16/06/03 00:29:52.44 runTDA7X0.net
>>1
ロリコンは異常であると主張する児童ポルノ法/未成年者誘拐罪の支持者が持ち出す危険性や判断能力の評価は
生物学的、或いは哲学的な正常異常の評価基準として本当に妥当なのだろうか?
身体的リスクの検討:
確かに15歳未満の出産の母体への危険性は20歳前後に比べて「相対的に」僅かに高い。
しかし15歳未満の性的関係や出産を許せば人類の生存や繁栄が危うくなるほど高いかと言えば、確実にそうではない。
もしそうなら人類はとっくの昔に滅んでいただろう。
18歳未満の性的関係を異常なものとして禁止しようとする流れが出来たのはここ数十年の話に過ぎないのだから。
もし人類が滅ぶであろうと言うほど危険でないならば、一体なぜこの相対的な危険性の高さがそれほど重要なのか?
これはただの主観的な選好ではないだろうか?
哲学的に言って、なぜ多少相対的な危険性が大きくとも本人が望んでいるなら構わないと考える事が誤りなのか?
判断能力の検討:
判断能力の相対的な評価は身体的なリスクの評価よりさらに疑わしいものである。
一体どうやって判断能力を測定したのか?何がその客観的で論理必然的な測定基準なのか?
人は決して将来の人の選択、及び自然の出来事の進行を完全に予測する事は出来ないと言う人間行動学的真実を考慮すると、
再びこれもただの主観的な選好の問題ではないだろうか?
人は常に様々な予測困難な災害や事故に遭遇する可能性、将来において何らかの理由で彼や彼女の価値観が変化し
後悔する可能性に晒されている。
そして例え子供達の売春や同棲を妨害する事によって何らかの取るに足らないリスクを回避する事が出来たとしても、
ある子供の場合に、それがその他の取り得た代替的な選択肢に比べて彼や彼女にとって最善の選択であったか
どうかを知る方法は存在しない。
子供は判断能力が未熟であるとか自由な性的関係を暴力的に妨害する事によって彼らを保護している等と言う
児ポ法・未成年者誘拐罪等の支持者の主張は自分達の予測能力を完全な物であるか絶対的な物であると思い上がった
愚か者の自惚れに過ぎない。
暴力的な干渉が存在しない状況において、人は常に彼自身にとって最も有益であると信じる方法で行動する。
もし彼がそうする事が彼自身にとって最も利益が大きいと考えていないならば、彼はそれを行わないだろう。
それ故に、子供達の同意の上の性的な関係を暴力的に妨害する児ポ法や未成年者誘拐罪、淫行条例等は
常に子供達から彼ら自身の主観的な見地から見た最善の利益を奪い、暴力的に搾取している。
従って、児ポ法支持者の主張は全くの誤った思い込みに過ぎないと言う事だね。
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