【国際】中国漁船を「見せしめ爆破」 インドネシア、密漁問題めぐり 容疑の中国人船長ら起訴へ、船返還も要求 [04/02]at NEWSPLUS
【国際】中国漁船を「見せしめ爆破」 インドネシア、密漁問題めぐり 容疑の中国人船長ら起訴へ、船返還も要求 [04/02] - 暇つぶし2ch2:名無しさん@13周年
16/04/02 22:38:20.29 iqeMPzds2
これで、中国が反発弾丸列車支援も放り出す事態になりかねないかもしれない?

3:名無しさん@13周年
16/04/02 23:00:49.70 MKHSJyhsF
中国の伝統的な漁場って・・・また嘘か。

4:名無しさん@13周年
16/04/03 00:28:49.87 bh25OyyiA
インドネシアの勇気ある行動を日本政府も見習おう

5:名無しさん@13周年
16/04/03 08:01:11.69 7EZTRcayd
廃船漁法で中国被害無し?
ノミが潰された程度の事だろう!!

6:名無しさん@13周年
16/04/03 08:07:23.71 dBVkJ6QCi
「井戸を掘った人を忘れぬ」ではない。中国は「2人で井戸をのぞけぬ」怖い国…新渡戸稲造の慧眼

(中国)支那の家庭教育は「人に騙されるな!」から始まる
身内すら信用しない支那人の発想の芯は家庭教育で育まれる。支那の家庭教育は日本と対象的である。
一般家庭では、祖父母や両親が子供を躾けるという点では同じである。しかし、日本人が子供に
「ウソつきは泥棒の始まり」というふうに教えるところが、支那では逆なのである。
支那の一般家庭で子供に一番大事なこととして教えるのは、「人に騙されるな」「偽物を買ってくるな」ということである。
要するに人を信用するな、という教育が行われる。小さな頃から、それこそ赤ん坊のときから教えられる。
そのまま大人になるまで、人を疑うように教育され続けるのが中国なのである。
支那人にしてみれば、日本人の「誠実」とか「正直」という教えは、子供に「カモになれ」と教えているのと等しい。
支那には「一人で廟に入るな、二人で井戸を覗くな」と言うことわざがある。これは試験にしか出ないようなものではなく、
ごく一般的なことわざだ。「一人で廟に入るな」というのは、一人でお寺(廟)に入ると、悪いお坊さんに殺されたり
するかもしれないからである。坊主には悪い人間が多いから、一人で寺に入ると金品を奪われたり、殺される。(省略)
「二人で井戸を覗くな」というのは、もう一人に落とされるかもしれないから、一緒に「どのぐらい深いのかな」
と覗くというのはダメなのである。だから一人で安全なときに見るぶんには問題ないが、二人ではダメだという発想なのだ。

支那での「義」とは、「利」、即ち、「賄賂」を意味する。「仁」とは「義」を受けた大人の思いやりである。いつ出し抜かれるか
分からない騙し合いの社会で生きる支那人にとって儒教は、公のために奉仕するというような道徳感としては身につかず、
個人の利を優先させるような思想として都合の良いように解釈された。
見返りもなく他者に尽くす事は利己的な支那人には馬鹿げた行為にすぎない。

7:名無しさん@13周年
16/04/03 08:11:35.57 dBVkJ6QCi
◆支那の語源は、始皇帝の「秦」が起源。英語 チャイナ、フランス語 シーヌ、ドイツ語 ヒーナ。
支那での儒教は日本のような道徳としては昇華されず、朱子学的な秩序維持の方便にすぎなかった。

「礼」は文化的な進歩人が節度を守り、それを野蛮な四夷(東夷、西戎、南蛮、北狄)に教えていき、
世界の順列を守っていくのが人間の道であると説く。(中華を総べれば支那人になり蛮夷でなくなります)

「内田良平の支那観を読む」
「支那では各社会を通じ、賄賂を罪悪とは見なさない。しかも、大仰に儒教の経典といったところで、
一口でいえば賄賂を使う方法を教えるものと断じていいだろう。『易経』に、包むに魚有れば咎めなし。
包むに魚なければ凶を起こす。紀を以て瓜を包めば、章を含んで天より隕つこと有り。(苞に魚を包みこめば、
咎はない。苞に魚が入っていなければ、凶を起こすことになる。川柳の小枝を編んだつ苞に瓜を包み込んでいるのは、
内に美しさをそっとしまい込むようなものであり、天から幸運が降ることがある)
とあるけれども、「包む」というのは賄賂を意味する「苞苴(ほうしょ)」のことに他ならない。
孔子の言葉、礼と云い礼と云う、玉帛と云わんや。(礼だ礼だとよく言われるが、外国を訪問したとき、
善意のしるしに相手に渡す品物としては、玉や絹ばかりが礼の形ではない)
これも支那で言う礼なるものは賄賂と同じ意味であることを暗示している。
また孟子の、王何ぞ必ずしも利を言わん、また仁義あるのみ。
(王よ、どうして利益のことばかりを仰せになるのですか。王はただ仁義のことだけを気にかけたらよろしい)
支那における仁義が賄賂を引き出すときの道具である事を示唆している。

「礼」*人間である支那人が獣である蛮夷を正して行く。
「仁」*利益を受け取る事で臣下へ思いやりを示す。
「義」*賄賂を使い尽くすことで自らに災いが来ないようにする。

*春秋公羊伝には「復讐」を勧めている。
たとえ百年前の事件であろうともその仇を討つことは人間の道であると孟子の言葉として明記されている。
*法で縛り難い儒教
親が盗みをした事を子が隠すのは儒教的には孝行で○だけど韓非子法家ではX
*『論語』子路編には「正名」つまり、名を正すという思想がある。
ものの秩序は、名の秩序と連動している。名を正せば、ものの秩序も回復されるはずとのこと。悪い事をしても勝てばよい。


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