16/06/07 23:19:48.59 CAP_USER9.net
(上)野生種の植物の種を植える那須浩郎助教(右)と山田昌久教授(下)実験で植えたツルマメ(右)とヤブツルアズキ=いずれも能登町真脇で
URLリンク(www.chunichi.co.jp)
縄文時代の国指定史跡「真脇遺跡」(能登町真脇)がある同町真脇遺跡公園で六日、野生種の豆を中心とした植物を植え、狩猟と採取が生活の中心だったとされる縄文期に植物の栽培が行われた可能性を調べる取り組みが始まった。専門家たちは「縄文期に近い自然環境を生かし、縄文人と植物の関わりに迫りたい」と意気込む。(志村拓)
植物考古学を研究する総合研究大学院大(神奈川県葉山町)の那須浩郎助教(40)が企画した。那須助教によると、全国の縄文時代の遺跡では近年、大豆の野生種「ツルマメ」など食用植物の種が、土器に付着していた痕跡などの出土例が増加。通常よりも大きい種子が見つかったケースもあり、育ち具合から品種改良の可能性も探るという。
初日は、那須助教と実験場所として真脇遺跡を紹介した首都大東京の山田昌久教授(62)が、公園を訪問。ツルマメやヤブツルアズキの種を、肥料を入れて土を耕した遺跡横にある農地から荒れ地まで、さまざまな条件で植えた。実験は縄文期の登呂遺跡(静岡市)や板付遺跡(福岡市)近くなど全国四カ所で実施する。
那須助教は「真脇遺跡は、縄文時代を調べる上で日本海側の大切な場所。実験が日本の農耕の起源を考える材料の一端になってほしい」と期待。縄文人の生活を研究している山田教授は「集落での人ぷんの処理や遺体の埋葬といった人々の営みが、土地を豊かにして植物栽培につながった可能性もある」と話した。
町真脇遺跡縄文館によると、真脇遺跡でも植物の種とみられる跡の付いた土器が出土しており、七日に那須助教らが検証する。
URLリンク(www.chunichi.co.jp)
2:名無しさん@1周年
16/06/07 23:20:42.69 SKWQe4ku0.net
おじさん達の祖先の縄文人も さぞ立派なハゲだったんだろうね! 大事にしてね!
3:名無しさん@1周年
16/06/07 23:21:55.78 n6YRy7770.net
マメ食ってれば生きてられる
4:名無しさん@1周年
16/06/07 23:22:05.85 2IkJ4bWZ0.net
>>1
あると思う
俺の代謝の遺伝的にそういうのがないと説明がつかない
5:名無しさん@1周年
16/06/07 23:22:43.64 1fohiBvC0.net
米だって作ってただろ
6:名無しさん@1周年
16/06/07 23:23:18.12 rTdu+FOS0.net
栗の木を栽培してたとNHK
7:名無しさん@1周年
16/06/07 23:24:53.72 aBQxPN5S0.net
※君たちは縄文人とは遠くかけ離れた渡来系の人種です!!
>縄文人骨から抽出した核ゲノムを解析
>日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)と縄文人を用いた主成分分析の結果、
>縄文人と遺伝的に類似の集団は見られず、遺伝的に非常に特異な集団であることが明らかとなった。
URLリンク(ir.soken.ac.jp)
>全ゲノム解析法を用いた縄文人と渡来系弥生人の関係の解明
>縄文人の系統的な位置を確認するために,湯倉洞窟と尻労安部のSNPデータを用いて現代人との比較を行った。
>双方に共通するSNPは5万6千箇所あまりで,これを現代日本人と中国(北京)のデータと比較した。
>主成分分析を行ったところ,このSNPデータで琉球と本土日本の現代人,及び中国人集団は分離されたが,
>尻労安部と湯倉縄文人はいずれの集団とも離れたところに位置することが分かった。
>現代日本人の成立には,その後の大陸からの影響が大きかったことをうかがわせるものである。
URLリンク(www.kahaku.go.jp)
※核ゲノム=30億塩基対、YDNA=5000万塩基対
>縄文人171例,渡来系弥生人153例,古墳時代人276例,鎌倉時代人220例,室町時代人124例,江戸時代人194例
>現代日本人180例および北海道アイヌ187例の頭骨を用いたポピュレーションヒストリー
URLリンク(native.way-nifty.com)
URLリンク(www.kahaku.go.jp)
>縄文人および北海道アイヌと上記の日本人グループとの距離はいづれも明らかに有意であった.
>本研究の結果から判断する限りにおいては,弥生時代の渡来系の集団が基本になって,古墳時代に現代日本人の原型が成立したと考察するのが妥当であるように思われた.
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
8:名無しさん@1周年
16/06/07 23:25:12.77 blvOpRA10.net
なぜ稲作まで出来なかったのか
9:名無しさん@1周年
16/06/07 23:26:04.91 BHDLNVao0.net
大豆の原種だ。4000年前シナで始まったと言われてるが、
それを超える可能性が出てきたってことか?
10:名無しさん@1周年
16/06/07 23:26:09.83 3caoTktv0.net
稲作の伝播経路|写真URLリンク(www.ranhaku.com)
稲作伝来の経路は、幾つか考えられています。しかし黄河以北の大陸や南西諸島・南九州には、
当時の稲作が行われていた痕跡は確認されていません。よって稲作道具の類似性からみて、
稲作は朝鮮半島南部から伝来してきたものと考えられます。
URLリンク(www.ranhaku.com)
11:名無しさん@1周年
16/06/07 23:27:33.10 ucGIrU3J0.net
>>8
してたよ
ただ、水稲じゃなかったみたいだけど
12:名無しさん@1周年
16/06/07 23:28:22.47 3caoTktv0.net
記者会見「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」
平成24年11月1日
東京大学大学院医学系研究科
総合研究大学院大学
URLリンク(www.u-tokyo.ac.jp)
研究グループは、ヒトゲノム中のSNP(単一塩基多型)(注1)を示す100万塩基サイト
を一挙に調べることができるシステムを用いて、アイヌ人36個体分、琉球人35個体分
を含む日本列島人のDNA分析を行った。
その結果、アイヌ人と琉球人が遺伝的に、もっとも近縁であり、両者の中間に位置する
本土人は、琉球人に次いで、アイヌ人に近いことが示された。一方、本土人は集団とし
ては韓国人と同じクラスターに属することも分かった。
13:名無しさん@1周年
16/06/07 23:28:41.73 BHDLNVao0.net
朝鮮経由でシナから入ってきたと思われてたが、
日本独自に栽培化してた可能性が出てきたってことか。
14:名無しさん@1周年
16/06/07 23:31:14.20 dNT1GMSu0.net
数回訪れたに過ぎない程度の自分の印象だけど能登の人っていわゆる縄文顔ではないよね?
超弥生顔(大陸顔)の平たーい顔の人が多かったよ
15:名無しさん@1周年
16/06/07 23:31:47.56 B6UbjkP00.net
種を蒔いて育てていたことは分かっている。
しかし豊作の工夫をしていたかどうかは今のところ不明。
土を耕したり肥料を加えるという行為は農業にあたる。
16:名無しさん@1周年
16/06/07 23:32:56.04 o4CG4BYB0.net
栗とドングリが主食ってあんまりだろ、とは思ってた。
17:名無しさん@1周年
16/06/07 23:33:15.42 1fohiBvC0.net
縄文人は航海技術に長けてて船で南米にまで行ってるんだぜ
18:名無しさん@1周年
16/06/07 23:34:58.04 IjSzIKMq0.net
畑作は北ルートで同時に持ち込んだだろうけど稲作は長江文明由来だろ
19:名無しさん@1周年
16/06/07 23:35:00.75 BMvyB2QT0.net
>>16
栗もドングリの仲間。
20:名無しさん@1周年
16/06/07 23:35:14.52 BHDLNVao0.net
なお、ヤブツルアズキは小豆の原種。こっちも独自に栽培成功しとったってわけか。
どちら朝鮮かやってきたいわれてたけどな。稲も雲南起源説が簡単に覆されるとか
ここらへんの研究やっとるひとは大変だな。
21:名無しさん@1周年
16/06/07 23:35:24.08 xIIKj4kl0.net
「農業してた?」って言われても
20世紀の教科書には既に稲作の始まりは縄文時代と載っていたのに
一体何をいまさら
22:名無しさん@1周年
16/06/07 23:35:24.33 oX1bmKUz0.net
知ってたよ
23:名無しさん@1周年
16/06/07 23:38:30.42 1l7vPiM60.net
古朝鮮(コヂョソン)からの渡来した弥生系市民が、毛皮をまといこん棒を振り回すだけだったみじめな古代ジャップ(ジョーモン土人)に文化を授けてやっていたのは考古学会では周知の事実
知能の低い日本人の混乱とヘイトスライムを恐れ、公表が見送られているだけだ
24:名無しさん@1周年
16/06/07 23:38:39.75 5RJImyWF0.net
>>11
『照葉樹林文化とは何か―東アジアの森が生み出した文明』
には陸稲もやってたと書いてあった気がするな。
25:名無しさん@1周年
16/06/07 23:39:14.71 MOWv5sSN0.net
既出だな
もそも縄文と弥生時代の境目なんて曖昧だし
26:名無しさん@1周年
16/06/07 23:40:36.73 45EK5Rtw0.net
学校の教科書をそろそろ変更させたらどうだ?文科省が指導すべきだろう。
縄文時代に既に稲作はやっていたし、稲作は朝鮮半島から日本に渡って来たのではなく、
中国から直接、日本に渡り、日本から朝鮮半島に渡った。
これらの事実は、日本の考古学会では共通した認識であり、今でも教科書を改訂しないのは
日本文化は朝鮮半島から全て渡って来たことにしたい連中が阻止しているからだ。
27:名無しさん@1周年
16/06/07 23:44:34.58 5RJImyWF0.net
>>13
照葉樹林焼き畑農業文化が下地としてあり、
雲南~台湾~日本と続く照葉樹林ベルトに
よりもたらされた水稲がスムーズに受け入れ
られたと読んだ。
文明開化だって西洋文化・技術を受け入れ
られる素地が江戸時代までに作られていた
からこそ。
28:名無しさん@1周年
16/06/07 23:49:11.04 qqHpbglM0.net
歴史学者ってアホだよな
過去に行ける機械作ったら早く確実なのに
29:名無しさん@1周年
16/06/07 23:51:25.82 qjFuAbYe0.net
そりゃ土器があるぐらいだから、入れるものがあったってことだわな
30:名無しさん@1周年
16/06/07 23:54:24.67 1qs5vXP90.net
縄文真脇温泉、まだあるの?
久々に行ってみたいな
31:名無しさん@1周年
16/06/07 23:54:28.97 R9OQFbQF0.net
>>1
こないだNHKスペシャルでやってたような記憶があるわ
縄文人はドングリの木とかを管理してたみたいだね
その後に弥生人が稲作農業を持ってきた
中国や朝鮮半島から渡来した弥生人達の前に、
縄文人は独自にドングリとかの樹木を管理してたみたいだな
32:名無しさん@1周年
16/06/07 23:55:15.10 PCbDk9WG0.net
てか、大昔から朝鮮半島南端は
日本人のご先祖の勢力圏、
つまり、日本の領土だったんだよ
日本の文化の痕跡が朝鮮半島にあったとしても
それは当たり前の話
前方後円墳だって朝鮮半島で見つかったんだよね
韓国に都合が悪かったみたいなので埋め戻されちゃったけど
今の韓国人のご先祖が朝鮮半島にやってきたのは日本の古墳時代
秦の始皇帝の時代に、長城を作ってた奴隷が逃げてきたんだよ
昔から日本人は人が良いので土地を分け与えてあげたの
それが馬韓という国
始めは日本人が統治してたけど、
裏切、反乱で国をのっとられてしまった
で、日本に友好的な百済と、
敵対的な新羅、高句麗に分裂した
そしてその後は壬申の乱に続く
それから時がたって、
33:婆 ◆HKZsYRUkck
16/06/07 23:57:37.26 6Q+fO2oq0.net
真脇の人たちはイルカ食ってたんだよな。
男は漁で女は畑なのかしらん。
34:名無しさん@1周年
16/06/07 23:57:45.70 ZxeNQ8Sy0.net
>>1
だからさwww
縄文時代っつっても、キリストが生まれてから現在までの時間が何度も繰り返せるくらい長い時代なんだよwww
そりゃそれくらい長い時間の話なんだから、農業だってする部族もいたろうよwww
35:名無しさん@1周年
16/06/07 23:57:49.60 rTdu+FOS0.net
>>10
いままではそう考えてられていたが
稲のDNA解析で日本から朝鮮半島に伝搬したことがわかった
36:名無しさん@1周年
16/06/07 23:59:42.23 R9OQFbQF0.net
NHKスペシャルの内容でも、
縄文人は農耕民族だったわな
農耕と言っても原始的なものだけど
その後に、中国や朝鮮半島から渡った弥生人達が、
高度な稲作農業や文字などを持ってきて、
日本も文明の道を歩むようになった
37:婆 ◆HKZsYRUkck
16/06/07 23:59:43.91 6Q+fO2oq0.net
>>34
つか、キリストが生まれたあたりからの急加速が異常なんだってばw
38:名無しさん@1周年
16/06/08 00:11:56.37 NKX+XkSp0.net
長野県で縄文人の骨が出てきたのね。
それで遺伝子を調べたら、その場所に住んでいる村人の
遺伝子と同じであった。
このような事実は公表されないらしいと、近所に発掘にきた
教授が言っていたよ。
39:名無しさん@1周年
16/06/08 00:22:43.84 lNcuNHcY0.net
縄文土器?弥生土器?どっちが好き?
40:名無しさん@1周年
16/06/08 00:23:24.33 G4vqI0JD0.net
厳密な境はないだろう
41:名無しさん@1周年
16/06/08 00:25:22.39 vDHGDnXd0.net
縄文人が農業してたのはもう?じゃないだろ
陸稲、晩期なら水稲、麦や雑穀、色々やってる
昔だから地域差大きいが
42:名無しさん@1周年
16/06/08 00:25:24.72 RWq0cWvK0.net
縄文人「海産物ばっかじゃ飽きるに決まってるだろw」
43:名無しさん@1周年
16/06/08 00:25:54.47 z2y9pxDb0.net
>>31>>36
朝鮮半島混ぜるなよ。
44:名無しさん@1周年
16/06/08 00:26:16.48 ONSAfkbk0.net
大豆と小豆はあるが、中豆はない
豆な
45:名無しさん@1周年
16/06/08 00:33:18.69 G4vqI0JD0.net
縄文時代後期後葉(約3500年前)の土器の器面に籾の痕跡が残る土器(籾痕土器)が発見
URLリンク(www.pref.okayama.jp)
大都会では常識のようだ
46:名無しさん@1周年
16/06/08 00:33:49.68 h5YKSHhg0.net
縄文人は縄文式土器がDQNっぽいだけで
必要以上に蛮人と思われている気がする
47:名無しさん@1周年
16/06/08 00:34:18.58 vDHGDnXd0.net
>>10
何故黄河以北?
日本への文化伝来、それもよりにもよって稲作について
黄河以南、特に長江以南の可能性をスルーして結論付けられるわけない
大陸では長江文明が稲作の最古で日本の縄文時代より古くから稲作を行っているし
その辺りは遣唐使などの行き来でも分かるように日本とは東シナ海を挟んで比較的近い位置にある
更にもっと南の可能性もあるし、黄河以北の大陸で行われていなかったって程度で
大陸や他地域からの伝来の推測を終わらせるとかどういうことやねん
長江辺り→東シナ海→九州の文化伝来ルートはこれに限らず重要ルートだぞ
48:名無しさん@1周年
16/06/08 00:40:04.17 kX4KC+te0.net
ゾウムシもいっぱいいたのか
49:名無しさん@1周年
16/06/08 00:41:18.39 xiPHhK/w0.net
真脇周辺は縄文遺跡ばかりではないから、じっくり調べて欲しい。
50:名無しさん@1周年
16/06/08 00:42:22.95 vDHGDnXd0.net
>>23
縄文時代には既に布の衣服も農業もあったが
何時の時代の縄文イメージだよ
51:名無しさん@1周年
16/06/08 00:48:57.62 knKfBp9l0.net
獲物がいくらでもいるというのに、豆なヤツもいたもんだ
52:名無しさん@1周年
16/06/08 01:04:31.16 9EwditKj0.net
>>7
何年前の骨を縄文人だと断定しているんだよ
日本には縄文時代はあったが縄文人なんて居なかったんだけど
53:名無しさん@1周年
16/06/08 01:07:17.36 9EwditKj0.net
>>10
韓国らの稲作の伝搬はありえない
何故なら日本が朝鮮を支配した時に日本から稲作が持ち込まれたからだ
あまりいい加減なデマを流すなよ
54:名無しさん@1周年
16/06/08 01:09:47.16 9EwditKj0.net
>>24
稲作は東南アジアとかの南方の物だよ
55:名無しさん@1周年
16/06/08 01:11:20.80 9EwditKj0.net
>>23
縄文時代には朝鮮は無人地域だよ
56:名無しさん@1周年
16/06/08 01:11:34.97 OEGlxcIF0.net
そりゃまあ、何千年もあればねえ
誰かがひらめいたりもするだろ。
57:名無しさん@1周年
16/06/08 01:16:05.28 a0fD0nVd0.net
アメリカ人学者の調べによると豊かな生活が長く続いたんだろ日本の縄文時代って
シナチョンが弥生文化持ってきてから日本もおかしくなった
58:名無しさん@1周年
16/06/08 01:21:15.22 vDHGDnXd0.net
>>24
水稲は縄文時代でも晩期に行われてたけど、
陸稲は縄文時代初期から行われてる
59:名無しさん@1周年
16/06/08 01:21:45.75 G4vqI0JD0.net
稲作の起源は2012年現在、考古学的な調査と野生イネの約350系統のDNA解析の結果[4]、約1万年前の中国長江流域の湖南省周辺地域が稲作の起源と考えられている。
長江流域にある草鞋山遺跡のプラント・オパール分析によれば、約6000年前にその地ではジャポニカ米が栽培されており、インディカ米の出現はずっと下るという[7]。
中国からどういう経路で伝わったかは定かではない
60:名無しさん@1周年
16/06/08 01:28:50.55 yuH4g01r0.net
中国より人口が多かったらしいな。そりゃなんか栽培してるだろて。
61:名無しさん@1周年
16/06/08 01:32:31.52 4Kcl01EI0.net
>>47
古代に大陸からダイレクトで日本に来るのはやはりリスク高いんじゃないの
大陸から半島へ、そこに定着せずに南下して日本に来たって方がありそうな感じ
半島で稲作の適地というと南端部だからそこでちょぼちょぼやりつつ日本に来たとも考えられる
大陸から半島の狭いエリアを経て日本へって感じ
半島の稲作の広がりは日本からの逆移民が主だったかもしれない
62:名無しさん@1周年
16/06/08 01:34:03.60 WTh+nQvu0.net
稲は東南アジアから海を越えて伝わったと習ったよ
63:名無しさん@1周年
16/06/08 01:46:40.28 V8B4v0CD0.net
稲作の伝播経路|URLリンク(www.ranhaku.com)
稲作伝来の経路は、幾つか考えられています。しかし黄河以北の大陸や南西諸島・南九州には、
当時の稲作が行われていた痕跡は確認されていません。よって稲作道具の類似性からみて、
稲作は朝鮮半島南部から伝来してきたものと考えられます。
URLリンク(www.ranhaku.com)
64:名無しさん@1周年
16/06/08 01:48:28.89 vDHGDnXd0.net
>>63
だから何故『黄河以北』なんだよ
>>47読め
大陸の稲作について黄河以南、特に長江以南をスルーして正確な推測ができるわけないだろう
65:名無しさん@1周年
16/06/08 01:53:35.27 QoRiNL6F0.net
>>1
既に三内丸山で栗の栽培が確認されてたろ
66:名無しさん@1周年
16/06/08 01:53:51.23 zpkGIGJNO.net
>>63
比企か流石だ
埼玉もアレが蔓延って酷いんだよな…… (´・ω・`)
67:名無しさん@1周年
16/06/08 02:09:29.61 9EwditKj0.net
>>63
稲作文化は日本の方が古いから朝鮮から来たなんてありえない
68:名無しさん@1周年
16/06/08 02:12:03.54 X3G5i0Wi0.net
栗の木の交配もしてたってことだし
まぁやってただろう
69:名無しさん@1周年
16/06/08 02:12:27.62 Pd+paPZx0.net
栗を植えてたんじゃねえの、吉野ヶ里とかでは
70:名無しさん@1周年
16/06/08 02:19:20.43 oXMeifYg0.net
>>61
吉野ヶ里遺跡が古代の交易の中心地で、
大陸→南西諸島→有明海→吉野ヶ里遺跡→筑後川というルートが確立していたという説もある
71:名無しさん@1周年
16/06/08 02:21:53.82 3iEA/8K10.net
栗やドングリの木も植えてたんじゃないの?
72:名無しさん@1周年
16/06/08 02:40:13.14 Pd+paPZx0.net
東京にドングリ料理再現してる人がいたなあ
73:名無しさん@1周年
16/06/08 02:46:38.90 WwIM7up2O.net
弥生時代から農耕が始まりました。
↑
これ、戦後の左翼学者が死守してきたプロパガンダなんだよ。
「日本は未開だった。全て朝鮮半島から伝わってきた。」
日本人にこう思い込ませる為にね。
74:名無しさん@1周年
16/06/08 02:50:49.55 UYF4mkJ7O.net
月刊「縄文時代」
いま豆栽培がアツい!
75:名無しさん@1周年
16/06/08 02:56:31.27 q1DzXzIT0.net
稲のDNA解析した人が
朝鮮ルートと中国ルートの二つがあったんだじゃないかって言ってるのに
なぜか日本に伝わった米が中国ルートしかないと思い込んでる人が多い
朝鮮には日本にないDNAの米があるのに
日本から朝鮮に稲作伝えたことになってるし
稲作の道具が朝鮮半島から日本に伝わってるので
その事実を否定することはなかなか難しいわけ
朝鮮半島にも古い稲作のあとが見つかってるのに
否定するし
76:名無しさん@1周年
16/06/08 03:08:03.23 WTh+nQvu0.net
そのDNA研究から朝鮮からは伝わってないとなったんす
77:名無しさん@1周年
16/06/08 03:25:06.77 q1DzXzIT0.net
>>76
だからそのDNAを研究した佐藤洋一郎が
二つのルートがあったんだろうと言ってんだよ
URLリンク(www.athome-academy.jp)
>ええ、私も、確かに水田というのは、通説通り、縄文時代晩期に持ち込まれたものだと
思っています。しかし、私がジャポニカの起源だと考える長江流域は、案外日本から近いですからね。
別のルートで日本に伝来していてもおかしくないんです。
>私は、ひょっとすると縄文晩期から作られたごく初期の水田は、縄文人が朝鮮半島を訪れ、
そこで目にした水田を見よう見真似で作ったものではないかと思っているんです。縄文人というのは、
もともと流浪の民ですから、フットワークはかなり軽くて、朝鮮半島まで行くのなんて朝飯前だったん
じゃないかと(笑)。
>実は、大阪の池上曽根遺跡や奈良の唐古・鍵遺跡から出土した2200年以上前の弥生米のDNA分析を
行なったところ、朝鮮半島には存在しない中国固有の水稲の品種が混ざっていることが分ったんです。
↑朝鮮半島を経由しないルート「も」あったと言ってるだけで
朝鮮半島ルートは全く否定していない
78:名無しさん@1周年
16/06/08 03:33:05.16 CrzaQM6c0.net
>>1
まあ、しかし、
今でこそ、稲作文化を狩猟・採集文化より上と考えるが、
元々は、米を食べるヤカラは、満足に狩猟で獲物を取ることもできない劣等人種の所業だったんだぜ。
米というものを食べ始めた最初期は、野生の稲に付いてる小さな米粒を、何千個、何万個集めてやっと満足な食い物にできるというシロモノでしかなかった。
そんなミジメな「食い物漁アサり」は、満足に肉を手に入れることのできない低レベルの人間が成すこと。
(ま、現在なら、ホームレスがゴミ箱を漁アサるようなものだな)
そういう、小さな米粒を何千個、何万個集めたものが、肉や果物に勝マサっていたのは、その保存性だけなのである。
(つまり、腐りにくい)
結局、その保存性が、「瓢箪から駒」のごとく、繰り返し襲って来る食物飢饉に耐性があるということで、
次第に幅を利かせて、やがて社会全体に正規の食物として活用されて行ったってことだ。
したがって、稲作ってのは、最初は決して、誇らしく語る文化でもなかったのである。
79:名無しさん@1周年
16/06/08 03:54:48.51 lRAyteBj0.net
フナやカキの養殖もしてたとか
80:名無しさん@1周年
16/06/08 04:01:27.98 WEAW0aBu0.net
国分 「農業してみてどう思った?」
81:名無しさん@1周年
16/06/08 04:48:56.83 57XSBSvQO.net
農業してたとなると、日知りも大切になってくるなぁ
航海術でもそうだけど
土器の文様に刻み込まれてるのかしらん?
82:名無しさん@1周年
16/06/08 04:55:20.34 9jyMLqf40.net
いつもコピペで現代人は朝鮮渡来弥生の子孫だと連呼してる奴なんなの?
こういうスレでは必ず見かけるんだが
83:名無しさん@1周年
16/06/08 05:14:54.02 W8MKJcvs0.net
農業してたのは2割の縄文人
84:名無しさん@1周年
16/06/08 05:45:04.75 9fKPPGGs0.net
縄文時代が狩猟採集の時代だったとかいつの説だよ
85:名無しさん@1周年
16/06/08 05:46:44.11 WmjkBo1q0.net
縄文スレでは必ず民族学校出のチョンが火病る→論破されて逃亡
この繰り返しですわw
86:名無しさん@1周年
16/06/08 05:48:13.92 AiPrj0/Z0.net
穀物以前にヒトの食を支えていたのは豆類とものの本で読んだ
87:名無しさん@1周年
16/06/08 05:59:29.21 sW+gUhau0.net
>>10
ずいぶん、古い説やな
今じゃあまり通用してない説やで、それ
88:名無しさん@1周年
16/06/08 06:01:38.86 sW+gUhau0.net
>>61
ダイレクトって、沖縄やら島々があるんやで。
沖縄で、プラントオパール見つかってんだから
89:名無しさん@1周年
16/06/08 06:10:52.14 6SF7WdH10.net
>>53
朝鮮半島南部はもともと稲作地帯で日韓併合以前から日本は米を輸入していた
なんて書くとお前は気狂いになるんだろうな
90:名無しさん@1周年
16/06/08 06:13:34.33 9zNkUtal0.net
>>61
なんで半島をわざわざ経由しなきゃいかんのだ。
中国沿岸部を出発すれば海流に乗って九州のどこかには行きつく
URLリンク(upload.wikimedia.org)
91:名無しさん@1周年
16/06/08 06:33:15.75 vOvKXghx0.net
半島経由の証拠なんか無いはず
ただのイメージだよ
琉球か対馬海流経由
92:名無しさん@1周年
16/06/08 06:35:21.83 fyahTqA30.net
いでよ!ゴッドハンド!
93:名無しさん@1周年
16/06/08 06:41:37.27 9jyMLqf40.net
日本人の感覚で韓国人の立場で考えても、
日本への稲作伝来が朝鮮経由でなくても気にならないよな。
なんで韓国人ってそういうの異様に気にするんだろ?
漢字、仏教など確実な伝来証拠のある中国人やインド人はそんな恩着せがましいこと言ってこないぞ
94:名無しさん@1周年
16/06/08 06:42:21.40 kaGY4NgoO.net
>>89
日韓併合以前て具体的にいつの話よ
縄文時代からその日韓併合以前まで、どんだけ時代が離れてると思ってるの
95:名無しさん@1周年
16/06/08 06:43:37.05 uNq8TyKt0.net
朝鮮半島から教えて貰ったんだろ。
96:名無しさん@1周年
16/06/08 06:50:34.98 kaGY4NgoO.net
>>93
文化を発展させるという概念がないんだと思う
最初から完成された状態で伝搬されていると考えるから起源にやたらと拘るのでしょう
97:名無しさん@1周年
16/06/08 06:51:36.03 45a9+yro0.net
犬を人間のように埋葬して残飯と分けられたいたことや、
土器に縄目以外の装飾(火焔土器とか)を施していたことなどから
高度な文明が有ったことは予想されるから栽培も十分考えられる。
かつ犬を食べていないことから朝鮮半島経由の文化でないことも分かる。
98:名無しさん@1周年
16/06/08 07:02:30.71 8teaN0rv0.net
>>26
製鉄も近年では朝鮮から伝わったのではなく、中国北東部からの伝来と考えられてるんだろ?
古代人の交易ルートは旧来考えられていたよりもずっと発達してた
近いから、なんて理由で朝鮮半島を経由したと考えるのは何の根拠もねーわな
99:名無しさん@1周年
16/06/08 07:06:39.94 sW+gUhau0.net
>>89
ん?
李氏朝鮮の農業なんてボロボロやで
併合で日本に輸出できるほど農業の技術もシステムも発展したんやで
100:名無しさん@1周年
16/06/08 07:32:03.96 9zNkUtal0.net
>>77
稲作技術は稲だけじゃなくて農機具も込みだからな。
半島経由で鉄製の農機具が伝わって生産技術が上がったかも知れない。
より生産性の高い方法にみんな飛びついたということもあるだろう。
でもそれは稲作が半島から伝来したとは言わんだろ。
昔ながらの人力の稲作からアメリカ発祥の農業機械が導入されて主流になったら
稲作はアメリカ伝来か?違うだろ。
101:名無しさん@1周年
16/06/08 07:33:19.39 taMU0yQW0.net
米が主食になったのは明治以降
102:名無しさん@1周年
16/06/08 07:35:42.07 WmjkBo1q0.net
今の考古学、歴史学者って
ダーウィンの進化論が元で、現在がこうだから縄文や古代は未開だから
こうだろう、こうに違いないって仮説から考えてる感じだな
土器や化石とかは後付けで、ほらやっぱり自分の説は正しかった!みたいな
猿じゃねーんだから種や苗があれば畑作ぐらいやるだろw
103:名無しさん@1周年
16/06/08 07:36:48.58 Fqht4wcV0.net
>>102
どこで勉強したらそんなトンチキなこといいだすんだ
104:名無しさん@1周年
16/06/08 07:38:19.10 WmjkBo1q0.net
>>103
君は古代の正確な情報をどれだけ知ってるんだい?
何をもとにさ
105:名無しさん@1周年
16/06/08 07:50:07.27 ClFEiiZe0.net
具体的に何年前なんだ?
106:名無しさん@1周年
16/06/08 08:01:06.60 xVL8dQBg0.net
>>104
考古学でダーウィンなんて言い出さない程度には知ってるよ
文献のない古代なんて年代測定して前後に並べるだけ
107:名無しさん@1周年
16/06/08 08:20:17.58 8teaN0rv0.net
>>77
水田を見よう見まねで作ったと思うなんて言ってる時点でお察し
実際に農業やったことのある奴ならそんなんで米作りできるわけが無い事くらい馬鹿でも知ってる
確実に技術者集団の指導が必要
108:名無しさん@1周年
16/06/08 08:32:24.13 uMr16wsZ0.net
稲は水田という農耕システムにより通年連作可能な農産品となった、古代農業では全て天と運任せの部分があったから、土と水を人が管理する稲作は革命的である
109:名無しさん@1周年
16/06/08 08:33:08.37 MZtnCrKC0.net
>>107
同感。水田というのは大規模な農業土木の技術なしには造れないんだから、
見よう見まねにしても訪問者がいきなり覚えて造れるものじゃないだろう。
正式に教えてもらわなくても現地に滞在して生産の1サイクルを経験しなければ
できないと思う。考古学系の人間って、アホかと思うようなヤツが多過ぎるな w
110:名無しさん@1周年
16/06/08 08:38:11.24 Fa692vLT0.net
稲作は弥生だと思ってたから、縄文人は高タンパクな生活をしてたんだと思ってた
111:名無しさん@1周年
16/06/08 08:38:33.61 ClFEiiZe0.net
理系の大学出てない奴は信用しないほうが良い
112:名無しさん@1周年
16/06/08 09:07:56.37 MZtnCrKC0.net
稲作を語る時に一番重要なのは農具じゃなくて土木技術なんだよ。歴史において土木工学が
いかに重要であるかは、NHKの「ブラタモリ」を見ればよくわかる。この番組は、都市は
自然を大改造した結果造られたことを繰り返し強調している。水田開発で一番重要なのは
川から農業用水路を引いてくる時の水路掘削だろうな。失敗を繰り返しながら一番効果的な
方法を習得して行ったんだろう。そしてその残土をどう利用したか。もっともこれは弥生
時代末期の話で、縄文期は山間部の小川から水を引いていたんだろうが。
113:名無しさん@1周年
16/06/08 09:22:59.24 /1zdGNo60.net
>>19
だよね、多数ある栗の種のドンがドングリ
114:名無しさん@1周年
16/06/08 09:23:21.21 Y6a3G0HN0.net
「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」
平成24年11月1日
東京大学大学院医学系研究科
総合研究大学院大学
その結果、アイヌ人と琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する
本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された。一方、本土人は集団とし
ては韓国人と同じクラスター(注2)に属することも分かった。
さらに、他の30人類集団のデータとの比較より日本列島人の特異性が示された。こ
のことは、現代日本列島には旧石器時代から日本列島に住む縄文人の系統と弥生系渡
来人の系統が共存するという、二重構造説を強く支持する。
URLリンク(www.u-tokyo.ac.jp)
115:名無しさん@1周年
16/06/08 09:31:25.66 zpNOytds0.net
青森の遺跡では栗をうえてたと聞いたが
それは農業に入らないのか?
116:名無しさん@1周年
16/06/08 09:44:30.23 6qi2xy/10.net
人類の歴史で農耕が始まるまで長い長い年月がかかったことになってるけど、
食うために採集した種から発芽したのを見て植えようとか思うのは容易じゃないのか?
117:名無しさん@1周年
16/06/08 09:48:36.09 qOIbNMJS0.net
>>116
季節によって餌場を求めて移動するから
118:名無しさん@1周年
16/06/08 09:55:25.87 XeFKK1zK0.net
ハプログループO2(旧O3)の一部は縄文時代に日本に到来して豆などの雑穀農耕を日本に持ち込んだといわれてるからな。
因みにO2(旧O3)は普通、弥生以降の渡来系という認識が強いが一部は縄文時代にも日本に渡ってきてる。
119:名無しさん@1周年
16/06/08 10:12:42.31 H0cJd/JE0.net
小浜基次「形質人類学から見た日本の東と西」
『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号
畿内型は西日本の畿内を中心として、瀬戸内海沿岸を経て、朝鮮につらなり、
東北・裏日本型は東日本より裏日本に広がり、西日本では、畿内型の周辺を
とりかこんでいる。西日本の離島には代表的な東日本型形質が残されている。
このような両型の地理的分布によつて、集団の移動を推定すると、はじめに、
東北・裏日本型集団が広く日本全土に先住し、のちに、畿内型集団が朝鮮半
島より渡来し、瀬戸内海沿岸を通つて、畿内に集中し、その一部はさらに、
東進したものであろう。古代の高い文化が、畿内を中心として栄えた史実に
一致することは興味深い(以上、75頁)
(追加)形質人類学的にみた未解放部落
われわれの全国的な日本人調査のうちには、未開放部落もふくまれ、その調
査地区は近畿、山陽、九州、四国に散在する四七部落にわたつている。
(中略)
身長は一般に低身であるが、部落の生活環境によつては、長身の集団もある。
頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅
は小さい。したがつて、畿内のような高度の短頭地区内にはさまつた部落は、
一般集団との間に明らかな差異が認められる。しかし、山陰、北九州、四国
東北部などの中頭地区内にある部落は、一般集団と近似し、差異は少ない。
畿内地区における両集団の差異は畿内人と山陰人とのちがいにすぎないので
ある。そのほかの形質、たとえば、頭頂高指数や頭部の測度、指数などにつ
いても、部落はまつたく東北・裏日本型に類似している。
大陸朝鮮型形質のもつとも濃厚な畿内地区に、もつとも非朝鮮的な形質を持
つ東北・裏日本型の部落が孤島として介在することは、注目に値する。おそ
らくは、婚姻と住居の制限によつて内婚率が高く、特異の形質がよく保たれ
ているものと思われる。このような部落の成因については、文化史その他の
分野より検討せらるべき課題であろう。(成績はいずれも男子資料による)
(大阪大学医学部教授)
120:名無しさん@1周年
16/06/08 10:18:26.16 ClFEiiZe0.net
>>116
自分で育てるより他所のを取ったほうが早いだろう
ヒャッハーって奴だよ
121:名無しさん@1周年
16/06/08 10:54:43.76 QqUvjjN80.net
便所や墓場の周りに豆撒く風習でもあったんじゃないの?
122:名無しさん@1周年
16/06/08 10:59:56.26 0c7C1ek60.net
憂うべく若者の狩猟離れ
それにしても最近やたらと目に付くのが一日中家のそばでウロウロしてる若者、いわゆる農耕系男子である。
灌漑改革によって村中至る処に水が引かれ若者の生活様式は一変してしまった。
農耕系男子は家の敷地に水を引き込んだが最後、土を掘り返し草を抜く毎日だ。夜になればコロコロと種籾を数え、朝が来るとやれ昨日より一寸大きくなっただの葉が一枚増えただの。
これでは男か女かわからない。
第一にあんなに家の側に水を引いて、湿気が多くカビで息苦しいとか目が痒いなどという健康被害の報告もある。猫も杓子も灌漑灌漑とは如何なものなのか。
そもそも我々の世代の狩猟系男子たるや、いざ狩猟となると大物を獲るまでは帰らない覚悟で、ひと月もふた月も獲物を追って旅に出た。行く先々には妾がおり、妾を何人養っているかを競い合ったものだ。
見事獲物を獲って家に帰ればもうその時はお祭りだった。毎晩の様に宴会をし、妻とは久々の夜を迎え激しく愛し合った。
それがどうだ。農耕系男子に妾はいらんのかと尋ねると、妻と子供が生き甲斐です、と答える。たまには家を出たくないかと聞けば安定した生活が一番ですよ、さて来年の作付けの準備をしますか、と来たもんだ。毎晩同じ女と顔を合わせていて欲情できるとは到底思えないのだが。
しまいには運動不足だからと言っては家の周りで動物の骨を投げたり追いかけっこしたりして、勝った負けただの言っている。呆れてものも言えない。
狩猟の世界では命懸けなんだよ。負けたら死ぬんだよ。そこを農耕系男子はわかろうとしない。
とにかく覇気を感じない。死んだ魚のような目をしている。我々も良い歳だ。将来を担うのはこの若者達なのだ。しかし宇宙人の様なこの若者達がまっとうな社会を築けるのか甚だ疑問である。これが単なる杞憂に過ぎないと一笑に付せるならよいのだが。(狩猟族追いたて役・34歳)