16/06/30 10:48:39.54 lNDchWrq0.net
>>407
ペルー入りした五十人以上の記者やカメラマンのうち、経費を問題視されたのは
青山氏だけだったという。当然、経理担当者は青山氏に対して、私的流用分を
支払うように求めた。
「青山氏は、のらりくらりかわし続け、結局、半年間ほど交渉を続けていました。
その結果、四百五十万円ほどを退職金で相殺する形にしたのです。実はワシントン
支局への異動が決まっていたのですが、立ち消えになりました」
一九九七年大晦日をもって、青山氏は共同通信を退社する。その挨拶状が
同僚たちの間で話題になった。
「『円満に依願退職』と記されていたのです」