16/03/26 19:10:21.61 R3+sHNLV0.net
>>447
公安は、そうは見てないw
≪ 極 左 暴 力 集 団 ( 中 核 派、革 マ ル 他 ) は 共 産 党 の 私 生 児 ≫
◆「51年綱領」に基づき武装闘争を繰り広げた日本共産党(平成11年、警察白書)
URLリンク(www.npa.go.jp)
昭和20年に合法化された日本共産党は、敗戦後の国民生活の窮乏と社会不安を背景に運動の発展と党勢の拡大に努めた。
さらに、26年には、第5回全国協議会を開催して、
「日本の解放と民主的変革を平和的な手段によって達成し得ると考えるのは間違いである」とする「51年綱領」を採択し、
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「白鳥警部射殺事件」等の個人テロや、「大須騒擾(じょう)事件」等の暴動事件を引き起こすなど、暴力的破壊活動を展
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開した。
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しかし、武装闘争戦術の行き詰まりなどから、同党は、30年の第6回全国協議会において、「51年綱領」は正しかったが「極左冒
険主義」という「戦術上」の誤りを犯したと自己批判した。
その後、「60年安保闘争」において社会党・日本労働組合総評議会(総評)との共闘を進めるとともに、労働者の間に次第に影響
力を強めながら党勢を拡大し、第8回党大会(36年)で二段階革命方式による現綱領を採択した。
こうした同党の路線転換は、31年のフルシチョフ・ソ連共産党書記長によるスターリン批判とあいまって、左翼諸勢力の混乱を引
き起こし、
その結果として数多くの極左暴力集団を生み出すこととなった。
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URLリンク(blogos.com)
日本共産党は1955年に武装闘争路線を放棄し、これに対抗して中核派や革マル派といった新左翼が生まれたが、警察庁からは
「暴力革命の方針」に変更はないと認識されていることが改めて言及された。
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