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慰 安所は軍が設 置開 設。
山崎正男第10軍参謀の日記 1937年12月18日の項
先行セル寺田中佐ハ憲兵ヲ指導シテ湖州ニ娯楽機関ヲ設置ス。
・・・先行シ来レル寺田中佐ハ素ヨリ自ラ実験済ミナルモ、本日到着セル大阪少佐、仙頭大尉コノ話ヲ聞キ耐ラナクナッタト見エテ、憲兵隊長ト共ニ早速出掛ケテ行ク。
約一時間半ニシテ帰リ来ル。憲兵隊長ノ口添ヘモ関係カ非常ニ「サービス」良カリシト、概ネ満足ノ体ナリ。
(南京戦史編集委員会編『南京戦史資料集Ⅱ』1993年、偕行社)
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○『岡村寧次大将資料(上)戦場回想篇』(原書房)302~303頁
昔の戦役時代には慰安婦などは無かったものである。斯く申す私は恥かしながら慰安婦案の創設者である。
昭和七年の上海事変のとき二、三の強姦罪が発生したので、派遣軍参謀副長であった私は、同地海軍に倣い、
長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである。
中 曽根大勲 位が慰 安所 開設
「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰 安所をつくってやった」
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「主計長の取計で土人女を集め慰 安所を開 設氣持の緩和に非常に効果ありたり」
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○上村利通上海派遣軍参謀副長の日記 1937年12月28日
南京慰安所ノ開設ニ就テ第二課案ヲ審議ス(南京戦史編集委員会編『南京戦史資料集Ⅱ』1993年、偕行社)
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○『回想ビルマ作戦』光人社、1995年発行
「高級副官の上田孝中佐が、辻(政信)参謀のもっとも嫌いな慰安所の配分計画をもって、合議を求めにきた。
辻参謀はこれを一瞥すると、時が時だけによほど癇にさわったようで
『こんなものは参謀の見るものではない。少なくとも作戦参謀の見るものではない!』と怒鳴りつけて、書類を床にたたきつけた。
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