15/07/22 07:24:22.12 9p/goahu0.net
>>685
つまり ミクロ現象そのものを絶対見たと つまり解釈をみたといえるのか? という問いかけに対して いやそれは見たのではなく解釈だが
といったように
感覚記述と解釈として許さない場合、つまり 「項見たと思うが」この禁止。
これが
D:『みたんか?(みてないやろ)』 {~「感覚で見た」 と 「みたもを解釈した」 と「解釈=みたものをそのまま見る」 そしていう この全体を禁止するフランス趣味的日本的焦点のまあ保留ですな}
この関西弁に特に強いフレージングである訳です。
C=D=C' これがSetであるといった漢字がどうもある場合がある。
バックは 違ってたらブツが殺すぞといった脅しの感覚がある訳ですね。 この自信の源泉は、ヂツは誰もしりません。
あるいは そのままとればよいというなら 行使『⇒D:』 (/[ ]) ← ここにこの幽霊全体はおり、「ザイニチ」も同類ですからそこにいるとは推測できるわけです。
我々はこういう推測をその都度行う事には慣れています。
説明すると長いので通常は 「あのかんじんとこでね、」と短縮系ですら言いませんが。