15/12/02 19:02:37.52 yxHFnKa20.net
>>65
信じがたいが、大久保利通や西郷隆盛の嫡男の西郷寅太郎も朝鮮出兵の時に連れてきた薩摩焼の陶工を集めた鹿児島市高麗町の出身。生家は百メートルも離れていない。
1600年代の半ばから後半には高麗町の陶工は郊外の日置市に集団移転した ことになっているが、その最後のタイミング(1680年代)で大久保の先祖も高麗町から郊外に移転している。しかし100年後後にまた高麗町に戻っている。
URLリンク(ichiki-kushikino.com)
また、西郷も大久保も1600年代半ばに薩摩藩に先祖が仕官しているが、先祖は仕官前の数代は不明。
大久保利通の父の利世は、琉球貿易のための琉球館の通関職員だった。朝鮮語か広東語を話せただろう。
天保13年(1842年)、この年までは高麗町に住んでいたことが、『鹿児島城下絵図散歩』で判る。後に琉球館付役に就任、琉球館内の屋敷に転居。
彼らの家系図は偽物の可能性が高い。
ちなみ西郷隆盛の子孫の西郷隆文はなぜか現在は日置市苗代川で窯元で薩摩焼組合の初代理事長。