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宮本 顕治(みやもと けんじ、1908年(明治41年)10月17日 - 2007年(平成19年)7月18日)は、日本の政治家、文芸評論家。通称ミヤケン。
戦前の非合法政党時代からの日本共産党の活動家であり、戦後、1958年に党の書記長に就任してから40年間、日本共産党を指導した。参議院議員(2期)を務め、日本共産党書記長、同委員長、同議長を歴任。
スパイ査問事件
1933年(昭和8年)12月26日、街頭連絡中に逮捕されるが、警察・予審の取調べには黙秘を貫いた。
その間に、逮捕されたほかの人間への取調べから警察が突き止めたアジトが捜索され、床下より小畑達夫の死体が発見された。
宮本らに「査問」の最中に暴行を受けた末に外傷性ショックで死亡したと、裁判で認定された。
これがいわゆる日本共産党スパイ査問事件である。
宮本は治安維持法違反だけでなく、この事件の加害者としても裁判で裁かれることになる。