16/05/20 11:21:17.97
>>1より
それに『大清一統志』には、イエズス会の宣教師らが測量した「台湾府図」が載せられている。
そこには尖閣諸島はもちろんのこと、尖閣諸島と台湾の間にある棉花島、花瓶島、彭佳島の3島も描かれていない。
台湾府の疆域(きょういき)には、尖閣諸島は含まれていなかったのである。
にもかかわらず、井上氏らは尖閣諸島を中国領だとした。その証拠とされたのが、中国から琉球国に「冊封使」
として派遣された使臣たちの記録である。そこには釣魚島や赤尾嶼など、尖閣諸島の島嶼(とうしょ)が記録されているからだ。
■中国側の「不都合な真実」
だが、冊封使として琉球に渡った齋鯤(せいこん)は、著書『東瀛百詠(とうえいひゃくえい)』の中で鶏籠山を
「なおこれ中華の界のごとし」とし、「鶏籠山、中華の界を過ぎ」としている。これは、鶏籠周辺を台湾の界(さかい)
とする地理的理解が一般化していたからにほかならない。
その台湾は、清仏戦争後の1885年9月、台湾省に昇格した。その際、初代の「台湾巡撫(じゅんぶ)」
となった劉銘伝(りゅうめいでん)は、台湾省の疆域を「南北相距たること七百余里、東西近きは二百余里、
遠くは或いは三・四百里」としている。
台湾省の疆域は、『欽定大清会典図』の「台湾省全図」で確認できる。そこに描かれているのは台湾全島と、
澎湖諸島だけで、尖閣諸島は含まれていない。
これらはいずれも中国側にとっては「不都合な事実」である。中国側はこれまで、「日清戦争の結果、
台湾が日本に割譲された際に、その付属島嶼である尖閣諸島も一緒に割譲されていた」としてきたが、
台湾省には、最初から尖閣諸島は含まれていなかった。
■「歴史を直視」すべきなのは日中どちらか
先月末の外相会談で、王外相は岸田外相に「歴史を直視」するよう大言壮語した。
だが尖閣諸島は、歴史的に中国の領土であった事実はない。
これは、国際法上も、尖閣諸島は中国の領土ではなかったということである。
その尖閣諸島を狙って日本を挑発し、いたずらに東緊張を高めているのは中国なのである。
中国はこの「歴史を直視」することがない限り、かつての歴代王朝がそうだったように、
周辺諸国から嫌われ者にされてしまうのである。(了)