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聖ヨハネ騎士団もイエズス会も奴隷ビジネスに手を染めていた。
豊臣秀吉は九州を平定後、キリシタン大名が自国の神社や寺院を
根こそぎ破壊しポルトガル商人を通じた日本人を奴隷として
輸出していたことを知り激怒、1587年宣教師追放令を発布。
日本の鎖国は日本人の奴隷貿易と深い関わりがあった。
宣教師追放令を受け、イエズス会のリーダーであったガスパール・コエリョは、
キリシタン大名有馬晴信に対して、キリシタン大名達を結集して
秀吉に敵対するよう働きかけ、金と武器弾薬を提供すると約束し軍需品を
準備した。しかし、この企ては有馬晴信が応じずに実現されなかったとみられる。
1582年ローマに派遣された少年使節団の一行も世界各地で多くの
日本人が奴隷の身分に置かれている事実を目撃。会話録として
「我が旅行の先々で売られ奴隷の境涯に落ちた日本人を親しく見た時に
はこんな安い値で小家畜か駄獣かの様に手放す我が民族への激しい念に
燃え立たざるを得なかった」とある。