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麻生鉱業所 赤坂炭鉱 第二鮮直寮長・持田次男氏の証言
昭和十八年の終わりから十九年にかけて、わしは朝鮮まで何回も強制連行に行った。
うちの麻生は、木材や鉱山など朝鮮で手広く事業をしていたので、総督府をはじめ道庁にコネを持っていたが、地方の募集となるとそうはいかない。
政治力を使って総督府に圧力をかけ、道庁から郡庁、郡庁から面事務所へと命令させる。お役所というのは、上からの権力に弱いのでそれを利用するしかない。
上から強くいわれると、ころっと態度を変えてしまう。結局、面長とか巡査に金を使うよりも、郡長などのトップに働きかけたほうが有利だった。
そのうち農村にも人間がいなくなって、町のほうで探すようになった。町になると警察に頼まないと動けなかった。
風呂場とか市場、映画館には比較的若い者が集まるので、出て来る者を片っ端から強制連行した。どんな方法でも、叩いてでも構わず連行した。
嫌々ながら無理矢理に連行するので、当然彼らは逃亡しようとする。朝鮮最後の結集地釜山での逃亡が多いので、京城の出張所や炭鉱に連絡して、
監視の応援を頼んだ。特に炭鉱の巡査には正服姿で来てもらい、彼らに対して無言の圧力をかけた。