15/06/21 09:12:47.28 pVR9rXzE0.net
そもそも、S60年制定された派遣法自体が、戦後生まれた職業安定法の精神を受け継いでいなかった。
労働法の基本原則の一つは、直接雇用であって、間接雇用の禁止です。
労働者供給事業とは、いわゆる「人貸し」のことで、何人かの労働者を自らの支配下に置き、労働力を必要
とする事業主からの依頼を受けて、労働者を貸し出すことをいいます。
職業安定法第5条に、「供給契約に基づいて労働者を他人の指揮命令を受けて労働に従事させること」と
定義されています。
戦前、まだ日本で労働法が充分整備されていなかった時代には、労働者を食い物にする悪質な働かせ方が
横行していました。また、工場法(労働基準法の前身)が普及して、最低の労働条件が定められ、健康保険
加入が義務づけられると、企業はこうした法律の適用を嫌い、労働者を直接雇用せずに「人夫供給業」など
から受け入れる「間接雇用」の形態が広がりました。こうして、供給先企業は、法律上の使用者責任を負う
ことなく思うままに労働者を使い、労働者は、供給先では人権無視の劣悪な条件で働かされ、供給元からは
賃金の上前をはねられました。
戦後間もなく(1947年)、戦前のこういった労働実態を克服するため制定された職業安定法では、この労働者
供給事業が明確に禁じられました。第44条では「何人も、労働者供給事業を行い、又はその労働者供給事業を
行う者から供給される労働者を自らの指揮命令の下に労働させてはならない」と規定されています。