15/09/28 05:53:32.86 OjMCAtj10.net
歴史に学ぶ
「なぜ朝鮮人学校は閉鎖命令を受け、朝鮮人はそれに対して暴動を起こしたのか」
大まかな流れは以下のとおりです
終戦直後、朝鮮総連は、ソ連の支援を受けた日本の共産党、野坂參三らと
結託し、戦後日本に共産暴力革命を起こそうと運動します。
それがGHQと占領日本政府によって制限されると、その後は地下組織の民族青年団
や、刑事告訴できない児童、婦人会を使って活動を展開しました。
朝鮮人学校とは、まさにそうした活動の拠点で、警察や地方自治体襲撃の武器
の製造拠点でもあったのです。
こうした状況の中、占領日本政府と自治体は朝鮮人学校に解散を命じ
日本の教育 法令に従うか、帰国するかを要求します。
これに朝鮮人は激高し、共産党の支援を得ながら2万人以上の暴動を展開して
大阪府知事庁舎や警察を破壊、占拠します。
さらに副知事等を監禁して、裁判所命令の撤回、民族教育不介入、占拠している用地
の永久使用承認などを暴力を背景に認めさせました。
これに対し、当時の武装解除された警察では制圧できず、また拉致された日本人の
救出もできず、GHQによる非常事態宣言(このときだけ、一回しかありません)と
軍の投入によって、暴徒は解散させられました。