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1961年、原水禁7回大会は、「最初に実験を開始する政府は平和の敵、人道の敵」
と決議したが、その直後の8月30日にソビエト連邦が核実験を再開した。
これに対する対応をめぐって原水協は、
ソ連政府にも抗議せよとする日本社会党(現・社会民主党)・総評
(日本労働組合総評議会。現・連合こと日本労働組合総連合会)系と、
抗議に反対する日本共産党とが対立した。
翌1962年、8回大会の最中にソ連は再度の核実験を行い、
再び昨年と同じ衝突が起り、結局大会は混乱したままに終わった。
日本共産党系代表は「核戦争の根源であるアメリカ帝国主義を
日本やアジアから追い出せ」と、ソ連の核実験に対する批判をしないばかりか、
むしろそれを擁護したまま、反米を中心に置いた
反安保・基地闘争も視野に入れた主張をした。
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