがってっくると、ちゃんと五百円と書いてあった。
生まれて初めての貯金だった。
大邱で小さい時から子守や物売りをして、どんなに働いても貧しい暮らしから抜け出すことができなかったわたしに、
こんな大金が貯金できるなんて信じられないことだ。
千円あれば大邱に小さな家が一軒買える。母に少しは楽をさせてあげられる。
晴れがましくて、本当にうれしかった。貯金通帳はわたしの宝物となった。