15/06/29 23:14:47.39 k4sKo5qN0.net
>>293
安楽死を、「面倒見切れなくなった身内等の「社会のお荷物」を合法的に処分してくれる制度」と勘違いしている日本人が少なくないからでは?
そりゃ安楽死ではなくナチのT4作戦だよ
T4作戦 - Wikipedia URLリンク(ja.wikipedia.org)
T4作戦は、ナチス・ドイツで優生学思想に基づいて行われた安楽死政策である。
この作戦の期間中の犠牲者は、公式な資料に残されているだけでも7万273人に達し、
その後も継続された安楽死政策により、後述の「野生化した安楽死」や14f13作戦によるものも含めると20万人以上が犠牲になったと見積もられている。
ナチ党の権力掌握後、遺伝病や精神病者などの「民族の血を劣化させる」「劣等分子」を排除するべきであるというプロパガンダが開始された。
このプロパガンダでは遺伝病患者などにかかる国庫・地方自治体の負担が強調され、
これを通じてナチス政権は「断種」や「安楽死」の正当性を強調していった。
1939年9月1日、ヒトラーは日付のない秘密命令書を発令し、
指定の医師が「不治の患者」に対して「慈悲死」を下す権限を委任する責任をもつ、「計画の全権委任者」としての地位をボウラーとブラントに与えた。
この措置は明文化された法律によるものではなく、根拠法をもたなかった。
こうして安楽死政策は立法化も正式な発表も行われないまま、病院や安楽死施設で実行され始めた。
結局法務省は何の措置もとることができなかった。結局最後まで安楽死制度は法制化されなかった。
移送された者はガス室に入れられて処分された。
ただし、これは殺害方法の一部であり、作戦の「中止」後はガスよりも毒物や飢餓が殺害方法の中心となった。
1941年8月24日、ヒトラーはボウラーに対して安楽死の中止を口頭で命令した。
「作戦中止」後、T4作戦の職員はいわゆる絶滅収容所に配置され、
かれらの伝えたガス殺、死体焼却、施設のカモフラージュに関する技術がホロコーストに利用された。
また、既存の精神病患者の収容施設では医師・看護師による患者の安楽死が国家の統制を比較的受けない形で増加し、「野生化した安楽死」と呼ばれた。
また、「反社会的分子」の「安楽死」も活発となり、精神病質者などがその対象となった。
これにより、予防拘禁者は法務省の判断で強制収容所に送られた。
この対象には登校拒否児童、てんかん患者、脱走兵、労働忌避者が含まれている。
これらの囚人は労働に耐えられると判断されたうちは労務を強いられていたが、働けなくなった場合には安楽死が実行された。
障害のある子どもたちは、普通の病院と違う特別な病院に入れられた。
子どもを対象とする安楽死は1943年4月から本格化した。その規模は次第に拡大し、やがては青少年も安楽死の対象となった。