15/11/03 03:47:40.58 SYgMaTHr0.net
日本統治は 鉄道の敷設と河川敷の整備工事を並行して行った。水防工事によって、耕地面積は飛躍的に増大した。
日韓併合の翌年である1911年、総耕地面積は246万町歩であった。1932年には449万町歩まで増加した。
20年間でほぼ倍増した。
李朝末期では、道路や農地、山、河川、港湾などが荒廃しきっていた。日本は、こうした分野へ資金を投入した。
いわゆる「インフラ投資」である。朝鮮は、日本の植民地としてではなく、日本の一部として整備されたのである。