15/08/01 14:58:02.10 oCQKmSpY0.net
>>232
不破
太平洋戦争開始の翌年には、太平洋方面の戦局は、敗戦に続く敗戦という状況と
なり、44年の中ごろには、日本の指導部も、戦争に負けたと判断するように
なっていました。ところが、戦争終結を判断しない。天皇も”もう一度勝たないと
有利な交渉ができない”と言い続けました。ここで決断すれば、本土空襲、沖縄戦
原爆投下、ソ連の満州侵入など、45年に連続して起きた国民的な惨劇は
なかったでしょう。
”有利な交渉”というのは「国体」、つまり天皇絶対の政治体制を守る交渉ということで
そのために、国民全体が犠牲にされたのでした
有賀
私の祖父は海外に派兵されていませんが、戦争末期に「本土決戦」というので
千葉県の九十九里浜で「たこつぼ」作戦の訓練を受け、そのまま終戦を迎えました
不破
あなたの祖父がした「たこつぼ」作戦は戦争末期に各地の海岸でやられました。
米軍が上陸するのを、穴を掘って隠れて待つ。鉄砲も持たず、竹やりで刺し殺せ
という話でした。