15/09/25 17:33:58.78
>>2より
■「なかったことにする」つもりですか?
かつて賛成していながら反対に意見を変えたのは、小林教授だけではない。
実は民主党の岡田克也代表もそうだ。それは国会論議であきらかになった。
自民党の佐藤正久参院議員は9月14日の参院平和安全法制特別委員会で、岡田代表が「いまの憲法はすべての
集団的自衛権を認めていないとは言い切っておらず、集団的自衛権の中身を具体的に考えることで十分、
整合性を持って説明できる」と03年5月の読売新聞上で発言していたことを指摘した。
さらに、自民党の平沢勝栄衆院議員は、15年6月22日の衆院平和安全法制特別委員会で、
参考人の西修駒沢大学名誉教授に対する質疑を通じて、枝野幹事長が13年10月号の文藝春秋誌上で
「個別的自衛権か集団的自衛権かという二元論で語ること自体がおかしな話です。
そんな議論を行っているのは日本の政治や学者くらいでしょう」と書いていることをあきらかにした。
枝野幹事長はカタログハウスのサイトで「私はこう考える」と題して、こう説明している
(URLリンク(www.cataloghouse.co.jp))。
「日本近海の公海上で、日本を守るために展開している米海軍が攻撃された時に助けに行けるのかについて、
他国の軍隊が公海上で攻撃されたという面で捉えれば、行使が認められていない集団的自衛権のように見えます。
でも、わが国を防衛するために展開している艦船だという点に着目すれば、日米安保条約に基づいて自衛隊と
同じ任務を負っているのだから、個別的自衛権として行使することができます」
これはまさに、小林教授が2年前のインタビューで「集団的自衛権になってしまう」としたケースである。
枝野幹事長と小林教授はいま反対の立場で共通しているが、実は小林教授が「枝野解釈」を否定していたのだ。
小林教授と岡田代表に共通しているのは、程度の差こそあれ、集団的自衛権について当初は容認していた
姿勢を後になって修正し、否定する。ところが「転向」を外に向けて説明しない点である。
意見を変えてはいけないとは言わないが、少なくとも小林教授や岡田代表はなぜ変えたのか、
本人が説明すべきではないか。私はこれほど重要な問題で、小林教授のように正反対に意見を変えて
おきながら「私が言ったとはとうてい信じられない」と国会で居直る姿勢には、それこそ信じられない思いがする。
発言自体を「なかったことにする」姿勢は政治やジャーナリズムの世界だったら、完全にアウトだ。
学者の世界ではそれが通用するのだろうか。そんな学者のいかがわしさを明白な証拠をもって
世間に示したのは、間違いなく小林教授の功績である。(了)