15/12/02 19:01:52.55 cQQGmdCo0.net
>>65
鹿児島の郷土史家なら下記は常識の範囲だ。
また、藩の学問の殿堂造士館講堂での年2回の朝鮮語対談をはじめ、藩は異国方書役の役人2名に朝鮮語学習のため苗代川に30日の長期にわたる出張を命じるなど藩庁の力の入れようも窺われる。
このように限られた状況史料から推察することになるが、
これらの事情を勘案すると、朝鮮漂流漁船だけに対処する組織体制というより、もっと広汎な朝鮮船の往来を物語っていることが考えられるのではないだろうか。
近世薩摩藩では朝鮮通詞に加え、唐通事、幕末には西洋通詞(蘭通詞から後には英通詞)の養成がなされた。このことが、薩摩藩が近代西洋文化を導入することを可能にしたのであり、
藩による語学教育・藩校教育・郷中教育などの教育制度によって支えられていたといえるのである。
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