16/01/07 22:18:33.93 TZ9cYf4z0.net
>>456
山村工作隊 - Wikipedia
各地で列車の爆破、交番への焼き打ちや警察官へのテロ行為などの
武装闘争が展開された。そして、1952年7月に日本共産党の武装闘争を
取り締まるため破壊活動防止法が制定・施行された。
直接的な火炎瓶闘争は1952年夏頃から下火になったが、軍事方針は続き、
農村部での活動が継続された。
この運動方針は世論からも批判を浴び、1952年10月の総選挙では
全員が落選し敗退。共産党は1955年1月1日に武装闘争が
“極左冒険主義”だったとして自己批判を行い、
同年7月29日の第6回全国協議会(六全協)で武装闘争路線は否定された。
現在、日本共産党は「五全協の方針は、分派(所感派)による党の分裂と
党機関の乗っ取り、ソ連・中国による武装路線の押しつけによって
生まれたもので、党として正式に採択した方針ではない。
所感派による党の分裂と極左冒険主義は深刻な誤りであった。」としている。
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都合の悪いことは全部ソ連のせいにしてるようなw