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■「週刊文春」2016年8月4日号
都議会のドン 内田茂(77)「黒歴史」
小池百合子に「どっちが上座かわかっているのか」
より抜粋
石原慎太郎知事も屈服した
九五年に青島幸男都知事が誕生して都政が混乱すると、内田氏は公明党と議会の主導権を握っていく。そして九八年、都議会の幹事長の椅子に座る。
「幹事長職は話し合いで決めるのが慣例でしたが、党内が分裂して、投票に持ち込まれました。内田氏側はゴルフ会を企画したり、多数派工作に精力を注いでいた。
ホテルで行なわれた幹事長就任パーティーは、党三役からゼネコン幹部まで顔を揃える盛大なものでした。この頃から、当時自民党幹事長を務めていた森元首相との関係を深めていきます」(前出・都連幹部)
ドンの権力を都庁中に知らしめたのは〇五年、石原慎太郎知事時代のことだった。知事の最側近・浜渦武生副知事が、答弁の偽証で辞任に追い込まれたのだ。
「都議会で三十五年ぶりの百条委員会が開かれたことがきっかけで浜渦氏は辞任した。そもそも出席議員の四分の三の賛成が必要な百条委は、自民党が反対すれば設置できなかった。
公明党や民主党(当時)の都議と太いパイプを持つ内田氏は、都議会の威光をバックに、石原氏に『浜渦は辞任させるべきだ』と引導を渡したのです。
当時、衆院選に出馬予定だった三男・宏高氏に支援しないと迫ったと言われています。都知事が、“都議会のドン”に屈服した瞬間でした。
この頃から、都庁の重要案件は『この話は内田さんは了解しているのか』が合言葉になりました」(同前)
浜渦氏はこう振り返る。「石原さんもいろんなことを頼む時に『内田と連絡を取っておいてくれ』と言っていた」
浜渦氏辞任の三カ月後、内田氏はついに自民党東京都連の幹事長に就く。ところが、自民党が政権を失った〇九年、内田氏は都議選で落選。権威は失墜したかに思えた。
だが、「役員任期は二期四年」という慣例を覆し、内田氏は幹事長職を続投する。その理由は前述のように「カネと人事を掌握できるからにほかならない」(前出・都連幹部)。
「『バッジのない幹事長はおかしい』と、石原親子が影響力を削ごうとしましたが、内田氏は伸晃氏に『誰にモノを言っているんだ』と猛反発しました。
元を辿れば、伸晃氏を都連会長に担いだのは、内田氏。伸晃氏はすぐさま矛を収めました。結局、内田氏は落選中も都議会自民党の控え室に顧問部屋を用意させ、黒塗りのハイヤーで移動していました。
東京都選出の国会議員は、下村博文自民党総裁特別補佐、萩生田光一官房副長官ら都議出身が多い。小池氏は周辺に『みんな若い頃の行状を押さえられているのよ』と、内田氏への言いなりぶりを嘆いていました」(前出・国会議員)
都議会解散を唱える小池氏は内田氏をこう批判する。
「実は、内田氏が独自候補を擁立した選挙はことごとく負けているのです。例えば、一三年の千代田区長選では現職の石川雅己区長に対し、
当時の副区長を自公で擁立しましたが、勝てなかった。結局、自らの権力の維持ばかりを優先し、民意を蔑ろにするから選挙に勝てないのでしょう」
権力の大きさとは対照的に、都民にはなじみの薄い内田氏だが、歴代知事と同様、政治とカネにまつわる問題を抱えている。
資産等報告書によれば、一五年時点の所有不動産や株式はゼロ。だが関係不動産の登記簿をたどっていくと、二つの不動産の存在が浮かび上がってきた。
一つ目は、現在HPなどで内田茂事務所として案内している千代田区神田淡路町の三階建てビルである。
同ビルの土地は内田氏が父親の死に伴い、九一年に相続。ところが九八年、ビルメンテナンス企業の関係会社、O社に売却されている。O社の経営者は、
内田氏の政治団体・千代田区第二支部の会計責任者だ。O社の取締役には一一年、内田氏の娘が就任。O社は一三年にT社と名を変え、事実上娘夫婦の個人会社となった。
不動産価格は「六千万円程度」(地元業者)という、この物件を所有するのは、内田氏の“ファミリー企業”なのだ。
もう一つの不動産が、一三年の都議選で内田氏が自身の住所として届け出ていた千代田区神田須田町の五階建てビルだ。