16/06/03 02:07:23.61 runTDA7X0.net
>>1
功利主義社会哲学は最大多数の最大幸福をもたらす政策を”善い”政策と考える、
その中で、各個人はその数を構成する1として数えられる、
そして”善い”とは社会における個人の純粋に主観的な欲望の最大限の充足であると考えられる。
功利主義者は経済学者(後述参照)同様に、彼ら自身を”科学的”とか”価値自由”とか考える事を好む、
そして彼らの教義は事実上価値自由な立場を採用する事を彼らに許すと考えられている、
なぜなら彼らは恐らく彼ら自身の価値を負わせている訳ではなく、
単に住人の大部分の欲望や欲求を考えられる限り最も大きく満たす事を勧めているに過ぎないからである。
しかしこの教義は殆ど科学的でもないし価値自由でもない。第一に、なぜ”最大多数”なのか?
倫理的に言ってなぜ少数派の願いよりも多数派の願いに従う方が善いのか?
”最大多数”の一体何がそんなに良いのか?
社会の圧倒的多数の人々が赤毛の人を嫌悪し罵倒する、そして彼らを殺す事を大いに望んでいると考えて下さい、
そして更に何時の時代も赤毛の人は少数しか存在しないと考えて下さい。
我々は赤毛の人を虐殺する事は圧倒的多数派にとって”善い”事であると言わなければならないのだろうか?
そしてもしそうでないなら、なぜそうではないのか?
その時は、少なくとも、功利主義は殆ど自由と自由放任主義の根拠とするには十分ではないだろう。
マレー・ロスバード 、The Ethics of Liberty.
マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。
彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。
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