15/11/09 13:43:21.13 omIeWENJ0.net
>>376
児玉誉士夫と町井久之が号令
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晋太郎は地元での票の取り合いに加え、中央政界での権力闘争でも勝ち抜かなければならなかった。
時は、派閥政治の全盛期である。総理の座をつかむには、カネはいくらあっても足りない。
ちょうどその頃、下関では日韓国交正常化で商機をつかんだ在日の商売人が急速に力を増していた。
在日の水産業者は漁獲だけでなく、「副業」からも莫大な収入を得たという。
「むかし、貧しかった頃の韓国では日本製の腕時計がたいへんなステータスで、安いモノでも高く売れた。
┌────────────────┐
│しかし普通に輸出したのでは高率の関税がかけられる。 .│
│そこで、船員たちの下着に時計をいくつも縫いつける方法で密輸したんです . │
└────────────────┘
だから下関の時計屋は縫い子の女性をいっぱい雇っていたものです」(前出・在日の会社経営者)
水産業以外の商売でも、在日はおおいに潤った。
「下関の全盛期、漁師たちは大金を握りしめて陸に上がり、酒にオンナ、博打で湯水のように使った。
在日はもともと、水産業よりそっちの商売が強かった。大きくなったパチンコ屋は、あのとき商売の土台を築いたんです」
在日の中からは、こんな話も聞こえる。
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┃「岸さんが児玉さん経由で、町井さんに晋太郎さんへの支援を要請したと聞いています..┃
┃韓国民団草創期の大幹部だった町井さんは、下関にも仲間が多く ..┃
┃いくらでも号令をかけることはできましたから」 ┃
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下関の在日が晋太郎を支援する理由はいくらでもあった。
韓国と北朝鮮の国力に今ほど大きな差がなく、冷戦下で熾烈な体制間競争が繰り広げられていた時代である。
「未来の総理」と親交を深めることは、韓国系の民団と北朝鮮系の朝鮮総連の双方にとって重要な課題だったのだ。