【沖縄県民も知らない「普天間基地」】普天間住民 土地代を受け取りながら、堂々と耕作 [01/20]at NEWSPLUS
【沖縄県民も知らない「普天間基地」】普天間住民 土地代を受け取りながら、堂々と耕作 [01/20] - 暇つぶし2ch2:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
16/01/20 10:26:26.28
>>1より

この時期、米軍は本土上陸を見据え、日本軍の飛行場を接収するとともに、
新たな空軍基地の建設に乗り出している。ところが、45年8月、急遽、建設が見合わせになる。
日本の降伏で必要がなくなったのだ。

翁長知事は、「米軍は、住民を収容所に隔離している間に普天間基地を一方的に建設した」
と非難している。だが、実際にはどうだったのか。

米軍は沖縄侵攻後、宜野湾村の野嵩(のだけ)集落にキャンプを作り、
村民や近隣避難民を収容する。収容人員は3000人を数えた。

そして、45年11月以降、収容所は解体され、住民はそれぞれの集落に帰還した。
住居は戦災で焼失しているため米軍が資材やテントを支給して再建に供している。
基地の建設が本格的に始まったのは、その後の52年からだ。

不思議なのは、当時、住民から「土地を返して欲しい」という声が上がらなかったことだ。
それどころか、用地は9年間にわたって放置された。当時、普天間は基地とは名ばかりで、
フェンスもなく原野が広がっていた。

普天間基地内に土地を持つ元農民によると、米軍は接収後、地代の支払いを始めたものの、
住民は地代を受け取る一方で、堂々と入り込み用地に畑や家屋を作っていた。
米軍基地で膨大な食糧需要が発生したからだ。

■今もある「黙認耕作地」

当時の「沖縄タイムス」は、この予定地を、「牧場」と形容している。引用してみよう。

〈畜産では軍から流れる(将兵の)残飯と広大な牧場と見るべき遊休の飛行場を利用
することで、蔬菜(そさい)では軍向けの清浄蔬菜は勿論、普天間と嘉数(かかず)
にある六つの日本請負業者(土木作業員宿泊施設)や、ライカム(米陸軍司令部)
工作隊キャンプに売り込もうと言うのである〉(52年5月9日付記事)

これでは地代と営農収入の“二重取り”だが、米軍に土地を返してもらい貧農に戻るよりは
よっぽどいい。余談だが、こうした例は今もある。たとえば読谷村の米軍基地「トリイ
・ステーション」では、米軍施設内なのに、地元民によって農業が堂々と行われている。
いわゆる「黙認耕作地」である。米軍も防衛省も見て見ぬふりだが、一方的に土地を
奪われたと叫ぶ反対派からすれば、ある意味“不都合”な現実だ。

基地を取り巻く状況が変わるのは1953年からだ。朝鮮戦争の勃発と、米海兵隊の沖縄移転である。
米国民政府(琉球政府の上部組織)は、軍用地の一括買い上げを発表。
戦前の地価を基準に地代を算出し、54年から接収に乗り出した。

「特別読物 沖縄県民も知らない『普天間基地』銃口と金の裏面史―惠隆之介(ジャーナリスト)」より

惠隆之介(めぐみ・りゅうのすけ)
1954年、沖縄コザ市(現沖縄市)出身。防衛大学校を卒業後、海上自衛官、琉球銀行を経て現職。
シンクタンク「沖縄・尖閣を守る実行委員会」代表、『誰も語れなかった沖縄の真実』など著書多数。

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