16/04/07 12:03:42.31 HRez2fwN0.net
現代人が普通に常識と思ってやっていることも過去からの道徳や常識の延長にあるもの。
教科書に説明のあるいわゆる「江戸しぐさ」の例も今でも普通に実践している人が多い。
江戸の人口密度の高さについては記録がいくらでも残ってるし、路地の狭さも今に残ってる。
細かい暗黙の了解的なルールや常識は形成されてても不思議はない、というより無いほうが不思議。
渋谷のスクランブル交差点が外国人観光客に人気なのは「あんなに混んでるのに人同士がぶつからない」から。
あれは、見える範囲の人がどこに向かおうとしているか、を配慮して邪魔しない隙間を選んで進むからできてる。
ためしに交差点内を大きく円を描くように歩こうとすると、周りの人が予測できないので進めないしぶつかる。
無秩序なようで細かいルールが自然とある。
東京の人が当たり前にやってることは世界的には珍しいこと。
芝氏がやったことは、「江戸の人があたりまえにやってる」細かい気遣いの動作に着目して名前をつけただけ。
高度成長期は経済優先でモラルが軽く扱われていた時期なので、それを指摘する意味で価値のある活動だったのだろう。
伝えたいことは教科書にもある通り、
「江戸の人々は、お天道様に恥ずかしくないように行動することや、人のおかげで物事が
成り立っていると考えることなどを通して、真心をもって人間関係を大切にしよう」
という事。
現代の花見客の後始末などを見ると「できていない」人が増えていると感じる。
教えた方が良いだろう。
現代の言葉で「こうやるのが正しい」と書くのも良いが、そうすると「価値観の押しつけ」という別の突っ込みが入る。
また、今の大人の姿を見て「できてないじゃん!」と子供に突っ込まれるのも都合が悪い。
「昔はこうやっていたんだよ」
という体で教えれば本来の道徳教育の効果が高く押し付けにもなりにくい。
「NPO法人江戸しぐさの会」の越川氏が珍説にくっつけて変なプッシュしてるのが問題なだけ。
教科書には江戸っ子狩りなんて一言も書いてないんだから別に構わないだろう。