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■「週刊文春」2016年8月4日号
都議会のドン 内田茂(77)「黒歴史」
小池百合子に「どっちが上座かわかっているのか」
より抜粋
今から十一年前の夏、当時の小泉純一郎首相が郵政解散に踏み切った直後のことである。小池百合子環境大臣は、一人の男の事務所を訪ねた。“刺客”第一号として、兵庫から東京への国替えのあいさつだった。
小池氏はその男に促され、入り口から遠い席に座った。そして、男は小池氏にこう言い放った。
「あなたは、そっちが上座と思っているかもしれんが、ここでは富士山が見えるこっちが上座なんだよ」
男の名は、内田茂都議(77)。今や自民党東京都連幹事長にして「都議会のドン」と呼ばれる男だ。
恨みを綴った自殺都議の遺書
七月三十一日、新都知事が誕生する。有力視される小池百合子氏、増田寛也氏、鳥越俊太郎氏の三人のうち誰になろうとも向き合わざるをえないのが都議会、そして内田氏だ。
舛添要一前知事の辞任を決定づけたのも内田氏だった。
「辞任論が高まった当初、内田氏は『まだ辞めるのは早い』と、リオ五輪後の辞任で舛添氏と握っていた。ところが、世論に押され、自民党も不信任案賛成に舵を切った。舛添氏は、内田氏に切られ、進退窮まったのです」(都政担当記者)
二〇一二年末の都知事選で、自らが候補者だった猪瀬直樹元知事が振り返る。
「安倍さんは私を推薦しようとしていたのに、結局、内田氏の反対で自民党の推薦は出なかった。(知事就任後)仁義を切ろうと電話したのに、本人が出ない。後で聞くと、内田氏は『猪瀬から電話かかってきたけど、出ねぇよ』と吹聴していたそうだ」
内田氏はその後猪瀬氏に「五輪までやれると思うなよ」と言い放ったという。
その後、徳洲会事件で辞任に追い込まれた猪瀬氏は今、公然と「東京のガン」と内田氏を批判する。さらには、自殺した元都議の遺書を公開した。
〈内田、許さない!!〉
〈人間性のひとかけらもない内田茂。来世では必ず報服(ママ)します。! 御覚悟!!〉
一一年七月に自殺した故・樺山卓司元都議が綴った遺書には、内田氏への恨みが書き殴られている。樺山氏の次女・A子さんは小誌の取材に怒りを滲ませた。
「遺書が見つかったのは亡くなった一年後でした。内田氏は父に対し、党の控え室で悪口を言ったり、幹事長選に立候補しようとした時も、他の都議に『支持するな』と圧力をかけたりしていました。
父は地元に原爆慰霊碑を建てようと尽力していましたが、内田氏からは『共産党員になればいい』とも言われていた。父の苦しみに気付いてあげられなかったという思いもあって、今も涙が止まりません」
石原慎太郎氏、猪瀬氏、舛添氏ら歴代都知事さえひれ伏してきた都議会のドン・内田氏。彼の政治力を物語るエピソードがある。
一五年十二月十六日、内田氏の妻、セイ子さんの通夜が芝公園の増上寺で行なわれていた。この通夜に、わざわざ官邸から安倍晋三首相が駆け付けたのだ。
「ただ、本来二人はそれほど親しくない。それでも首相は葬儀委員長も務め、改めて内田氏の政治力を内外に示した恰好になりました」(政治部デスク)
なぜ一地方議員に過ぎない内田氏に、それほどの政治力があるのか。
都連所属の国会議員の一人はこう語る。
「首都・東京の政治を動かしているのは実質上、自民党東京都連です。知事は、彼らが担ぐ御輿にすぎない。その都連の会長は石原伸晃経済再生担当相ですが、
実際にカネとポストを握っているのは、長年、都連幹事長を務めている内田氏。都議はもちろん、選挙で都議に動いてもらう国会議員も内田氏には逆らえない。
伸晃氏も内田氏の前では『そうですね』と言うばかり。七月五日に、推薦を求める小池氏と面談した時も、伸晃氏は『私には決められないのは分かっているでしょ』と言うしかなかったそうです」
直近の収支報告書(一四年)によれば、「自民党東京都支部連合会」の収入総額は約十億円。この十億円が「内田氏が差配できるカネ」(同前)という。
都連のカネで自らのパーティー券を購入したり、自身が代表者を務める政党支部に厚く支出したりもしている。
「年末の総会では、党本部から所属議員に配られる餅代・氷代(活動資金)の報告があり、『内田先生のお力添えでもらいました』とアナウンスされる。
すると、議員たちは内田氏にお礼の挨拶に行くのです。一方で、内田氏は対立する議員を徹底的に干す。自殺した樺山氏もそうでした。
品川区選出の有力都議も内田氏と衝突し、最終的に引退を余儀なくされました」(同前)