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悪魔の詩訳者殺人事件
1991年7月11日。
夏休みのキャンパス内で殺害された筑波大学の五十嵐一助教授(当時44歳)は、熱心なイスラム研究家として知られていた。
第一発見者は早朝出勤したばかりの清掃員の女性である。
五十嵐助教授は7階のエレベータホールで首を切断寸前までかき切られ、あたり一面を血の海にして倒れていた。
所持していた鞄にもいくつか傷痕があった。
事件が日本だけに限らず世界にも衝撃を与えたのは五十嵐助教授がイスラム社会から禁書とされていた小説「悪魔の詩」の翻訳者だったからである。
悪魔の詩はインド系イギリス人の作家サルマン・ラシュディによって1989年1月に発売されたものだが
その内容にイスラム教を冒涜するものがあるとしてイスラム圏では焚書が相次いだ。
CIAの元職員ケネス・ポラックは、イラン軍部『イスラム革命防衛隊』による犯行を示唆している(『ザ・パージァン・パズル』小学館、2006年)。
目撃されやすいエレベーターホールで襲撃した事実も見せしめ犯行のためと判断した。
「治安当局が『容疑者』を特定していた極秘報告書」によると、事件当時、東京入国管理局は筑波大学に短期留学していたバングラデシュ人学生を容疑者としてマークしていたという。
捜査中、学内の五十嵐の机の引き出しから、殺害前数週間以内と思われる時期に五十嵐が書いたメモが発見された。
これには壇ノ浦の戦いに関する四行詩が日本語およびフランス語で書かれていたが、
4行目の「壇ノ浦で殺される」という日本語の段落に対し、フランス語で「階段の裏で殺される」と表現されていた。
当時世界でも同じようにイスラム教研究者が暗殺される事件が相次いだ。