16/06/03 07:54:33.94 /COl1e7b0.net
大本営発表w
子孫が同じ思想とノウハウで国家運営したら同じ結果になってきてるな。
今は、アッツ島玉砕ぐらいかw
1942/6/7(日) ミッドウェー海戦
1942年6月11日(木) =大阪毎日新聞
横見出しは「東太平洋全海域を制圧」。
縦見出しは「ミッドウェー島を猛攻撃 米航空母艦二隻撃沈 我方も空母二隻撃沈破 アリューシャン要衝攻略」。
この記事のもとになった大本営発表の内容は、実際の戦果とは違っていた。大本営発表はミッドウェー海戦の敗北を隠し、脇役のはずのアリューシャン攻略の方に焦点を当てている。
1942/8/7(金) 米軍がガダルカナル島上陸
米軍は、日本軍が飛行場を建設していた南太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島に本格的な反攻を開始。
敵の戦闘能力を甘く見た日本陸軍は、部隊の逐次投入という失敗を犯す。補給が途絶え、食べるものもない「餓島」からの撤退は翌年2月から始まったが、大本営発表では「転進」と取り繕われた。
1943/5/29(土) アッツ島玉砕
アリューシャン列島のアッツ島に上陸した米軍を迎え撃った日本軍は約2600人が戦死し、生存者は捕虜となった30人足らずだった。
「玉砕」という言葉が初めて、公式の大本営発表で使用された。戦局の悪化に伴い、「一億玉砕」などのスローガンが唱えられるようになっていく。
URLリンク(sp.mainichi.jp)